2016年4月11日月曜日

どうしてあなたの成績は伸びないのか

なんでもそうだと思うのですが、結果が出ないのは「結果につながる努力ができていないから」に他なりません。

仏教の言葉に「因果」というのがあります。
原因と結果ですね。
そして、結果が生じるということは、その結果を生む原因がないとおかしい。
逆に言えば、結果が生じないということは、その結果を生む原因がどこにもないからなのです。

そう考えると、あなたの成績が伸びないのは、成績が伸びるための原因がないから、ということになります。
成績を伸ばすためには、成績が伸びる何かをしていけばいいのです。

成績が伸びる何か、とは一体なんでしょうか。
それには「成績に関するメカニズム」を知る必要があります。

成績とは点数であり評価のことです。
点数が高ければ高いほど成績が良い、ということになります。
成績を伸ばすには点数が伸びれば良いわけです。

では点数を伸ばすにはどうすればいいのか。
点数は「正解した時」にもらえるポイントです。
点数が高くなるためには正解の数を増やさねばなりません。

では正解するためにはどうすればいいのか。
それには
・正しい回答をする
という発想と
・減点を食らわないような回答をする
という発想があります。
この2つは似ているようでちょっと違います。

例えば、「正しい回答」とは「解答」との整合性が高いことを指します。
問題作成者が意図した解答に近いものを「正しい回答」と言うのです。

一方「減点を食らわない回答」というのは、間違ってはいないから✖️にできない回答のことです。
これはよく英語でする発想ですが、たとえ大学受験であっても、英作文の問題で失点を防ぎたかったら平易な単語、構文を選べ!という戦略があります。
中学生でも書けるような単語や構文を使って無難な回答をするわけです。
採点者は「いや〜もっと高校生らしい回答をして欲しいんだけどね〜でも間違ってないしな〜」という感じで丸をするしかありません。
これで素晴らしい回答をした生徒と同じ評価になります。

このように、正解を多くして点数を上げることが成績を上げることにつながります。
また、成績とは多くの場合「総合得点」での評価でしょうから、5教科トータルでどう点数を多く取れるかを考えなくてはなりません。
こればかりは自分で考えねばなりませんね。
好き嫌いや得意不得意でバランスして、残された時間で成果を最大化させる方法は、自分で検討するしかないのです。

ただ、そのお手伝いはこちらでさせていただくことは可能です。
実際にお会いしてコミュニケートしながら詰めていきましょう。
どう攻めてどれくらいの成果を狙うのかを是非聞かせて下さい。

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2016年4月9日土曜日

効率的な勉強ってどうやるの?

当自習室は塾ではありません。
塾と大きく違うところは「効率」を売っているところです。
塾は効率が悪いの!?と思われる方もいらっしゃるでしょう。
そこで今回は塾とアップスタディの違いをご説明します。

まず、塾について思い出して下さい。
 塾にできて当自習室にできない点はもちろんあります。
それは「情報収集」です。
入試に関する貴重な情報網は、おそらく大手学習塾さんに勝てません。
今のところは。
また、公開模試等のイベントも今はまだしていません。
そういった点は確かに大手塾さんの方を頼られてください。

では当自習室にしかできないこととは何か。
それは勉強の効率を上げることです。 効率を上げるには
・不必要なことに時間を掛けない
 ・必要なことだけに絞って取り組む
 ことをすれば良い。
問題はこの「何が必要で何が不必要か」の判断をどうするか、という点なのではないでしょうか。

では塾はその判断を手伝ってくれるか?という視点で見てみて下さい。
おそらくそんなことは聞かれたことはないと思います。
テキストを買って授業を受けて宿題をし、模試を受けてやり直しをして、、、といった作業をひたすら繰り返す取り組み方をされているのではないでしょうか。
これでは効率が良いとは言えませんね。
がむしゃらです。
がむしゃらというのも勉強に関しては悪いことではありません。
が、下手な鉄砲数撃ちゃ当たるみたいな根性論で勉強するのは、何だか時間が上手く使えているとは言えません。
やることが絞られてからがむしゃらになって下さい。
何をして良いか分からない段階では、まだがむしゃらになるには早いです。

