2014年12月18日木曜日

あなたのそれは依存症ではありませんか???



何かをしてもらうことに慣れると、気付かないうちに依存体質になってしまいます。


先日生徒さんにこんなことを言われました。


「この教室って緊張感ないですよね」


そうなんです。認めます。
うちの教室には緊張感はありません。
私自身にもさほど緊張感はありません。
でも、その言葉を聞いた時に、この問題の根深さを考えました。
子どもたちの多くが、誰かに緊張感を持たせられなければ緊張感を持てない状態にあるということです。
そしてそのことに生徒本人が気付いていないのです。


このことは、その後教室の方で授業形式でお話ししました。
ちょっと心配だったので。


誰かに、何かに依存している人は、その自分の依存状態に気付かないことが少なくありません。
そして、周囲もそれを望み、普通のことだと思ってしまっている節があります。


例えば、わかるまでできるまで徹底指導します!と謳う塾などがそうです。


塾は勿論点数を伸ばし成績を上げるサービス業なので、それを顧客である保護者の皆さんは望みますし、そうやって何から何まで手取り足取りでやってもらえる方が生徒も楽でしょう。
だから大手塾も緊張感を煽り、カッコいいキャッチコピーで集客を図るわけです。


でも、私は、そこにすごく違和感を感じてしまいます。
オリジナルテキストを配り、授業をし、宿題を出して、できれば褒め、できねば叱り、緊張感や焦りを煽って「あと何日!あと何日!」とケツを叩く塾が多いのが現状なのですが、私からすればそんな勉強の仕方はまるで家畜と一緒にしか見えないからです。


進撃の巨人の観過ぎだと思われるかも知れませんが、そんな風に、自分で考えもせずに出されたものを次から次へと消化するだけなら、それは家畜です。
そして、それを保護者の皆さんや生徒さん自身が望んでいるかも知れませんが、社会はそんな教育で育った人間など望んではいないのです。
それが塾が現実社会と乖離している一番の原因です。
そして、塾が一教育機関として明確な認識を持たれている以上、その乖離はダイレクトに子どもたちに影響します。
結果、現実と乖離した若者が育つのです。


生徒さんには話をしましたが、誰かに緊張感を持たせられないと自分を奮い立たせることができないままでは、その他大勢にしかならないし、その他大勢にしかなれない勉強に意味はないと説明しました。
この教室は決して手取り足取りはしないし、こっちは手を差し伸べて待ってるだけで、掴んでくれたら引っ張り上げるけど、こちらから掴みに行ったりはしないよ、と。
だから、緊張感はないけど、実は結構厳しい環境だったりするんだよと説明しました。


それから、皆は「自分はできるのにできないだけだ」と考えてほしいと伝えました。
前提を間違ってはいけないと。
「自分はできない」ではなく、「自分はできるはずなのに、どうしてできないんだ??」と考えることで、具体的な阻害要因除去の思考が働きます。
この差が実はでかいんです。


今の子どもたちに、本来の「自分が今勉強している意味」に気付いてもらえるよう、もう少し発信していかねばなと感じた出来事でした。

2014年12月17日水曜日

想定外に対処するには



この世は本当に
いつ何が起こるか分かりません。
でも、起きてしまったことに反応していかねばならない運命です。
起きてしまったことを嘆くよりも、
それをどうひっくり返すかを必死に考えるべきでしょう。


どんなに完璧な準備をしても
想定した通りになるとは限りません。
それでも万全を目指して準備をすること。
時には割り切り、時にはしつこく、
時には無我夢中で、時には無視。
受け入れ方にもバランス感覚が必要です。


反応の精度は感情外で左右されます。
ショックなことが起きても、
もともと欲しかった結果と現状を照らし合わせて、
辻褄を合せるにはどうするかと考える。
できることできないことあるでしょうが、
まずはそんなの無視して理想な状態は何なのかを考えます。


