2015年5月30日土曜日

前提は何か

BTTの授業でも先日お話ししたテーマで

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

前提を忘れてはいけない

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

というものがあります。


私がなぜ今勉強のプロと名乗るかというと
それは勉強の仕組みを理解したからです。
勉強に闇雲に取り組んでいるうちは
頑張っても頑張っても
なぜか手応えがなく
成績も伸びていきませんでしたが、
理屈で突き詰めていくと
ちゃんとそこにはルールがあって、
そのルールに則って取り組めば
自ずと欲しい結果が手にできる
ということが分かったのです。


その仕組みを考える上で重要なのは
前提が何かということです。


「勉強」という言葉だけを取り出せば
そこには子どもサイドと大人サイドが
別々の意味を込めて使っていることに
気付くことでしょう。


子どもたちにとっては主要5教科でしょう。
授業があってテストがあって
点数が出て受験があってといったものです。


しかし大人の言う勉強とは
生きるための学びを指します。


つまり、両者は全く別の意味で「勉強」という言葉を
使っているのです。


ここが実はとても重要で、
勉強とはそもそも際限のないものですから、
子どもたちが「学び」として勉強に取り組むと
とんでもないことになります。


なにをどこまでやっていいのか分からず、
ペース配分も分からないまま
走り続けなければならないのです。


しかし、主要5教科の勉強となれば
話は別です。
そこには明確なゴールがあって、
守らねばならないルールがあるので、
なにをどこまでやればいいかが
ハッキリ分るはずなのです。


にも関わらず、
守るべきルールも意識しないうちに
果てのない大地に駆けだしてしまえば
途中で迷子になって当たり前です。


まずは勉強には前提があることを
思い出しましょう。


ちなみにこれは「小前提」です。
この下にはもっと大きな括りでの
「中前提」があります。


少し抽象的になってきました。
例を入れましょう。


この世界は「地球」です。
私達は地球という球体の惑星に住んでいます。


その地球上にはいくつか大陸があって、
その大陸上にはいくつもの国があり、
それぞれの国が独自のルールを持っています。


日本人として生きるということは
日本の法律の下で生きるということ
なのですが、
もっと大きな前提を考えれば
国を越えて地球人として生きている
ということになります。


それと同じで、
勉強という行為を行うというのは、
少なくても小中高大というレールを走るという意味であって、
そのレールは受験制度や教育制度といった
「小前提」の上にあるということです。


そして、それはあくまでも大陸の一部にある
一国に過ぎず、
他にも色んな「小前提」の世界があるわけです。


スポーツであったり音楽であったり
武道であったり芸であったりするのです。


そして、それらの国々は大陸である
資本主義という「中前提」の上にあるということです。


他にも社会主義などもありますから、
大陸も一つではないということですが、
それらの大陸も地球にあたる生活という
「大前提」の上にあるのです。


ということは、
勉強のルールは受験制度や教育制度という
前提を意識して初めて明確になりますし、
でもその先で大人になったら
自分は資本主義社会で生きることになるという
もっと広い意味での前提も忘れてはいけないわけです。


その点をあまりに多くの子どもたちが
認識せずに大人になってしまうという点が
大いに懸念材料となり、
今の教育改革の引き金になったわけです。


ちょっと小難しく聞こえるかも知れませんが、
今日の話はかなり重要です。
是非忘れずにいてほしいと願います。

2015年5月29日金曜日

その日、その時間の”ベスト”に賭ける

目標を持つことは重要です。
常に将来のビジョンを明確に意識し、
そこに向かって努力を続けるというのが
頑張り方のセオリーです。


また、過去の成功をモチベーションに活用するのも
一つの方法かも知れません。
あの時の俺にできたんだ、
今の俺にもきっとできる!
こうしてセルフイメージをしっかり持つこと。
結果を出すには欠かせないことです。


そうしたことを踏まえてなお、
今日言いたいのは

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

今この瞬間の自分に集中しろ

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ということです。


将来というのは「未来」です。
未だ来ぬものが未来です。
つまり、本当にそうなるのかどうか
分からない部分があるものです。
すると不安になったりします。


また、過去とは過ぎ去りしものです。
あの時の自分と今の自分は違いますし、
あの時のことと今のことは違います。
つまり、あの時できたことが
また今もできることを保証してくれはしないのです。


冷静に考えてみると、
未来への展望や希望も、
過去の栄光や成功も、
何一つ今の自分を保証するものは
ないということなのです。


どうしてこんなネガティブな話をするかというと、
このように物事は「解釈」の問題であって、
生きれるのは今しかないからです。


今が確実にベストな状態にあれば、
実は過去も未来もベストな解釈になります。


これは以前仏教を勉強していた際に
先生から教えていただいたことなのですが、
将来が不安な人というのは、
実は「今」が不安だから
未来を不安視してしまうのだそうです。


逆に言えば、
「今」に全く不安がなければ
将来を不安がることはないはずだ、
と言うのです。


確かに、と思いました。


今が最高ならば、
これまでも最高だったから
今の最高に繋がったのだと思えますし、
今が最高なんだから、
この最高のまま努力すれば
未来だって絶対最高じゃん!
と思えるはずなのです。


ということは、
良くても悪くても
過去の自分や結果に囚われず、
どんなに実現したい
理想の目標があったとしても、
その目標からいったん目を離し、
今目の前のことに集中して取り組むことが
実は本当に重要なことなのです。


私は最近そのことを実感として感じました。


逆立ちしても叶えられないような
バカ高い目標を常に思うと、
今よちよちレベルでしか成長できていない
情けない自分を責めたくなってしまいます。
焦らせたくもなるものです。


しかし、今のこのよちよちがなければ
この先で走ることだってできません。


ニーチェの言うように、

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

いずれ飛びたいと願う者も
いきなり羽は授けられない。
まずは歩くことから学びなさい。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ということです。


残り230日ほどでセンター試験ですが、
今全然目標に届いていないからと言って、
ダメだダメだ俺なんか~!!!
とネガティブになっていたら
全く勉強にならないわけで、
まずは自分のレベルに応じた内容から
確実に取り組んでいかねばなりません。


それがたとえ小学生レベルの計算練習でも
合格したいなら戻ってやるべきなのです。


でも焦るとすぐ結果を求めて
今使ってる教科書から離れられない。
だからいつまでも伸び悩むわけです。


明確な目標は必要です。
でも努力するその瞬間その瞬間には
いったん忘れて努力そのものに
集中しきることが不可欠です。


その時間のベストパフォーマンスの積み重ねが
確実な成長を促し、
目標への一歩を進めてくれます。


今を、もっと大事にしましょう。

2015年5月28日木曜日

自分に合った学び方を選択できるような教育環境が、求められています

先日5/26に行われたTED×Kids@Chiyoda。
そこでの松谷知直くんのスピーチが
話題になっています。
http://spotlight-media.jp/article/152241398098350293


そこでは、自分の発達障害が原因で
学校での学びの“決まり”についていけず
挫折しそうになったという話がされていました。


学校側が一切の理解を示してくれなかったため、
彼は自分に合った学習法がないかと
別の可能性を模索し始めます。
その結果出会ったのがiPadでした。


しかし、iPadを持ちこむことにすら
学校側は当初許可をくれなかったそうです。


まぁ、こう言ってしまうと
学校側が悪者になってしまいそうですが、
国の教育機関が
学ぼうとする者にこのような対応をし、
その意欲を削ぐのであれば、
それは本末転倒なわけで、
ちょっと対応が悪いなと感じます。


そういえば以前勤務していた塾では
ネットで調べることすら禁止でした。
こんな時代遅れな塾があるのかと
バカらしくなりましたが、
それと同じくらいに
融通の利かないのが学校です。


当アカデミーに通ってくれている生徒さんの
学習指導のために
1週間の時間の使い方をヒアリングしたところ、
学校からの宿題が多すぎて
プラスαが入れにくい(汗)
という状況が分かったケースがあります。


さらに突っ込んで聞いてみると
学校での成績分布が見事に
ふたこぶラクダになっているそうです。


これは要するに
学校のやり方について行ける子は
成績上位層に偏り、
学校のやり方が合わない子は
成績不振層に偏るという構図です。


もしこれが塾ならば、
やり方が合いませんからと辞めれば良いのですが、
学校でこれをされると悲惨です。


1日の半分以上を学校に投資するのですから、
学校が自分に合わないというのは
致命的です。


ただ、今回の子のように
イレギュラー対応が必要なケースに
今の学校が対応できるような仕組みが
まだ確立されていません。


マニュアルを外れた対応が
どこまで自分の裁量内でできるのか、
学校側はその生徒のどこまでを
許容範囲にするのか等、
どこかで線引きをせねばならないはずなのですが、
それがまだ教育現場で
整備されていないのです。