例えて言うなら、塾は物量戦です。
とにかくたくさん問題を解かせて力を鍛える方法です。
塾には塾のテキストがあって、授業があって、宿題がある。

でもこれって学校でもありますよね?
同じことを違う形で繰り返しているんですが、それってどうなんでしょうか。
わかりやすい授業を受けることで効率的な勉強ができませんか!?
と思う方もいらっしゃるかも知れませんが、同じところの授業を2回聞くという時点で、あまり効率的とは言い難い。
できれば学校の授業だけで済ませてしまいたい、と考えて欲しいのです。
学校の授業がわかりにくいんです!
という方は、Youtubeにもその分野の授業がたくさん流れていますので、そちらを採用された方がお金も掛からず好きな時に見ることができますよね。

授業が一番非効率だと思うのは、その日のその時間に勉強する教科を制約される点です。
その瞬間に数学の授業をすると塾で決めていても、あなたはもしかしたら英語の勉強をしたいかも知れません。
少なくてもその瞬間にピンポイントに数学の気分になれるでしょうか?
数学の気分の時は数学を、英語の気分の時は英語を勉強するのが最も効率的です。
とすれば、極力塾に制約される時間は省きたいと思うはずです。

またテキストもそうです。
このテキストは誰が選んだのでしょうか?
それは塾ですよね?
塾が持っているテキストからあなたに合ったものを選んでくれているという「体(てい)」です。
しかし、そのテキストは誰にでも使いやすいように作られたテキストです。
テキスト制作会社が制作したものを塾が買って、それを転売しているのです。
しかし、実際は自分に合うテキストを使った方が絶対良いわけです。
それこそ本屋さんに行けば市販の問題集や参考書がたくさんあるのですから、そこから自分に合うものを選んだ方が使いやすいはずなのです。

それ以前に、学校の教科書の復習やサブのテキストはもうやり終えましたか?
学校の復習が終わらないうちに塾のテキストを増やしても、不消化を引き起こしてしまうだけになってしまいます。
新しい課題を増やすのは、目の前の優先課題(学校の復習)が終わってからです。
学校の復習がままならない人は、まずは勉強する習慣をつけるのが先かも知れません。
勉強する習慣を身につけるために塾に行くんです!
という方は、せめて課題を増やさずに利用できる塾を使って下さい。
でないと習慣がつく前に勉強の量に面食らってしまい、余計にモチベーションを落としかねません。

こうして考えていくと、塾に行く事が果たして自分にとって効率的かどうか、ということが段々疑問に思えてくるのではないでしょうか。
勉強を頑張っている気になるとか、友達が行っているのに自分が行ってなくて不安とか、そういった気持ちで塾を選ぶのはやめましょう。
人に流されたり雰囲気に流されたりすることに慣れていると、なんのために勉強しているのか分からなくなってしまいます。

お金も結構かかる話です。
ちなみに、あなたが塾に行く事で発生するお金は、塾の場合何に使われているのでしょうか?
あなたの成績アップのために使われていますか?
テキストや授業を購入する対価として払っているそのお金が、本当に自分の成績アップのために活用されているのかどうかも、是非考えてみて下さい。
もしそうでないとしたら、塾に消えているお金を、自分の服か食事、もっと言えば椅子や寝具(特に敷き布団や枕)に使った方が、はるかに成績アップのためになるはずです。

効率的に勉強するという発想、是非忘れずに頭に置いておいて下さい。
大事な時間です。 何に投資するかをしっかり考えていきましょう。
ちなみに話を元に戻せば、「何が必要で何が不必要か」の判断については当自習室でしっかりお伝えしていきます。
直接ご本人とお話をしたり、志望校がどこかとか、いつまでにどんな成績が欲しいのかといったことを基準に考えていくものなので、是非お気軽にお声掛け下さい。

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2016年4月7日木曜日

やる気はどうやって引き出せばいいのか


 昨日から東進の「今でしょ!?」で有名な林先生がやる気について語ったことが話題になっています。やる気のない生徒にやる気を出させるという流れで林先生がどう対応するかという話だったようです。それがこちら。

http://spotlight-media.jp/article/266452393237798260

 ただ、このニュースに関して肯定的な意見が多いのは結構ですが、この記事には大きな落とし穴があることは決して無視できません。それは「話の論点がすり替わっている」点です。一連の流れを追って説明しましょう。