理想が明確にイメージできてから、
現実的な観点から妥協せざるを得ないものを
一つ一つ吟味しながら削っていくのです。


これを逆にすると全く違う結果になります。
最初に現実的な目線でものを考える癖を付けると
もはや夢など持てなくなるでしょう。
全てが超えられないハードルにしか見えなくなる。
そうなると世の中はさぞ重たい世界になるでしょう。


トラブルは徒党を組んでやってくるもの。
でも、そんなものに一々感情乱されてたら
できることもできなくなります。
まずは落ち着いて感情回路を切り離し、
思考回路だけに集中できる状態になって下さい。
そこから論理的に考えずに
理想論から入るんです。


想定外のことが起きた時、
その事象にどう対応できるかは、
日頃からどういう発想、
思考で事象と関わっているかにかかっています。


世の中は何が起こるか分かりません。
ご覚悟を。。。

2014年12月13日土曜日

起業家になることよりも大切なこと



起業家になることには、
起業家になることそのものよりも、
もっと大事なことがある気がしています。


FBとかでは特に、
起業家になろう!起業家はいいよ!
みたいな煽りをよく見かけます。
私も起業家のはしくれなので、
起業家という生き方は素晴らしいものだと思うんですが、
立ち位置は少し違います。
どう考えても就職する方が
起業家になることよりも“効率的”だからです。


私は当初、起業家と企業家を天秤にかけて、
起業家の方が良い、という表面的な考え方をしていました。
しかし、
起業家であること自体には大きなリスクが伴うものです。
企業家であることにもリスクはありますし、
どんなリスクを選ぶかという話にもなります。


でも、自由で有意義な人生を送る上で、
必ずしも起業家の方が優れているかというと、
そうでもありません。
効率重視の私からすれば、
給料ももらえて看板も使わせてもらえて、
小面倒くさい会計処理は人がやってくれて、
最初から組織の中で色々学ばせてもらえる環境である
企業家の方が、
理屈上ははるかに生き方として効率的なんです。


起業家になったら全部自分でしないといけなくなります。
責任ももちろん自分で負うわけです。
何もかも最初から創り上げないといけないわけですし、
これから起業をしようとする人にとっては
危ないことだらけですよね。
冷静に考えたら、
私もよく起業家という道を選んだもんだと思う時もあります(笑)


でも、起業家になることそのものよりももっと大事なのは、
起業家マインドを持つことだと思うのです。
起業家マインドさえあれば、企業家であってもイイわけです。
生き方が確立されていれば、
余計なリスクを負わすとも自分の理想を実現できます。
むしろ自分の理想の実現のために
就職という道を利用する発想になるでしょう。


私は教育者なので、常に中立であろうと思っています。
何かに偏った見方をしていては、
生徒さんに必要な答えに導けないと考えているからです。
自分が起業家だからといって、
その素晴らしさばかり強調していても、
それは真実ではありません。
乗り越えねばならない壁は確かにあって、
それを乗り越えられるかはその人次第だからです。


つまり、どんな道を歩むかという話ではなく、
どんな生き方をするのか、
そのマインドの部分さえちゃんと持っていれば、
起業家とか企業家という違いは
さほどないのではないかと思うのです。


私は今後、学習塾事業に加えて、
有料自習室運営や就職支援の方向にも舵を切っていきます。
生き方の一つに起業家というものもありますが、
まずは就職活動、
採用活動の健全化を図ることの方が先決です。
この世には、いえ、
この日本にはまだ直さねばならない問題が山ほどあるのです。
それをこれからも一つ一つ取り組んで
是正していけたらと思います。