つまり、学校にはその学校のやり方がある。
塾にはその塾特有のやり方がある。
そのやり方に合う子は伸びて
合わない子は伸びない。
そういうことになっているのです。


そこにおいて今回の松谷くんの主張は
ある種の問題提起になったのかなと感じます。


勿論、発達障害のある子が散在するよりも、
そういった子が通う別の枠のスタイル
(例えばフリースクールのような)
があると、
その学校だけは特殊なルールで
生徒に応対しても良いとして
問題が解消しやすくなると思います。


別のニュースでは
この不登校の子たちが通うフリースクールも
義務教育化しようという動きもあるようですし、
特別学校(ネーミングはイヤですが)の
義務教育化が認可されれば、
教育現場の多様性が生まれて
今の概念が覆るのではないかと
勝手に思っています。


個人的には携帯のように
ガラパゴス化してしまう気もして
ちょっと心配な点もあるので、
ここは”学校”というコンセプトそのものが
完全にパラダイムシフトをして、
現行マニュアルの撤廃の下、
全ての教育機関が
柔軟に生徒対応できるような
抜本的な制度改革が
必要なのではないかと思います。


ここでの最大の問題を挙げれば、
一にも二にも人材育成ですが。。。


この松谷くんのような
発達障害を持つ子に限らず、
普通は皆それぞれが
自分なりの勉強法を持っているはずで、
学校や塾のような画一的な環境では
効率的な勉強はできないものです。


どこかで何かを合わせながら、
その不自由な制度の中で
精いっぱいの努力をする、
みたいな。


でも、瞬発力がある子もいれば、
コツコツ努力するのが向いている子もいるし、
性格も価値観もバラバラなんだから、
皆それぞれが
自由に勉強できる方が
絶対効率ですし、
楽なはずなんです。


でも多くの子どもたちが
自らを不自由な鎖で縛りつけて、
先生の指示に従うだけになっている。


だから逆に自分で考えようとする子が
横並び教育から外れて異端児扱いされるのです。


これではいけません。
今の日本はどこの国よりも、
自分に合った学び方が選択できる教育環境が
求められているのです。


2015年5月27日水曜日

かつての「B層」のようになるな

2005年郵政民営化草案に関する
歴史的な選挙がおこなわれました。


当時の首相はかの小泉純一郎氏。
小泉劇場とまで言われるほど
彼の政権時代の内閣は
注目を集めていました。


郵政民営化は小泉首相の進める
郵政改革の肝でもあり、
どうしても成し遂げたい案件でも
ありました。


そこで彼は何をやったのかと言うと、
解散総選挙を実施したのです。


つまり、国民に信を問うという名目で
郵政民営化ありやなしや!
という二者選択を国民に迫ったのでした。


この際に生まれたのが
「B層」という言葉です。


これは投票する人々の中で
比較的IQが低く、改革には中立ないし賛成、
詳しいことはよくわからないけれど
小泉首相のキャラクターが好き、
みたいなテンションの人々の層のことを指しています。


ある種の差別用語みたいなものですが、
この層をどう取り込むかで
選挙の結果が左右されると言われていました。


さて、先日のニュースでも
この6月頃には決定検討案として
18歳から選挙権を得て
投票できるようになるとのことですが、
私個人としては
どうしてもB層が増えるだけという印象があります。


勿論中には政治に関心があり、
真剣に考え投票するという
意識の高い若者もいるでしょう。


しかし、そういった若者はごく少数でしょうし、
ほとんどは“なんとなく投票”になるのかなと思います。


逆にもしこの若者層が
積極的に選挙に関わりだしたら、
若者にも良い政治が
実現するかも知れません。


インターネット世代の若者たちが、
サイバー社会の住人たちが、
ネット選挙などで本格的に政治に関心を持ち始めたら
今の状況とは少し様相が違ってくるでしょう。


一方で、視点を今に戻してみると、
今の学生たちは自分の行動圏内のことくらいしか
知らないレベル。
主要5教科しか目に入らず、
現在の日本の状況や
世界で何が起きているのか、
どんな人が活躍し、
どんな出来事が起きて、
これからどんなことが起きようとしているのか、
そういったリアルタイムの情報が
全く入ってこない状態で勉強しています。


未来のために勉強している子どもたちが
今のことにすら注意を払わずに
過去の勉強ばかりしているのです。


そして、そのことに問題意識も持てずに
勉強のやり方すらも塾依存している。
文字通りの勉強マシーン、記憶マシーンです。
インプットされた情報でだけで機能する、
そんな感じです。


子どもたちだけが悪いわけではないので、
どうしようもないところでしょうが、
でも自己責任なのです。


社会のせいにしたり、親のせいにすることは
口の上では好きなだけ言えますし、
勝手に責任転嫁することはできますが、
現実問題、
その結果を背負って生きねばならないのは
子どもたち自身なのです。


何となくの雰囲気で流されていたとされる
かつての「B層」のように、
何も考えずに知らない人に人生を託す生き方を
子どもたちは一体いつまで
続けなければならないのでしょうか。


このブログでも何でも、
気付く若者が一人でも多くなることを願います。
あなたは決して「B層」になってはいけない。
お子様を決して「B層」にしてはいけない。


2015年5月26日火曜日

カラオケ教育論

2004年に出版された本で
『成功ルールが変わる!
-カラオケ資本主義を越えて-』
というものがあります。


これはもともとビジネスマン向けに書かれ、
カラオケボックスで
誰かのオリジナル曲を歌ってその気になるような、
模倣ビジネスを捨て去ることを一貫して訴えている
内容になっています。


この本の存在を私は
2009年に出版された
大前研一氏の著書
『知の衰退からいかに脱出するか』
で知りました。


そして、このカラオケ資本主義の
表現しているニュアンスは、
今の勉強事情の指摘にも
合致していると感じました。


要するに、
塾に行って成績伸びた~なんて
頭が良くなった気になっていたら
大間違いだということです。


以前ブレイクスルー・アカデミーを辞める生徒に
「私は縛られないと勉強できません」
と打ち明けられたことがありましたが、
おそらくほとんどの子が
こういう症状なのだと思います。


何をどうしていいか分からない、
という症状です。


しかし、こんなことは普通に考えたら
あり得ないわけです。
だって教科書も副教材も配られているのに
何をどうしていいか分からないというのは
よっぽどモノを考えていない証拠だからです。


当アカデミーは聞かれたら答えるけど
聞かれないとほぼ自習状態という
極端なシステムを採っています。


これは生徒自身が求めた時に応える方が
効率的だからです。


誰でもそうですが、
求める前から教え込まれても
実は吸収率はよくありません。


知りたい!というスイッチが入った時に
ピンポイントに対応して上げる方が
コストパフォーマンスが
お互いにとっていいわけです。


そして、自分が求めてもいないのに、
誰もなにもしてくれないから
ここでは勉強ができませんと言われ、
その結果として
自分をもっと縛ってくれる塾に行くと
その生徒は打ち明けてくれました。


私はその生徒にハッキリ言いました。
それは成長じゃないよね、と。
縛られて勉強できても
何の意味もないよ、と。


誰だって時間と労力をかければ
知識を頭に詰め込むことはできるわけで、
問題はその効率です。


同じ時間でより多くの知識を吸収し、
限られたテスト時間の中で
効率よく問題を解ける能力が
受験には求められます。


ですから、ただ勉強するのではなくて、
効率を常に重視して取り組む必要があるのですが、
これはテクニックではありません。


テクニックとは魅力的なツールですね。
魔法のように一瞬で効果的な技を
繰りだせるという印象です。


しかし一方で、
テクニック本をどんなに読んでも
そのテクニックを習得できる子は
本当に稀です。


それはヤル気がないとか
そういう次元の話ではなくて、
そもそも本にあった内容を
実践しようなんて読者は
大人も含めてほとんどいないのが
常だからです。


それに、テクニックは
それを生みだした本人にとってのテクニックであり、
他者が取り入れようとしても
上手くいくものではありません。


テクニックは自分で編み出して
本当のテクニック足り得るものなのです。


これは「ゆとり教育」が失敗した
原因と全く原理は同じです。
ゆとりもまた、
自分で作りだしてこそのゆとりであって、
人からもらっても意味がないのです。


今回のテーマであるカラオケ教育論とは、
今あなたは塾を辞めても
自分で勉強できますか?
という話につながります。


カラオケの曲が止まった時、
音楽がなければその曲を歌い切れない自分がそこにいるなら、
何かがおかしいということです。


色々お膳立てされないと一人で歌えないようなら
そんなビジネスはもう役に立たないぞ!、
というのが先に挙げた本の主張ですが、
塾におんぶにだっこじゃないと勉強できないようなら、
もうそんな勉強に価値はないということなのです。