 まず、林先生に投げかけられた質問はこうです。

「生徒にやる気を出させるにはどうすればいいのか」

それに対する林先生の答えはこうでした。

「やる気がないならやめてしまえと言いますね」

それで生徒はやる気が出るのか?という出演者の質問に、こう答えています。

「ある大学の先生の言葉が心に残っている」



 もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、「それで生徒のやる気が出るんですか?」という質問にYESでもNOでもなく「あるエピソード」で答えている。ということは、これはあくまでも先生の経験論にすぎないのです。

 林先生の注目度、東進の超有名講師という立場、出演者などの肯定的な反応、番組の演出、このニュースを取り上げるサイトでの肯定的な賛同意見での補強。ここまであると、ほとんどの人がもしかしたら「林先生良いこと言っているな〜」と感じているかも知れませんが、冷静に考えてみると、林先生は質問に答えていないと分かるわけです。

 「やる気がないならやめてしまえ」でやる気が出るケースは実は相当稀です。かなり稀なケースを特別な人が言うから「スゲー」となりますが、応用できなければ意味がありません。大事なことは「自分のやる気を引き出すには?」「あの子のやる気を引き出すには?」という問題への答えです。

 林先生すごいな〜と言う人達に水を差すような言い方をしてしまって申し訳ありませんが、私は曖昧な精神論とか、一見すごそうに聞こえる意味のない話とかに誰も翻弄されてほしくはないのです。そこで「やる気」について少しだけお話しさせてください。

 「やる気」というのは脳が起こす現象の一つです。感情とか精神とか集中とか思考、意識、記憶、そういったものは全て脳が起点となって生じています。ということは、脳から「やる気」を紐解いていけば、何かしらのヒントがあるはず、と考えていきましょう。

 さて、少し専門的な言い方をすれば、やる気には2種類あります。
・内的動機付け
・外的動機付け
です。

 ちなみに多くの人が「やる気=モチベーション」だと考えてしまっていますが、実はそれは間違いです。モチベーションとは「外的動機付け」のことで、やる気にはモチベーションとは根本的に異なるもう一つのやる気が存在することをここで気づいていただきたいと思います。

 それは「内的動機付け」です。多くが知ることとなる成功者のほとんどは、モチベーションではなくこちらの「内的動機付け」の方に由来します。ダニエル・ピンク氏執筆、大前研一氏訳の『モチベーション3.0』で「ドライブ」と呼ばれているものがそれです。

 この2つがどう違うかと言うと、やる気が湧いてくる要因が外側にあるか内側にあるかということです。

 勉強が苦しいと思っている人の多くが苦しいと思う理由は、そのやる気が「きっかけ」がないと引き出されない点にあります。成功者たちが成功者たる所以は、やる気が勝手に吹き出してくるからです。頑張っているように見えないのになぜか成績が良い子たちというのは、頑張ることにきっかけを必要としません。だから勉強が苦しくない。

 勉強は苦しいうちは伸びません。苦しいというのはストレスです。ストレスは脳の一番の天敵。ストレスがかかると脳は萎縮し、記憶の定着が著しく低下します。だから苦しい勉強を続けても成績がなかなか伸びないのです。

 では「ドライブ」はどうしたら引き出すことができるのか。どうしたら勉強を苦しむことなく続けていくことができるようになるのか。そういったことから教えているのがアップスタディなのです。

 当自習室は無駄なことはさせたくない。林先生が言うように「やる気がないならやめてしまえ」と私も言うことがありますが、それは効率を考えるからです。やる気がない状態で勉強しても記憶の定着率が低いから、かけた時間だけの成果は得られないのが目に見えているからです。だったらやる気がない時はやらない、その代わりやる気が湧いてきたら一気に集中して頑張れば良い。そう伝えます。

 そもそも勉強にやる気が湧かないのは生徒が悪いわけではありません。全部大人が悪いのです。なのにやる気が出ない生徒を大人が叱るのはフェアじゃない。そんな資格もないし、そんな立場でもない。だけど放任するのも違うんです。やりたい子だけやれば良いよ〜やりたくない子はやらなきゃ良いよ〜なんてするのは単なる大人の責任放棄。それは違う。だから迷いながらも大人は子どもに勉強しなさいと進めるわけです。

 やる気が湧いてくるのを待ちますか?やる気には引き出し方がちゃんとあります。行き当たりばったりの人生はもうやめましょう。ルールがあるならルールに従うべきなんです。効率が悪いよりも効率は良い方が絶対良い。だったらやる気の出し方を知る方が良いと思いませんか?