どれを選ぶかの前に、何を基準に選ぶか、
その選択肢そのものをもっと健全化できないかと
常に考えながら、
自由と理想を実現していきましょう。


2014年12月10日水曜日

思い込みというブレーキから足を外す時



何かで世界一になりたいもんですね~


人は思い込みの世界で生きています。
「自分が東大に受かるわけない」とか
「どうせ自分の成績はこれくらいだ」とか
「あいつは天才だから」とか。


でも、その思い込みを
「俺にもそれくらいできるだろう」とか
「私だって普通に頑張れば東大受かるし」とか
「自分の天才的才能を引き出せるんじゃね!?」みたいな
良い方向の思い込みにできたらいいのにって思います。


脳は意識の制約を受けますから、
「自分にはできない」と思えば
「できない理由」ばかりを認識にあげようとしますし、
「なんとかなるんじゃね?」と思っていれば
「なんとかなる方法」を脳がキャッチしてくれるものなのです。


結構シンプルだけど、
なぜか自分の思い込みから抜け出したくないって人が
多いような気がしています。


私も正直最初からそうだったわけではないんですが、
苫米地英人さんの本と出会って読みまくっているうちに
そうすることの重要性に気付き、
また、実感を伴った変化ができたんです。


自分の性格とか、境遇とか、歳とか、
そういうブレーキになる現状認識をやめて、
全くのゼロベースで自分の理想を考えてみたら、
きっと今してる大いなる“損”に気付けるんじゃないでしょうか。


起っちゃったら仕方ないじゃん。
何とかなるど?
それが私の思考回路。
あとは何とかする行動と
何とかなるまで考え続けることさえできれば、
世の中大抵のことは何とかなります^^


もっと自分にとって都合の良い思い込みをしましょう。
今日も後半戦頑張ります☆

2014年12月8日月曜日

自分がアホだと気付くところから成長が始まる



リーダーっていうのは
別に周りに人が集まる人のことだけを指してるわけじゃない。
失敗っていうのは
自分の思った通りにならなかったことを指してるわけじゃない。


全ては高校数学の論理と集合の話です。
A→BとB→Aは同値とは限らない。


勉強に価値があると見なされるのは、
自分の立っている土俵が学校や受験だからで、
お金に価値があると見なされるのは、
自分の生きている社会が資本主義社会だからです。


業に入っては業に従えという言葉があるように、
自分が今どの土俵の上で闘っているのかを
把握してモノを言い、考えねばなりません。
お互いが自分の立ち位置を不明瞭にしたまま
争うことほど不毛なものはない。


色んな考え方があります。
tsuはダメだとか良いとか、
選挙に意味ないとか行くのが義務だとか。
でも、どれも間違っていない意見です。
どれが正しいということもありません。


ただ、一つ間違っているとすれば、
「自分の意見が最もまともだ」と思い込むことです。


私にも勿論あります。
どう考えても自分の考え方が一番最もだと思う時が。
でも、それをFBで放てば波風が立つ。
だからあんまり言いません、ここでは。
こっそり温めて実現してから真を問います。
もしくは、どうしても言いたい時は
反論覚悟でぶっ放します(笑)




世の中に正しいことなど一つもないというのが
昔からの私の持論です。
あるのは「自分にとっての現時点での最善解」に過ぎません。
でもそれをお互いに投げ合って、
自分とは違う意見の人間を平然と否定してみせて、
その上で相手の言い分を受け付けない人間も
FBの中には散見されます。
そういうのは見ていて不毛です。
言い逃げとか、やめてほしい。
せめて反論を受け止めるだけの覚悟で投げてほしい。
議論しましょうよ。
楽しいのに。


なんでこんな話をしているのかっていうと
自分のアホさに気付いたからです。
すぐには直せないとは思いますけど、
このアホさを直せば自分はもうワンランク上に行ける気がします。


人の成長は
「あ~なんて自分はアホなんだ!!!」
と気付くところから始まると言われています。
ウソです。
今私が勝手に作りました。
でも本当にそう思います。
自己否定できぬ者に成長などあり得ないのです。


でも逆に、自分のアホさ加減に真剣に向き合えれば、
きっと次のステージが見えてくる。
そう信じています。