塾に行くのはあくまでも
勉強の仕方を身に付けるためでなければなりません。
何も考えずにひたすら知識を付けるだけなら
塾に行かなくても良い話です。


しかし、そういった目的で塾にいる子が
果たして何人いるでしょうか。


カラオケボックスから出なければ
実社会では生きていけないはずなのに、
カラオケボックスの中でしか
通用しない能力しかないのなら、
一体その子たちはどうするつもりなのでしょうか。


そんなことを思い
勝手に不安を感じている私でした。

2015年5月25日月曜日

「予備校行ってる浪人生が一番残念」と言い切れる理由

浪人生の経験は私にもあります。
それも何年も。
もちろん予備校にも行きました。
それらの経験も踏まえてハッキリ言いますが、
浪人したのに予備校行くのは
ナンセンスです。
その理由を御説明します。


まず、浪人生の最大のメリットはなんですか?


これは現役生との比較をすれば
きっとすぐ分かります。


それは「制約のなさ」です。


これまでは学校に行って強制授業を受け、
宿題なんかあって、
出たくもないイベントに参加させられ、
とにかく服も自由にできないし、
髪型も自由にできないという
本当にがんじがらめの世界でした。


浪人生は残念ながら受験には
成果を残せませんでしたが、
無事高校は卒業できたわけですよね。
ということは、
無事制約から抜け出せたわけです。


勿論気持ちは浮かないでしょう。
合格して大学生になった者たちへの引け目、
次はちゃんと受かるだろうかという不安、
何より激しい自己嫌悪。


しかし、だからと言って、
一人じゃ不安と闘えないよと
同じ仲間の集まる予備校に通うのは
私はあまりに勿体ないと思います。


何より、また自分を檻に閉じ込めるのか
と思ってしまうのです。


私は全く別のところで葛藤がありましたが、
最終的に日の目を見たのは
宅浪した年でした。


宅浪とは自宅で浪人することです。
私の場合は恵まれていて
個人の部屋をあてがってもらえましたが、
とにかく一人で勉強することにしました。


当然予備校に行っている間も
成績は伸びていましたが、
なんだかダラダラしていた記憶があります。


当時の私は目標も明確ではなく、
どこに向かって努力すればいいのか
分からなくなっていました。


親からは小さい頃から
「医者になれ、医者はいいぞ」と刷り込まれていましたが、
どうも自分の本当の目的はないという思いがあって、
悶々としていました。


どうして勉強しなければならないのか。
はたしてどうすれば大学に受かるのか。
本当に自分のやりたいことは何なのか。


おそらく私に限らず
皆さんもまた同じような迷いや悩みが
あるはずです。


しかし、こうしたことに答えを出さないまま、
ひたすら勉強していくのはとても危険です。


もちろん
立ち止まることを許容してくれない親や
とにかく今は頑張りなさいと焦らせる先生といった
外的環境の影響もあるでしょうが、
周囲はどうあれ自分がもし視野が不明瞭なら、
まずは答えを出すべきなのです。


親がこう言う、先生がこう言う、
もう皆勉強を始めている、
立ち止まっていられない。
そうやって思考を阻止していれば、
消化不良を起こし続けて
勉強に対するトラウマ障害が生じてしまいます。


勉強は一生続けていかねばならないのに、
大学に入る程度の勉強で
燃え尽き症候群になってしまっていたら
何のために大学に行こうとしているのかすら
分からないことになってしまいます。


でも、学校と同じように
カリキュラムや授業がノンストップで
進行していく仕組みの予備校に行けば
せっかくの浪人生のメリットである
制約の無さを放棄することになり、
また同じ1年の繰り返しになります。


高校4年生みたいなものです。


せっかく3年分の勉強もひ通り終えて、
自分の志望校合格のために
フルに1年間を使えるようになったのに、
そのほとんどをまた学校に委ねて
”飼ってもらう”というのは
今の私からすれば感覚が分かりません。


余計な心的ストレスを排除し、
本当の意味で勉強に全力投球したいなら、
しっかり自分と向き合い、
重要な問いに明確な答えを出してから
孤軍奮闘するべきなのです。


自分のすべきことだけに集中して、
せっかくもらった1年を有効に活用するためにも、
浪人生は予備校などに人生の鍵を渡すことなく
自身の力で切り拓いてほしいと願います。


浪人生はとかく思いつめ過ぎるのです。
それをやめて客観的に状況を見て、
より苦しみや不安の少ない形で勉強できるよう
制約のないメリットを存分に活かすことが
求められているのです。


結構苦しかったですが、
私も結果的に宅浪で目覚めた人間です。
効果は保証します。


「乗り越えさせてもらう」のではなく、
自分で「乗り越え」ましょう。

2015年5月23日土曜日

「塾をやめれば成績が上がる」と言い切れる理由

先日私はある方とお話をした際、
あることに気付かされました。
それは、
自分の真意が思いのほか
伝わっていないのではないか、
というものでした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

塾をやめれば成績が伸びる

塾に行くのはバカな人だ

塾に行くなと言う本人が
学習室をやっているじゃないか

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

といったご指摘を受けたのです。


確かに、
毎回強烈な言いまわしで論じているので、
その印象ばかりが先行しているのかも
知れません。


そこで昨日から
Youtubeにもこれらの誤解を解くべく
動画をアップしています。
そちらも参考にしていただけたらと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=XFNoOqOcFHg
https://www.youtube.com/watch?v=EsABf__bs_w


さて、今回はその私の真意を
少し長くなりますがお話ししていきます。
正直長いです。


まず、私がしたいこと(ミッション)は

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

できない子をできる子にする

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

です。


「できない子」とは勉強ができない子であり、
成績が芳しくない子です。
この子には2種類います。


①やる気がそもそもなくてやってもいない子
②やっているのに伸びない子


私はこのどちらも救いたいと思っています。


では、塾ではそれができないのか、
という話ですが、
結論から言えば「できません」。
少なくても今までやってきてません。


それは今や5万教室を越えた
塾業界を考えれば一目瞭然です。
これだけ塾があっても
できない子はできないままで、
できる子はできるままです。
その格差が以前よりも縮まっていると思う方は
多くはないでしょう。


勿論、中には
少数ですが変貌を遂げる子もいます。
しかし、今の仕組みでいけば
それは極めて稀なケースで、
言ってみれば「運が良かった」だけの話です。


私はその
「できない子ができる子になる仕組み」を
ブレイクスルー・アカデミーという形で
具現化したという流れです。


では、ここは塾ではないのか、
ということですが、
それは私の塾の定義が

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カリキュラム、授業、テキストを
決められて勉強させられる場所

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

としているため、
「うちは塾ではありません」と言っているのです。
ブレイクスルー・アカデミーには
それらは全てありません。
完全なフリースタイルです。


なぜフリースタイルなのか。
それは

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

カリキュラムも授業もテキストも
できる子になるためには邪魔

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

だからです。


この理由を論じる前に、
そもそも「できる子」と「できない子」を
分かつものは何なのか、
という問題を説明します。


片や、特に頑張らずに成績優秀で、
片や、頑張ってるのに伸びない。
明らかに差があります。


その差を生むのは「頭の良さ」?
そう思う方もいるかも知れませんが、
違います。


みんな同じ構造、
同じ容量の脳を持っています。
機能的に違いが出るはずないんです。
※先天的な天才は別に考えて下さい。


では、一体原因は何なのか。


それはこれです。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

勉強というものを
きちんと理解しているか

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

原因はこの「理解の差」に集約されます。


よく「東大に行く子の親は高収入」と
話題に取り上げられますが、
この切り取り方は本質を見失わせます。


東大に行く子は
勉強とは何かが分かっているのです。
頭の良し悪しではなくって、
ルールさえ分かれば攻略できると
分かっているので、
別に自分たちが頭が良いとは思っていません。
受験を攻略した。
それだけなのです。