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2016年3月5日土曜日

教育はどうあるべきか、なんて考える必要はない

最近色々考えさせられました。
自分とは違う考え方をする人と議論したりすると、自分の曲げられない部分がどこかとか、その人の考え方の何が気に入らないのか、もしくは逆にどこに大いに共感するのかを通して、自分の価値観が明確になっていくものですね。


さて、上に挙げたテーマ「教育はどうあるべきか」ですが、個人的には、こんなこと考える必要ないなって感じです、はっきり言って。
考えること自体は良いんですけど、所詮何もできません。
それは国が考えることですし、文部科学省が考えることであって、一般的な立場にある人は考えてどうにかできるレベルの話ではない。


将来自分がこんな教育に変えていきたい!と望み、そう考え今を努力するのは素晴らしいことです。
でももし、教育はこうあるべきなのにそうなってないのはおかしい!と今の教育を否定し始めて、その思いが強すぎるようになったら、たぶん勉強する気失せます。
現実的に考えて、あなたの人生上それは得ではないですよね。


あなたの人生において、今目の前の受験制度、教育制度で成果を出さねばならない以上、教育がどうあるべきかなんて抽象理論で時間を浪費する必要は全くないんです。
かなりざっくり言えば、目の前の制度にどう対処すれば自分にとって一番得か、そんな感じで考えた方がまだ現実的ではないでしょうか。


とりあえず「教育はどうあるべきか」なんて議論は、教育研究家、評論家、哲学者の方々に任せて、私たちはもっと現実的な目線で目の前の制度を攻略することを考えましょう。


そもそも、あるべき教育の形になることなんてあると思いますか?
誰かにとって理想的な教育になるだけで、全ての人にとって理想と言える教育なんてあるわけがない。
運良くあなたにとって理想の教育環境になるかも知れない。
でも、その確率はどのくらいでしょうか。


例えば、教育は変わるべきだとする議論が最近トレンドですが、本当にそうなんでしょうかって話です。
私はそうは思いません。


詰め込み教育を否定する論調が目立つのですが、詰め込み教育のどこに問題点を見出しているかが重要です。
知識偏重だから?暗記大会だから?
でもそんな教育の中からも優秀な子どもたちが育って社会に飛び立っているわけですよね。
教育制度そのものに本当に問題があるのでしょうか。


私はそうではないと思います。
むしろ詰め込み教育は全ての学びの基礎です。
知識があって初めて思考ができるのであって、知識の詰め込みをする前に思考能力を磨くことなどできません。
知識のない思考は「感情理論」ですから、下手すると主観的なモノの見方しかできなくなります。
そういう癖づけをされたら、客観視点を身につけ直すのは大変です。
でも、どうやら教育改革ではそれをしてしまいそうな予感がしています。


よく悪く言われるのが「教師が一方的にしゃべって生徒が聞く」という受け身の授業スタイル。
これは確かに機能しなくなるとかなり非効率に思えてきますが、これは聞く側の姿勢にばらつきがあるからです。
 「聞きたい人は聞けばいい、聞かなくてもいい人は自学を進めればいい」と割り切ると、そこまで悪いスタイルではないことが分かってきます。


そもそも1対多数の授業スタイルは、多くの生徒に同じ情報を一度に共有できるのですから、聞く側がしっかり聞けば理想的なシステムです。
問題は聞く側の姿勢にばらつきがあるから、聞いて欲しい先生サイドから見たときに管理が大変になる。
理解度もバラバラになる。


要するに先生が「みんなが俺の授業聞かないとダメなんだ(イヤなんだ)」とやることがダメなんであって、別に、聞く必要のある子は聞いて、それ以外は自分の勉強ができるという自由度が許容されれば、今の教育制度を変えることなく状況が改善できてしまう。
あとは個別にフォローすればいい。


だから、今の教育はよくない!教育そのものが変わらなくてはいけない!と問題意識を持つのは良いとしても、ちゃんと根幹にある本当の問題点に気づいていないと、変えても意味がないということになります。
優秀な子は優秀で、ダメな子はダメって構図は変わらない。
そしてそれは、正当な結果というより、結局受験制度と同じで要領が良いか悪いかです。
本当に制度設計の練り直しが必要なの??今の制度を変えずに改善する方法はないの?そう問うてみることが重要です。


特に教育制度は国の一大事業であり、一度壊してダメだったから元に戻そうとは容易にできません。
「ゆとり教育」でちょっとやらかしましたが、あれは制度そのものを変えずに行えたから詰め込み教育への揺り戻しがスムーズにできたのであって、でもあれでも被害にあった子どもたちは「ゆとり世代」という不名誉なレッテルを貼られてしまったくらいです。
あのちょっとした変更でも大きな影響を社会に与えるのに、制度そのものをガラッと変える試みが果たしてできるのか。
それこそ抜本的に変えるには相当な年月がかかりますし、その新教育制度を熟知した、運営能力十分な人材が現場に浸透していなければ機能しません。
以前あったように、電子黒板入れてみたら使える先生が少なかったんで、じゃあサポートできるスタッフを増員しましょう!なんて、アホでしょ(笑)
またこういうお金の使い方をしないようにしてほしいですね。


また、そもそも教育をどう変えるべきかなんて答えは、何年話し合ったって答えの出るものではありません。
理想の教育とは!?なんて議論しても、結局はそこに答えはないのです。
それに、ある人にとって理想的なものは、別の人にはそうではないわけですから、理想的な教育制度が構築されるのを待っていても、永遠にそんなものはできてきません。
「私が理想とする教育」が実現するのを待ちますか?
あと何年後に実現するでしょうか。
だから考えても無駄なのです。


ましてや、教育を変えようと思うなら、教育の原理なんて考えてもダメです。
教育だけを見続けても、変わるべき教育ビジョンなんて見えるわけがない。
見るべきは社会です。
内側ではなく外側に目を向けないと、あるべき教育の姿なんて見えてきません。
目の前の社会がどうなっていってるのか。
それが教育を構築する基準になる。
そして、私たち個人として教育の中でどんな成長ができれば良いか、ということの判断基準は「教育原理」ではなく「社会が求める人材」です。
だから原理原理と抽象論を考えるのは、そういうのが好きな人に投げとけばいい。
私たちがすべきは、目の前に立ちはだかる課題に対して、どう対処すればスムーズに乗り越えていけるのか、そもそもこれは乗り越えるべき課題なのかを考えることです。
結果乗り越えるべきと思えば、乗り越え方を考えて、乗り越えるべきものではないと思えば他の選択肢を模索する。


大事なことは、「教育はどうあるべきか」ではなく「自分はどんな教育を受けるべきか」を考えることでしょう。
そして、その受けるべき教育を選びとっていけばいい。
目の前に理想の教育環境が転がり込んでくるのを待つのではなく、自分にとって必要な教育環境を自ら探して飛び込む。
そこにある判断基準は「自分が将来何を望むか」でしょう。
教育の原理なんて考えたって答えは出ない。


もっと言えば、「教育」ではなく「自分はどうあるべきか」を考えれば良いのですね。

2016年3月4日金曜日

勉強でどうやって自由になるか

今回 「自由」というものをものすごく考えさせられました。
 「自由」とは何なのかと。


ある先生は自由には他者からの承認が要るのだと言われますが、私は別に他者の介在なく自由を感じることはできると考えています。
周囲がどうこうじゃない、自分が感じるものが「自由」である、と。


自由論と格好つけましたが、勉強を通してどうやって自由を実現するのかということを改めて考えてみたので、それを少しお話ししますということです。


自由ってどういうものかというと、束縛されていない感じですよね。
何かに制約されることなく自分の意思や意志で動ける時に感じるもの。
そこに他者は存在していません。
存在していても良いのですが、必ずしも要りません。
自分が感じるか感じないかです。