そして高収入の親というのは
学歴も高い方が多いので、
親もまた勉強というものを
理解している可能性が高い。
なのでそういう視点や発想や考え方が
自然と家庭教育を通して
子どもたちに浸透していると考えられます。


つまり、勉強に関して教育費をかけられたから
成績が良いのではなくて、
そういう教育を受けられる環境だった
ということなのです。


もちろん、高額な塾に行けば
勉強のプロもいることでしょう。
単なる小手先のテクニック以上の
本質的なことを教えてくれる先生も
いたのかも知れません。


ただ、勉強とは何かを知る術は、
別に高額な塾に行かずとも
本屋に行けば無数に手に入るものです。
収入格差そのものが
学歴格差を生むという論調は
あまりに表面的だと私は感じています。


そして、
話を元に戻しますが、
このブレイクスルー・アカデミーでは、
こういった「勉強とは何か」ということを
教えているわけです。


で、そこにフリースタイルがどう効いてくるかと言うと、
その子がするべきことに
集中させてあげられるということです。


カリキュラムや授業やテキストの制約がないので、
学校のテスト勉強を軸にして、
教科バランスや目標に応じて
それぞれが力を入れるべき内容に
フォーカスできる仕組みを採っています。
だから、誰もが3カ月で
50点、100点普通に伸ばせるわけです。


これは当たり前です。
すごいことでも何でもない。
やるべきことをやって伸びないはずがないんです。


逆に塾はシステムで制約しますから
その分非効率になって
努力効果が分散させられてしまい
効果が上げにくい環境なんです。


だから「成績を伸ばしたいのに」塾に行くのは
おかしいよね、と。
余計に状況悪化してるよね、と言いたいわけです。


じゃあ、成績イイ子はどうなんだ、
となるのですが、
彼らは勉強のことを理解しているので、
その塾のシステムを
自分のすべきことをベースに
上手く活用する業に長けています。
だから変わらず、というか
さらにパワーアップしていける。


つまり、同じものを与えられても、
それを使いこなせるかどうかで
成績がガラッと変わるということなのです。


ということは、
「勉強の理解の差」とは本質的には

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

発想の仕方、考え方の差

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ということに行き着きます。


ということは、
できる子の発想や考え方を
できない子たちが身に付ければ、
同じ成果を出せるようになるじゃないか!
という話なのです。


そしてそれは、
私が実際に高校受験の時と
大学受験の時に実践して
効果は実証済みですし、
何より成績イイ子たちは
みんなそういう勉強感覚を持っています。


現に今私の学習室には
講師は医学部生しかいませんが、
彼らも全く同じ感覚で
指導にあたって下さるので
安心なのです。


ただ、ここには大きな問題がありました。
勉強ができない子には
この考え方が受け入れられないのです。


これは予想外でした。。。


みんな頑張っても伸びない。
どうにか成績を伸ばしたいと思っている。
そう思っていたんです。
しかし、どうもちょっと違うらしい。


先日お話をしたその方にも
この話をしたのですが、
話の途中で

「考え方なんて後回しだろう!
まずは成績を上げさせろ!」

と怒鳴られてしまいました。


これ以上は何を言ってもダメだと思い、
その後は「はい、そうですね」と
繰り返すことにしたのですが、
このやり取りが全てを物語っています。


もうお気づきかと思うのですが、
これこそが日本教育の根本にある問題です。


考える力を失った大人が
平気で今の子どもたちに
「考える力を後回しにしてとにかく勉強しろ!」
と言う。


相手の考え方を理解しようともせず、
ひたすら自説にしがみつき、
「お前の考え方は間違っている」
と言う。


考えることよりも点数!成績!


これを大人が言うのですから、
子どもたちがなかなか変われないのも
無理はありません。


そして、だからこそ、
これまで何十年も
できる子とできない子の格差が
埋まらなかったわけです。


そしてこのギャップを埋めることの
途方もなさ。
予想以上でした。


彼らは成績を伸ばしたいんじゃないんです。
楽をしたいだけなんです。
自分を変えずに成績だけを
何とかしたいと思っているんです。


いやいや、成績を伸ばすためには
成績がイイ子たちと同じことすればいいじゃん!
と言うのですが、
どうも彼らには
「いや、あなたの考え方は理解できない」
となるらしい。


完全に成績伸びないパターンです。


だから10時間勉強しても
15時間勉強しても
一向に成績上位者に追い付かない。
当たり前の結末です。


ならばせめて
「塾に行く」という発想そのものに
疑問を感じてくれれば、
何かきっかけになるんじゃないかと
私なりに考えてみたのが
このブログでした。


かなり長くなってしまいましたが、
このブログで何か少しでも
誤解が解けてくれればいいと思います。


それでもなお、
いや、お前の考え方は理解できない、
と思う方は、全然いいのです。
無理して私に付き合う必要はありません。


勉強で成果を出したいという方は
参考にしていただけたら
それで私は救われます。


今成績が芳しくなくて
どうしても今の自分を変えたいという方に
この思いが伝われば本望。
そのためにも、
私は今後も発信を続けていこうと思います。


こんなにも長い文章を読んでいただき、
本当にありがとうございました。

2015年5月21日木曜日

”できない子”はどうしてできないままなのか

勉強という視点で見ると
確実に“できる子”と”できない子”
が存在します。


そして、その上下関係は
学校でも塾でも
あまり変わりません。


この状況は以前よりずっとあって
塾が5万教室になった現在でも
変わらず定着している、
いやこう着状態にある状況です。


ただ、これは仕方ないことだというのも
実感として分かってきました。


“できない子”は頑張ってもできません。


その前に分類して整理すると、
”できない子”には2種類あります。
①やる気がない子
②やってるけど伸びない子


①やる気がない子


これは論外です。
やってないからできないだけです。


ただ「やればできる」かどうかは分かりません。
やればできると言っている子は
そもそもやらない子なので、
実際やってみてからの判断になります。


この子が②でもある可能性もあります。


②やってるけど伸びない子


こちらは頑固な子が多い。
自分のやり方を変えようとしません。
真面目な子もこちらの部類です。


例えば、明らかに効率の悪い方法を採っていても、
その方法に絶対のこだわりがあり、
かつ慣れた方法なので、
この方法を変えようという発想が
欠けてしまっています。


特に真面目な子ほど
学校で教わった方法を優先したり、
学校の課題をきちっとやろうとします。
融通が利かず手を抜けません。


そうするとドツボです。


この両者に共通しているのは
本気で成績を上げようとしていない点でしょう。


成績を上げることよりも
自己満足を優先してしまうのです。
これは意識的にせよ無意識的にせよ、です。


真面目だな~と思う子でも、
こちらの話に「はい!」と言いながら
実践してくれない子もいます。


こうした方がいいよとアドバイスしても、
どうも何かこだわりがあるらしく
そうしてくれません。


こういう子たちは
成績を伸ばすことよりも
自分なりの勉強をすることに重きを置いているので、
目的が明後日の方向を向いているのです。


マンツーマンを付けてもどこかお客さん。
自分のために先生がいてくれるという発想も、
その先生を使い倒そう!という気概もなく、
ただマンネリになってしまう傾向もあります。


つまり、”できない子”ができないままなのは、
できるようになろうと思っていないからなのです。


成績を上げることに必然性がないので、
そもそも成績を上げる気がありません。
面白くもないですし、やるべき必要性もないので、
やる気になりようがありません。


別に成績悪くても良いじゃん、という感覚と、
成績が上がってどんなメリットがあるの?
という感覚が混在している感じです。


別に成績が悪くても困っていない、
つまり問題意識が抱けずにいるわけです。


問題意識がなければ考えることもしませんし、
考えないでやっているから学校が絶対であり、
他の方法は邪道となるわけです。


裏を返せば、
成績を上げることに必要性が出てくれば
自然と考えるようになるものです。
成績そのものよりも
その先に何か欲しいものが得られるという
望ましい結果があるとより良いでしょう。


ただこれはニンジンをぶら下げろ、
という話ではなくて、
成績や勉強そのものは目的化しにくい
ということに付随します。


それ自体が面白くないものですから、
好きになれと言われても無理です。
嫌い物は嫌いです。


でも、その嫌いなモノをクリアすれば
自分の欲しい成果が得られるというなら、
自然と意識が向くのです。


重要性も必要性もないものを
自分の中で解釈を変えさせるには、
この方法が一番。
そこを通過点にすればいい。


もしお子様が“できない子”なら、
勉強や成績の先に
本人の望むものを直結させてあげるようにできないかを
考えてみて下さい。


2015年5月20日水曜日

反応するのではなく考えろ!