勉強というのは時代に応じて求められるものが変わっていきます。
それは学校で、ということではなく、社会にとってです。
学校は常に時代遅れの世界です。
社会のニーズが感知されてからそこに焦点を合わせようとします。
が、結果後追いが追いつきません。
制度や現場そのものはコロコロ変えられるものではないからです。
でも、社会はコロコロ変わっていきます。


他者の承認ありきの自由だとすれば、それは全く自由ではありません。
他者に制約を受けるからです。
何ものにも縛られない、制約されない感覚が自由です。
だから自由とは自分の在り方如何に関わる問題です。


とすれば、この2点から導き出される自由の獲得条件は
①自分の価値観を明確にする
②学校ではなく社会の情報を集める
ということになります。


勉強は、それ自体が目的ではありません。
手段です。
自由になるための手段なのですから、それだけを見ていたらダメです。
見るべきものは「自分」と「社会」です。
そして「自分」と、「社会」の中にある自分の望み(目的)をどう繋げるかです。


学校というのは社会に出ていく前の準備機関です。
社会に出た時に困らないように「何か」を準備する場所です。
でもその「学ぶべき何か」を学校に丸投げしていると、学校の在り方に制約を受けます。
制度や現場がコロコロ変われば自分もコロコロ振り回される。


でも、見ているものが「自分」と「社会」であって学校や勉強でないなら、コロコロが気にならなくなります。
どんなに目の前の学校や制度がコロコロ変わっても、その手段をどう使えば自分の価値観と社会を上手くつなぎ合わせることができるかが分かれば良いからです。


こんな話があります。


ある旅人が旅の途中で作業現場に通りかかります。
どうやらレンガを積んでいるらしい。
その旅人は作業している人に尋ねました。
「あなたは何をしているのですか?」
すると、最初の人はこう答えました。
「見れば分かるだろう。レンガを積んでいるんだよ」
次の人はこう答えました。
「ここに教会が建つんだよ」
そして最後の人はこう答えました。
「私はキリスト教の布教をしています」


この話で分かるのは、同じ作業の先にどこまで自分の「望み」が見えているかです。
単調で退屈な作業も、その先に自分の目的が明確にあるのなら、ただの作業ではなくなる。
目の前の知識が取るに足らない、人生に役に立たないものに見えるのか、自分が欲しいものを得るために乗り越えるべき課題に見えるのかは、「自分」と「社会」が見えているかどうかに因ります。
そして、乗り越えるべき課題に見えるのなら、乗り越え方を考えればいい。
その先に自分の望み(目的)が見えないのなら、乗り越えるべきものなのかどうかを一度じっくり考えるといい。
勉強が全てではないというのはそういう意味です。


「自由」とは何なのか。
それは何ものに縛られない感覚です。
縛られないためにはどうするか。
それには「自分」と「社会」をよく知ることです。
その間にあるものは全て「手段」です。
手段に振り回されてはいけません。
「自由」とは、自分がどう在るかです。


そして、さらに付け加えるならば、自由になるためには「社会がどうあるべきか」なんて考える必要はない。
そんなことを考えても、あなたがあるべきだと思う理想的な社会になんて絶対にならないから。
なるにしても、いつなる?
なるまで待つのですか?
それは自由ではないですよね?
「時が来る」「社会が理想的な形になる」ことを待つことしかできないなんて、全然自由ではない。


待ってる場合じゃない。
今目の前にある不自由な社会、理想的とはとても言えない社会の中でどう「自分」と「目的」を繋げられるかです。
だから社会がどうあるのかの情報が要る。
今はこんな社会で、これから社会はこうなっていく。
だから自分の望み(目的)はこう流されていく。
そうやって、将来の中に自分の望み(目的)を常に追いかけていくから、目の前の現実に流されないでいられるのです。
今は別にいい。
将来のための手段だから。


船の舵取りみたいなものですね。
荒れ狂う波を駆け抜けていくにも、遠くの灯台の灯り目がけているから目の前の天気とか風向きとかへの対処法が分かる。
目は遠くを向けたまま、手や頭は全力で今に対処しているというか。
でも目指す先はずっと認識し続けているから、「この波を越える」ことが苦にならない。
それを乗り越える以外の選択肢がないからです。
こういう時の感覚って自由でしょう。
そして自分の望み(目的)を達成するのに他者の承認なんて要らない。
自分がどう在るか、それだけです。


「自由」。
う〜ん、深いテーマですね。

2016年2月11日木曜日

エデュケーション3.0


久しぶりに投稿します!