最近ネットニュースなどで話題になったものが
テレビのニュースで取り上げられる事例が
増えています。


というか、最近のニュース番組も
本当に質が落ちました。
見ていてもイライラするほど
同じ内容の繰り返し。


前の日にもうネットで見たよ、
というネタが
最新ニュースとして流れています。
そして同じ内容を
繰り返して時間を稼ぐ。


そんな中でFBでもよく見かけるのが、
考える力をなくした反応大衆の姿です。


例えば先日話題に挙がった
「ゲームを壊させる親の動画」。


このネタは勿論FBでも流れてきました。
そしてそこには多くの方のコメントが並びます。
するとどうでしょう。


・こんな仕打ちは許せない!
・これは子どもの心を壊す行為だ!
・別にどっちでもいいんじゃない?
・しつけの一つでしょう。
・こんなことしたら親がそのうちカチ割られるわ


など多くの感情的コメントが並んでいました。
確かにこういうネタは感情を刺激します。


さらに本日挙がっていたのは
「教師いじめをする生徒たち」。


これもまた数多くの
感情的コメントのオンパレードでした。


こういうのを見るたびに本当に愕然とするのは、
考える前に反応してしまっている姿です。


こういう動画記事にコメントする方々は
この動画だけから判断し評価しコメントします。
すると上のような直感的なコメントになるわけです。


でも、大事なのは
こういった表面的な情報ではなく
背景(コンテキスト)でしょう。


一体何がこんなことを引き起こしたのか。
その事情も知らない人たちが
これは悪い、これは酷い、
これはおかしいと言っているのですから、
読んでいてゾッとします。


こんな風に感情的に反応しているだけのコメント大衆も
結局はその動画に映っている者や
それをアップしているような者と
同じレベルなんじゃないかと思うのです。


ゲーム機を子ども自身に壊させる行為や
教師に暴力をふるっている生徒の行為は
明らかに悪いことでしょう。
そんなことは誰が見たって分かります。


問題は「それまでに何があったのか」
「何がそんなことをさせたのか」なんです。
そこを考えることなく
反応してしまっている時点で、
私はちょっと待った!と言いたい。


何かが起きるには理由があるんです。
原因がある。
まずはそこに目を向けませんか?


勿論、この動画について議論しよう
という話ではなく、
自分の身に何か起きた時、
あなたの周りで何かが起きた時、
感情に呑まれて反応するだけの大人にならず、
ちゃんと冷静に思考できる
落ち着いた大人になってほしいと願います。


そうすれば、
きっとこの世界から戦争がグッと減るでしょう。


一歩踏みとどまって考える。
この数秒が平和への近道だと思います。

2015年5月18日月曜日

目標のアップグレードを繰り返せ

本日正式に目標のアップグレードを
行いました。


目標シートの全面見直しと
実際の作り直しです。


ドリーム・ビジュアライジングも
ゼロベースで描き直し、
より自分の本質に見合った目標になりました。


去年の自分より今年の自分、
今年の自分よりも来年の自分、
と言うのは簡単です。


しかし、
去年と全く同じことを言っている人も
中にはいます。
同じことを言うってことは
成長がないということです。


1年もあれば、365日もあれば、
意見がブラッシュアップされるでしょうし、
意見自体が変わってしまうこともあり得ます。


社会の教科書に出てくる
『市民政府二論』でおなじみのジョン・ロック。
彼が教鞭を握っていたころ、
生徒からこんなことを言われたそうです。


先生がおっしゃっていることは
ご自身が以前言われていたことと
まるで反対ではないですか。
どういうことなんですか?


するとロック先生はこう答えたそうです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

その時はそれが正しいと思ったんだ。
今はこっちの方が正しいと思っている。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


意見は変わっても良いんです。
意見を変えない方がおかしい。
成長しているのなら
モノの見え方が変わって然るべきです。


目標もそう。
コロコロ変わるのはダメです。
そんな目標の立て方では
立ててる意味すらありません。


しかし数値が変わったり
若干方向性が変わったり、
周囲の状況が変わったりという
あらゆる要因によって
目標が変わってしまうことは
全然ありなことなのです。


先日お話したように
私自身も前提がガラッと変わってしまったので、
今回ゼロベースで目標を立て直しました。


中には文言をより具体的にしたものもあります。


大きく変わったのは視点です。
最終的に辿り着きたいゴールは同じでも、
そこに至るプロセスが真逆になりました。


なのでそこに合わせて
イメージ写真も入れ替えました。
これでしっくりきます。


あなたも間違いなく
日々成長しているはずです。
日々アップグレードしているはずですし、
そうなっていないと困ります。


日々成長しているなら、
目標も成長させていいと思いませんか?
昨日の自分はできると思えなかったけど、
今日の自分なら到達可能だと
思えるものもあることでしょう。


とにかく、目標も自身と同じく
アップグレードを繰り返しましょう。
そして、実際に書き変えて
手元に持ち続けましょう。


それだけで全く人生になるのです。
簡単なことなはずです。
ただ、実際にやっている人は少ない。


あとはあなた次第です。

2015年5月16日土曜日

今すぐ答えを見なさい!

もしあなたが
本気で成績を伸ばしたいなら、
もしあなたが
本気で合格を目指しているなら、
考えるのをやめて
今すぐ答えを見なさい。


というとんでもない話をします。


これはいつも生徒に口酸っぱく言うことです。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

答えを早く見て下さい。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


現時点で受験は暗記大会なんです。
答えを一つでも多く覚えた者が勝つレースです。


なのに悠長に答えを見ないで
自分でウンウン考えようとしている
クソ真面目くんをよく見かけます。


そんなことには何の意味もないので
早く答えを見て覚えて下さい!


これを書いているのは5月の中旬ですが、
9月末までは
もうどんどん答えを見て良い時期です。
まずは詰め込むんです。


英語だったらどんどん日本語対訳を見て下さい。
数学なら解答を開いて下さい。
理科も社会もです。
どんどんカンニングしましょう。


これができない子は
絶対伸びません。
100%です。


物理的に時間を伸ばして
1日15時間とか勉強したら
それでやっと
人並みの成績かも知れませんが、
答えをバンバン見れる子は
あなたの半分以下の時間で
同じ成果を出せる勉強をしています。


勝てるわけない。


というか、1日15時間も
英数国社理の勉強に使ってたら
馬鹿になりますよ?
やめて下さい。


それは未来への投資ではありません。
人生の浪費です。


それでは考える力がつかない!
という主張する方いますか?


ナンセンスですね。


ちゃんと10月以降に
アウトプットの時間を取っています。
だから大丈夫です。


あ、ちなみに
テスト時間中も考えたら負けです。


テスト時間というのは
「解答を書くため時間」ですから、
考えている暇はありません。
見たらすぐに
解法が浮ぶのが理想ですし、
そうしないと全部は埋められません。


満点至上主義ではありませんが、
問題作成の都合上、
「考える時間」というのは度外視されています。


ちゃんと覚えてきましたか?
ちゃんと練習積んできましたか?


聴かれているのはそれだけです。


答えを見るのはズルイ行為だ、
なんていうつまらない正義感は
今すぐ棄てて下さい。


若い時期は大事な期間です。
主要5教科の知識の詰め込みに
あんまり時間をかけてほしくありません。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

なるべく短い時間で
より多くの成果を出す。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

この発想を常に頭に置いておいて下さい。

2015年5月15日金曜日

言語学をどう攻めるか

今日から中国語を勉強し始めました。
中国出身の方にレクチャーしていただいて、
今年中にはしゃべれるようになろうと決めて
参考書も買いそろえてきました。


さて、しかし言語学というのは
闇雲に勉強しても効率が悪いので、
ちゃんと具体的な目標を決めねばなりません。


それこそ、
読む、書く、話す、聴く
の4パターンの要素の
混合物なので、
どの要素を鍛えるのかを
明確に意識して戦略を立てるべきです。


今回は英語の勉強を応用して、
中国語の勉強の仕方を
以下のようにしました。


まず、目標として先にも挙げたように

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

2015年の間に
日常会話をしゃべれるようになること

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

です。


そこで元々手元にあったものも含めて
4冊の参考書を用意しました。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

はじめて話す中国語
日常会話表現3000
基本文型150で覚える中国語
聴読中国語

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


言語学で最も最初にやるべきは
発音の習得です。
母音と子音という基本の音と
中国語の場合は四声(ピンイン)があります。


やはりというか、
英語と同じアルファベットを使うとは言え
発音に微妙な違いがあるので、
注意と十分な練習が必要です。


ただ、あまり細かい知識モノから入ると
なかなか進まない上に
途中で挫折しがちなので、
まずはそういった基本の音の習得と併せて
音や文字、リズムに慣れるような
読み込む系の参考書も必要でした。


言語学は
私たちが日本語を習得した時と同じく、
文法からではなく
とにかく浴びるところから始めるべきです。


ある程度読み込んだ後から
細かい文法確認に進む方が
習得は速い。


特に私の優先順位的にも
会話>読み書き
なので、それでいいわけです。


もしこれが、
センター試験や二次試験用の
中国語対策で行うなら
また戦略は変わってきます。


あくまで自分の目標に応じた戦略を
立てて下さい。


あとは、今回私が
マンツーマン指導を頼んだのは、
効率を重視したからです。


主要5教科の勉強とは違って、
言語学は独学では非効率になりがちです。
特に発音は誰かにチェックしてもらえないと
誤った発音が身に付いてしまい
直すのが困難になります。


最初ほど肝心なのです。


まだ始めたばかりなので
あまり突っ込んだ話はできませんが、
明確な目標と適した戦略が
言語学習得の鍵です。


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2015年5月14日木曜日

どう暗記量を“減らす”か

中学の時までは
丸暗記でも何とか対処できたことでしょう。


しかし高校に入って一転。
完全に丸暗記タイプは苦汁を舐めさせられ
下位に転落していきます。


その理由は暗記量の膨大さ。


中学と高校の暗記量の比較は
2倍3倍では利かないでしょう。
中学レベルの知識で
四苦八苦していた人にとっては、
高校レベルになって
さらに暗記量まで増やされれば
完全にお手上げです。


しかし、ここでの発想は意外とシンプル。
そう、暗記量を減らすことを考えればいいのです。


人間の脳は15歳で切り替わると言われています。
それまでは吸収優先だった脳の回路が
手持ちの情報をベースにした
理解や思考を優先するようになるのです。


すると、今までできた暗記量が
同じ負担では達成できにくくなります。
勉強法も切り替えねばならないわけです。


そこで考えるのが
脳の機能変化に合わせて
暗記量を減らし
理解や思考を軸にするというもの。


数学で例を挙げましょう。


例えば
a^m×a^n = a^(m+n)
という公式があります。
a^mとは「aのm乗」の意味です。


すると、これを公式として
暗記しようとする人がいます。
でも、実際にこれを問題で使う時には
丸暗記では不便です。


というのも、似たような公式に
以下のようなものがあるからです。


(a^m)^n = a^(mn)


すると
①a^m×a^n = a^(m+n)
②(a^m)^n = a^(mn)
と書かれると、もう混乱です。


スピードが重視される計算過程で
どっちがどっちだっけ?
みたいなことが頻発します。


これを物量戦でゴリゴリ解いて
身に付けてしまえ!
というのもアリなのですが、
少し時間が開くと
また頭の中で曖昧になってくるものです。


こういう公式暗記が100も200もなったら
ちょっとお手あげですね。


では、こういう事態にどう対処すればいいかと言うと
理解して憶えてしまうのです。
公式自体を忘れても
思いだせるようにしてしまえばいいので、
そのためには

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

過程を理解する

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ことを意識して下さい。


例えば先ほどの例の公式ですが、
a^m×a^n = a^(m+n)
というのは、そもそも
aをm個掛けあわせたものと
aをn個掛けあわせたものの積
ですから、
結局はaが(n+m)個掛けあわされていると分かります。
だからa^(m+n)になるのです。


一方「(a^m)^n = a^(mn)」の方は
a^mをnセット掛けあわせるわけですから、
aがm個掛けあわされたものをnセットで
n×m (= nm)が出てきます。


こうすると、
公式自体を忘れても理屈で思いだせるのです。


これは問題数をこなして覚える
丸暗記物量戦略よりも
はるかにコストパフォーマンスの良い
暗記方法です。


高校のレベルになると
かなり知識そのものの複雑さも
その暗記必要量も増えるので
どう効率化させるかが鍵です。


この発想は英語にも
理科にも社会にも活かせるので
是非活用してみて下さい。



2015年5月13日水曜日

追いつめられると世の中の本質が見えてくる

苦労は買ってでもしろと言われます。


四当五落のような言葉は
時代遅れの思想としてもはや死語ですが、
上記の言葉は
今なお廃れずに生き残っているのは、
おそらく真実に近いからでしょう。


正直苦労は買いたくありません。
が、自身は見事に
この通りになっています。


おそらくは公務員や
サラリーマンの方が楽にお金は
得られたことでしょう。


しかし、私は社会不適合者。
上の命令に黙って従うなんて無理ですし、
ましてや理不尽に我慢するなど
もってのほかです。


以前働いていた学習塾でも、
無思考な前任者たちを見て
これじゃ現状は変えられないなと判断。
塾のシステムだけをしっかり勉強した後、
すぐに辞めました。


その次に勤務した塾では
無能な理不尽上司とバトり、
勤務教室を変えてもらいましたが、
結局は子どもを潰す
勉強法を教えるやり方についていけず
程なくして辞めました。


基本的にはワガママなので、
自分の思ったようにいかないと
イヤなのですが、
ただのワガママならただのバカです。
ワガママ貫くだけの勉強は
してきたつもりです。


そうすると、
他の人よりも勉強に関しては
詳しくなれていると自負しています。


でも、勉強をここまで研究する人間はいないので、
結局は誰にも
理解されないという事態に陥っています。


こう言うと「自分が正しい」ことを前提にしているようで
不快に思われるかも知れませんが、
事実そうです。
他の方の数倍は勉強について詳しい。
というか視えている。


だから”塾”を棄てたのです。


少し話がずれたので戻すと、
苦労は自ら率先して飛びこむという前提であれば、
かなり自分を鍛えてくれます。


否が応でも自分と向き合わざるを得ないし、
世の中を眺め、
自分の性格と照らし、
人に愚痴って(こんな風に!?)、
でも踏ん張って前に進まんと
死ぬほど考えて勉強して
解決策を生みだし、
講じて、結果を出さねばならないわけです。


これが“させられている苦労”なら
絶対精神的にやられますよ。
やめた方がいい。


でも、買ってでも苦労しろと言う人は
自分から苦労に飛び込む人なんです。


飛びこむ気もない人に飛び込めと言う当人は、
リスクを何とも思わずに行動できる人なんです。


前提がまずちがう。


自分は偶然そうなれたけれど、
もしこんな性格でないなら
苦労なんかしたいわけないんです。


でも受験勉強とかって
とりあえずは頑張れば
分かりやすい結果が出るわけで、
それが人生を大きく左右します。


世の中、学歴社会ではなくなってると言われていますが、
結局は蓋を開けたらそうならざるを得ません。
だって、それだけ頑張ったから
学歴持ってるんですもん。
優遇されるだけの能力持ってますよ。


中には学歴が高くなくても
能力の高い人はいます。
数だけ見れば山ほど。


でも学歴あって高給取りになる確率からすれば
学歴なくて高給取りになれる確率は
はるかに低いのが現実です。


『君主論』を書いたニッコロ・マキャベリは
こう言っています。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

どう生きるべきかということと、
どう生きるかということとは
必ずしも一致しない

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


この言葉は、
苦労している人には
本当に実感として刺さるはずです。


別に勉強が全てではないのだし、
しないならしないでも良いんです。
その結果を自分でちゃんと受け止める
責任は本人にあるわけですから、
自己責任で完結すれば問題ありません。


でも、勉強したくないと思いながら
勉強という土俵で闘っていて、
勉強なんてと不平を言うのは
正直間違っていると思います。


しないか、するかです。


私もこれまで受験というフェーズと
正に今の段階で、
かなり追いつめられています。


状況的にと言うよりも
精神的にです。


自分で勝手に自分を追い込んでいるので
誰のせいでもないのですが、
追いつめられた世界から
様々なことを追求せんともがいていると
世の中の本質が垣間見えてくるものです。


最近はちょっとしたアホな人間の
理不尽な奇襲にあって対処していますが、
そういう出来事があったりすると
自分の本質すらも浮き彫りになってきます。


日頃からペルソナを演じている自分の
メッキがボロボロと剥がれていく感じです。


それが受験時代にもあったわけです。


そして、そういったことを
人生の最初で経験できるのが
受験だったりするわけですが、
そういった時期に
考える暇もないほど勉強漬けにされると、
子どもたちは無気力&無思考人間に
なってしまうわけです。


大学3年の最後になって
就活を始める頃にやっと
「あ~俺にはサークルとバイト以外に
 語れるものがね~」
と気付くわけです。


今日はなんだか愚痴愚痴書いてしまいましたが、
苦労をするのかしないのか、
勉強という土俵で闘うのかどうなのか、
その点をしっかり明確に方針立てしてから
どの苦労に飛び込むかを
決めると良いと思います。


では。

2015年5月12日火曜日

何が”適当か”は自分で決めろ

熊本のある私立高校は、
学校で使う副教材に
解答を付けて渡さない方針を採っています。


他にもそういう学校あるのではないでしょうか。


生徒がすぐに答えを見てしまうから?
考える力が身につかないから?