3/1に新しくスタートを切る『自学自習空間UP STUDYアップスタディ』オープンに伴い、改めて私の立ち位置を明確にしようかなと思います。


まずはじめに言いたいのは、学生の皆さんはほとんどの方が無駄な勉強をしているってことです。
その無駄をやめるだけでも勉強効率が飛躍的に向上するというのに、「頑張るというのはこういうことだ」とばかりにしがみついてしまっています。
それは塾のせいでもありますし、教師や塾の講師、教育者と名乗る方々が勉強のやり方をあんまり分かっていないってことも関係しています。
大人たちがあれもこれもと無責任に色々な情報を垂れ流すせいで、何も知らない子供たちは「それが正しいんだ」と判断するしかなく、結果的に余計なことを色々させられているってパターンが目立ちます。
だから無駄な作業が増えて、結果的に頑張っても伸びないってなってしまうのです。
その状況をなんとかしたい。


そのために立ち上げたのが『アップスタディ』です!
以前『ブレイクスルー・アカデミー』という塾を立ち上げましたが、それをさらにパワーアップさせた環境です!


ではどうパワーアップしたのか!?
それがこちらです!


勉強効率をアップさせるためには、
①無駄なことをやめさせて
②効率的な勉強方法を教えてあげる
という2段階のサポートが必要だと思うんですね。
さらにそこに、授業やテキストではなく、質問体制の充実を取り入れる。
ツールは十分現場にあふれています。
これ以上要りません。
でも、質問したいんです。
分からない時に対応できる仕組みが本当は重要で、それが東進衛生予備校などでも問題視されていたわけです。
良い授業があっても質問できない、と。


そこで『アップスタディ』では今後その「質問システム」を充実させていく方針を取っていきます。
勉強のやり方が分かり、質問も自由にできるようになれば、子供たちは自分で自分の勉強に行き着けるようになるはずなんです。
でも、そんな環境は今のところありません。
学習塾も個別指導も「ガツガツ課題を出して物理的に勉強量を増やさせる」ことしか考えていません。
だから学校以外に授業やテキストを強いてくるわけですが、それがそもそもの間違い。
負担を増やして効率が上がると考えるのはナンセンスなんです。


明治時代以降の学制発布による教育体制が<エデュケーション1.0>、近代に入り教育現場が試行錯誤の中で運営されている詰め込み教育時代が<エデュケーション2.0>。
今後採用されるであろう教育改革や、それに伴うアクティブラーニングやPBLやICTといった技術や無料授業配信といったトレンド、英語教育や文化教育、人間力の育成という新しい教育視点も、私から言わせれば<エデュケーション2.1>です。
現在の教育をベースにして、その延長線上に便利なグッズを色々と増やしたところで、今の教育における様々な問題は解決しません。
むしろ悪化する危険性さえあります。


でもそれは一見ポジティブな変化が起きているという表面的な変化の中で見過ごされて、数年後に時間差で明らかになる類のものでしょう。
だから今の時点で気づくしかないんです。
これではいけない。
何かがおかしいって。



そのためにも早急に理想をカタチにするしかないと考えて立ち上げたのが『アップスタディ』です!
でも重たく考えないで下さい。
成績を上げることがこんなにも簡単なことだったんだってことに気づいてもらえる環境、くらいの認識でいて下さい。


そもそも今習っている勉強の内容なんて、大人になったら使いません。
知識が重要じゃないんです。
でも多くは知識の習得に四苦八苦させられている。
今の教育者の多くが、そういう勉強をしてきたから、そういう勉強をすること前提のアドバイスしかできないわけです。
だから子供たちも「勉強とはそういうものだ」と思わされている。


違うんです、前提が。
勉強を誤解しています。
その誤解を早く解かないと、大切な時間を無駄に浪費してしまうことになってしまう。
だから私はそんな状況を解消したいんです。


。。。と、また熱くなっちゃいましたねf(^ ^;


とにかく、これから全く新しい勉強サポート体制<エデュケーション3.0>を仕掛けていきます。
これが全国に浸透し、スタンダードになることが私の願いです。
子供たちが今、20年後の将来に直結した努力ができるようにお手伝いするのが、私たちの使命なんです!