まずもって解答を付けずに
問題集を解かせるやり方は
完全にナンセンスです。
効率が悪すぎます。


そしてもっと悪いのは、
解答を見るのは悪いことだと
生徒が思い込むことです。
特に真面目な子はそうなりがちです。


今の学校のやり方では
真面目な子ほど勉強に時間がかかり、
ずるい子ほど短い時間で好成績という
最も可哀そうな状況になります。


”ずるい子”というと語弊がありますね。
何が大事かを自分で判断できる子です。


私のアカデミーでは、
そういう場合には
直接解答を発注して取り寄せています。


学校が渡さないというなら、
そうするしかないからです。
生徒の時間を犠牲にするわけには
いきません。


解答をすぐ見ずに考えないと
考える力が身につかない、
という主張も
最もそうに聞こえますが
勉強の本質を全く分かっていないものです。


勉強は大学受験までは所詮暗記大会です。
日頃の勉強における採るべき方針は
「どう“考える時間”を減らすか」
です。


勿論、試験の近付いてきた後期には
自分の思考力を鍛える時間が
必要不可欠です。


しかし、以前もお話ししたように
考えるためには「情報」が要ります。
ここでの情報とは
正解を導くための知識です。


例えば数学などで言えば
その問題を解くために必要な
公式や導くプロセスです。


そういった知識がまだ曖昧なまま
問題に取りかかったとしても、
正解に必要な知識が欠けているので
正解を導くことはできません。


それなのにウンウンと悩み
考える時間を取ることに
はたしてどれだけの価値があるでしょうか。


知らないことは知ればいい。
忘れたことは調べ直せばいい。
一方で無いモノを一生懸命探すのは
私は無駄だと思っています。


そして、解答を付けずに問題だけ解かせる行為は
指導、教育という観点からして
明らかに無意味な作業を
生徒に課していることになります。


もしそれで答えを写してくる生徒が激増したら?
それこそ教育力の問題でしょう。
それを教えるのが先生の存在意義だからです。
それで答えを写してくる生徒が増えても
「写してはいけない理由」を教えられていない
先生の指導が足りないのであって、
もっと本質的に考えれば
困るのは先生ではなく
その生徒本人だけです。


とにかく勉強においては
答えが付いていない問題集を扱うのは
絶対にやめましょう。


2015年5月11日月曜日

足が折れても

※※※※※若干ネタばれあります※※※※※


毎週月曜日は
ジャンプを立ち読みするという
重要な任務があります。


ここ2週間はGW期間ということで
ジャンプも1週分開いたわけで
待ちに待ったという感じでした。


特に『ワンピース』と『銀魂』については
今非常に熱いんです。


今週は特に
リク王と松陽先生のセリフが刺さりました。
立ち読みなのに
ちょっと泣きそうになったりしました。


今週の『ワンピース』の題名は
「足が折れても」
すごくドキッとする題名です。
でも、読んだ後になると
よくぞこのフレーズを題名に選んだ!
という尾田さんへの尊敬の念が
溢れてきました。


そして、かつてのコブラ王を彷彿とさせる
リク王の涙ながらの演説。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

希望はまだあるんだ!
だから、諦めないでくれ!

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


ああ、書いてるだけでも
泣けてきます。
重要なところはネタばれしないでおきますね。
是非その目でお確かめ下さい。


とにかく、まだ希望はあるんです。
私たちも諦めるわけにはいかない。
まだ生きている。
まだ息がある。
まだ戦えるはずなんです。


『ワンピース』という漫画は
本当に深く熱く尊いストーリーを描きます。
ウソップが言うように
果てがあるとも分からぬ海に飛び出す
海賊の誇り高い生き方は
多くの読者の胸を打ちます。


かく言う私は一応起業家の身。
しかし能力者でもないので、
本当に四苦八苦の状態です。


海賊の海とは起業家が重なります。


スティーブ・ジョブズも
海軍ではなく海賊になろう!
と言っているように、
自由であるために
どこまでも理想に生き、
そして理想・野望に散るのが海賊です。


能力者とは起業家の、
特に卓越した独自性を意味しているようにも思います。
メラメラの実やゴムゴムの実を通して、
それぞれの強みを追求し
使いこなすことの重要性を伝えている、
と考えてしまうのは
深読みしすぎでしょうか。


もうひとつ心打たれたセリフがあります。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

人は、自分の弱さゆえに苦しむ。
しかし、自分のその弱さに抗って
苦しむこともできる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


銀魂に登場する吉田松陽先生のセリフです。


受け身の苦しみに苛まれ続けるか、
自ら選んだ苦しみに耐えるか。


空知英秋さんも
本当に尊敬すべき方です。
最近はストーリー的にも
本当に熱く考えさせられるし、
何より一人一人の信念が
グサグサ刺さるんです。


漫画は
人生で大事なことに
自然に気付かせてくれたり、
弱っている時に奮起させてくれたり、
誰にも見せられない心の内を
ガッツリ分かってくれているような
感動をくれたりして
本当に救われます。


特に今週号はお薦めです。


2015年5月10日日曜日

『学問のすすめ』は何を語るか

慶応義塾大学の創設者であられる
福沢諭吉先生。


かつてやっていた『坂の上の雲』でも
主人公の秋山好古の最も尊敬する人物であり、
当時の日本で一番頭が良いと
言わせしめた人物です。


もちろん、旧紙幣からの
唯一の続投を続ける
日本最高額紙幣の肖像に
選ばれた人物でもあるわけですが、
その彼の代表作『学問のすすめ』は
御読みになったでしょうか?


恥ずかしながら、
私も学生時代にはまだ読んだことはなく
始めて現代語訳版を読んだのも
大人になってからでした。


そういえば、
学校で『学問のすすめ』を読んだことないなー
と考えていた次第です。


社会の教科書や図説で
「福沢諭吉は人間の平等を解いた」と
簡単には書いてありますが、
その書物の内容が
国語の教科書に載っているのは
まだ見たことがありません。


なぜでしょう?


以前大前研一氏の
『知の衰退からいかに脱出するか?』(光文社知恵の森文庫)
にて竹中平蔵氏に聞いた話という件で
「日本は愚民政策を強いているから」
というフレーズがありました。


『学問のすすめ』とは学問を勧める話で
(当たり前ですよね笑)
政府と同じ水準まで自分を引き上げるためにせよ、
という内容でした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これは別に政府に抗えという話ではなく、
ダメな政府だと思うだろうが
今の政府があるのは
国民のレベルがそうだからだ。
政府が横暴だと言うならば、
学問で知恵を身に付け
政府と対等にやりあえるレベルまで
自分を引き上げねばならん。
そしてそれは
誰かれ個人ができてもダメで、
国民総じて独立心を持ち
学問をすることで実現し、
そうなれば日本そのものも世界で独立し、
確固たる立ち位置を得られる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

と言うのです。


これが有名な

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

一身独立すれば、
一国独立す

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

なのです。


しかし、現状の政府の見解は、
国民にあまり政治に関心を持たれると
他国のように暴動が起きて面倒だから、
国民に愚民政策を強いて
無気力、無関心にさせているから大丈夫、
ということを言っていたそうです。


今から6年前に出された本の内容を
引用するのもどうかと思いますが、
今もさほど変わっていないように思います。


むしろ、福沢諭吉がこの本を書いた当時の日本と、
今の日本がどれだけ違うかということです。


天は人の上に人をつくらず、
人の下に人をつくらず
“と、言えり”


この「と、言えり」という言い回しから、
福沢諭吉の言葉という印象よりも、
世の中ではそう言われているんだけどね~
というテンションであることが分かります。


つまり、夏目漱石でいう
「吾輩は猫である。名前はまだない」
と同じようなレベルで、
要は最初の1文だから有名になっているだけで、
実はこのフレーズに福沢さん自身の
思い入れはないのではないか
と私は読んでいます。