2015年9月9日水曜日

人間としてのアイデンティティを超える準備を

昨夜『魔女の宅急便』を観ました。
この歳になると子どもの頃とは別の色んなことを考えます。


キキは途中魔法が使えなくなってしまいますよね。
女の子が13歳で独り、見知らぬ街に修行に出てきて、
自分の最も大事な、そして唯一のアイデンティティを失ってしまいます。
あの時の彼女の不安は想像に難しくない。


でも、今の人類もまた、同じ危機にさらされています。
シンギュラリティの到来です。


2045年には、
全人類の知能をコンピュータが超えてしまう
と言われていますが、
おそらくそんな遅くないと思います。
コンピュータが人類の知能を超えたとき、
人類は初めてアイデンティティを失う事になると思うんです。


創造力は人類だけの特権だと言われていますが、
創造力とは情報の統合力の一種なので、
IQ4000を超えるコンピュータの範疇内だと私は踏んでいます。
とするならば、本当に人類としての存在意義とは一体何なのか。
もっと言えば、私たち一人ひとりが、
自分であることの存在理由をどこに持てるかが重要なのだと思います。


ただ、キキの場合はトンボの命を救うという
絶対命題が目の前に降って湧いたので、
半強制的に魔法を使わざるを得ない状況になりました。
結果スランプを自身の力で乗り越えました。
それと同じ事が、私たちにも起こると思うわけです。
しかし、そこを乗り越えるための準備をしておく必要があります。


それが今受けるべき教育です。


何か途方もない壁に行く手を阻まれたとき、
そこで馬鹿力を発揮しようと思うか、
戦うよりも他の誰かの助け待つ事を選ぶのかは、
今どんな教育を受けるかに因ります。
また、前者を選ぼうとしても、
実力のMAXが問題を乗り越えられるだけの
ポテンシャル以上の水準を満たしていなければならない。


何も深く考えることなく、
学校の成績を良くしましょう、
○○大学に合格しましょう、
偏差値を10上げましょうなんていう
不毛な勉強を何年続けても、全くの無駄です。
文部科学省の改革を待っていても100%手遅れです。
5教科7科目の知識を一生懸命身に付けても
意味がないんだということに、
多くの人は気付いているのに、
それでも今までのようにひたすら知識暗記に邁進する子どもたちの姿は、
本当に恐いものがあります。
それを後押しする親も、
そういった親に迎合する教育業界も同じです。
知識が頭から消えたとき、
一体何が残ると言うのでしょうか。


だから考えなくてはならないのです。
自分の頭で「なぜ勉強するのか」「何を勉強から得るのか」
そういった明確な問題意識を持たなくてはいけません。
どうやったら成績が伸びるのか、
そんな低レベルな話ではない。
どう勉強に取り組めば満足度の高い人生を送れるのか、
それを考えなくてはならないのです。


私は、いつか消えてしまう知識というもののために
人生を投資することがどうしても納得いきませんでした。
きっと他に私が身につけるべきものがあるから、
国は私に勉強させようとするのだと考えました。
その答えに行き着くまでには何年も掛かったけれど、
あそこで私の人生は決まったのです。


だから、是非あなたにもそのことを考えてほしいのです。
いつか必ず私たちは自身のアイデンティティを喪失するような危機を迎えます。
その時のために今から必死に考えて生きましょう。
今しかそれはできません。
昨日までのことなんかどうでもいいのです。
今日、今が大事です。


数十年後の将来、
時計台に衝突しガス漏れをしていく飛行船から落ちかけているのは、
誰かではなく、あなたなのかも知れないのですから。