というよりも、これは単なる技法で、
物書きには当たり前の
“最初の1文で読者の関心を引く技法”。
それが今では教科書に真っ先に載ってしまう。
これが日本の教育の浅はかさだと思うのです。


そもそも彼の言う学問の目的は、
本来我々に与えられた「権利right」を
本質的な意味で取り戻し
お互いに保持し続けるため、
というものです。


そして学問とは
英数国社理という勉強だけではなく、
和書、漢書、洋書などを読むだけではなく、
実生活のあらゆるものを総じている言葉です。


ですから『勉強のすすめ』ではない。
あくまで『学びのすすめ』なのです。


学びの対象は無数にあります。
というよりも、学びの対象でないものがない。
全てが学びです。
それを学ぼうとする者にとっては。


最近改めて読んでいますが、
(正確には聞いていますが)
『学問のすすめ』から学びとれる発想は
今の時代にも重要なものだと感じます。
今一度かみしめてみようと思います。


2015年5月9日土曜日

人生は自分で選べる。本気なら。

「あったかいんだからぁ~」でおなじみの芸人クマムシ。
実はこの名前「クマムシ」は
地球最強生物だと御存知だったでしょうか。


昨日偶然Youtubeで見かけた動画に
クマムシが登場し、その事実を知りました。


クマムシは熊に似ていることから付けられた名前です。
私も熊本出身、熊本在住なので
どこか親近感が湧いてきますが、
彼らはあるスイッチが入ると
最強の防御を発動することができます。


それはクリプトビオシス(乾眠)です。


クリプトビオシスとは
身体の全ての機能をストップさせて
一種の仮死状態を作る行為なのですが、
この時の状態が正に最強。


なんと151度の高温から
-273度の超低温の中でも生きられ、
10日間の宇宙開放実験でも
無事生還したほどの防御力を誇ります。


この生存能力の強さをもとに
名前を付けたのが彼ら芸人クマムシ。


過酷なお笑い業界でも生き残っていけるように
だそうです。
ピッタリな名前ですね。


さて、こうした「あり得ない生き物」は
地球上に無数に存在します。


雌雄同体(オスとメスが1体の中に存在する形態)や、
泳げないから海底を歩く魚。


深海で見つけたメスに対して
二度とはぐれないようにと自分の身体をメスに同化させ、
自分はそのまま生殖機能だけを残して
朽ちていくオス魚。


生んだ卵を全て体内で保持し、
子どもたちがオタマジャクシを卒業して
生まれてくるまで背負い続けるカエル。


宇宙の大気圏を突入する際でも
燃え尽きることなく地球に辿りつけるほどの
防御力を持つクマムシ。
ちなみに体長1ミリ程度。


進化の過程で生き残り続けた
あらゆる種が存在する地球において、
唯一卓越した頭脳で
文明を切り拓いてきた最強種が
私達人間です。


道具を作り、言葉を話し、
目に見えない電磁波を操り、
宇宙にまで飛び立とうとする種です。


そんな恵まれた生を受けながら、
最強種である誇りを棄てて
日々をないがしろにしている人がいます。


勿体ない。


かの成功哲学の父ナポレオン・ヒル博士の
『思考は現実化する』
これだけ聞けば「風が吹けば桶屋が儲かる」的に聞こえ
本当にそうかよって思ってしまうかも知れませんが、
事実と論理でつなぐと
この一言に見事に集約されることが
分かります。


あなたの思考があなたをつくるのです。
悪い思考が悪い今をつくり、
良い思考が良い未来をつくる。
人生は選べる。
問題はそれを受け入れる覚悟です。


あなたはどんな未来をイメージしていますか。
いつまでも一寸先は闇ですか?
勿体ないでしょう。
人生が選べるなら、
思いっきり楽しく明るい夢を抱きましょう。


今までどうだっかなんて関係ない。
これからどうしたいかです。
そして、今ならいくらでも選べる。
変われる。


人類という地球上最強種にのみ許された
思考という武器を
存分に活用していこうではありませんか。

2015年5月8日金曜日

塾に行くのは効率?非効率?

そもそもです。
塾と学校の成績分布は何か違うでしょうか。


もし同じメンバーだけを抜粋してきて
純粋に彼らだけの成績分布、
つまりは順位表を提示したら、
おそらくそんな大きな違いはないと思います。


例えば、ホリエモンさんのように
塾に行って素晴らしい先生と運命的な出会いをし、
その後人生を一変させたなんて例は
ほぼないわけです。


例えば私自身も数多くの塾に行きましたが、
中2の夏合宿4日間で80名ごぼう抜きにして
全教科&総合で1位にはなりましたが、
そんなことはほぼあり得ません。
こういうのを奇跡と言います。


というか、
この時には何となく勉強の仕方が
分かっていたのかも知れません。
大事なことは


★★★★★★★★★★★★

①絞り込み
②集中

★★★★★★★★★★★★


これらが実践できれば
誰でも同じ結果を得られたはずです。


さて、塾に行っても学校の再現なら、
その差はまず埋まりません。


成績の下剋上をしたいと言うのに、
優秀層と同じことをしてみたところで
並走するだけです。


それに塾はタダじゃないでしょう。


もしこれがタダなら何も言いません。
行った方が良いかも知れない。
辞めたい時に辞めれるし。


しかし現実的には教育費として
多額の資金が投入されるわけです。


一方で、塾を効率的に活用できるのは
最初から勉強に免疫のある子だけ。


ということは、
塾に行っても現状成績を伸ばせない子たちは
その前にしなければならないことがあるということでしょう。


それは


★★★★★★★★★★★★

マインドの切り替え

★★★★★★★★★★★★


です。


別の場所でも言いましたが、
人間はある意味で受信機です。
アンテナです。


周囲からあらゆる情報を受信し、
処理し、分析をかけて、
認識に回し、私的な世界(観)を創ります。


つまり、受信機の性能を変えれば
自分の世界(観)も変えられるということです。


塾に行くのが効率的になっている人は
正直5%くらいだと思います。
その他大勢は単なる気休めです。
自己満足でしょう。


でもそういう人たちは
まず布団や椅子や服にお金を投資した方が
はるかにエフィカシー(自己評価)上げられて
良い結果に繋がるはずです。


とにかく、塾に行く人を馬鹿呼ばわりしちゃいましたが、
塾を上手く活用できる自分になってから行けば
全然それは馬鹿ではなく
むしろ優秀と言えるのかも知れません。


2015年5月7日木曜日

『ビリギャル』の正体

参考:
http://solife-a.com/8695.html
http://www.officiallyjd.com/archives/446391/


最近映画化までされた『ビリギャル』。
1年間で40偏差値上げて慶応に合格した
ドリーム・ストーリーです。


こちらの原作も65万部以上が売れ、
多くの方が感動したそうです。


が、そこに疑惑がかけられているというのが
ここ数日の話です。


どういう疑惑か。


それはビリギャルの前提が酷い(汗)
というものでした。


まずご本人の出身は
名古屋のお嬢様学校。
中学入学時に56以上の偏差値が必要で、
その後はエスカレーター。
金城学院中学 偏差値61
  愛知淑徳中学校 偏差値69
  椙山女学園中学校 偏差値56


塾は無制限に使える数百万円のコースに所属し、
もともとの成績も悪くなかったらしく、
「1年で40上げた」というのが
事実かどうか疑わしいとのこと。


この本が“実話”として売られているので、
これは詐欺行為に近いのでは?
と私的には思ってしまいますが、
それは皆さんの判断にお任せしましょう。


とにかく、
この本の内容自体は事実ではなく
『ドラゴン桜』のような
フィクションだと捉えると良さそうです。


実際勉強本書く人はよく使います。


「私は学生時代落ちこぼれでした(灘高校で)」
みたいな。


酷い~


これはでも当たり前のことかも知れません。
何も前提のない人間が
ドラマのような人生を歩むなんて
凡人である私たちが期待すべきではありません。


ルフィもナルトも黒崎一護も
ドラゴンボールの孫悟空も
皆血統や環境の成せる業です。


ビリギャルもドラゴン桜も
もともとが落ちこぼれでも何でもなくて、
ちゃんと素質のある子だったということ。


ただ、じゃあ実際には1年間で
偏差値40上げることは可能か?となると、
私個人の見解としては「可能」と言えます。


勿論、本人に上げる気がどれだけあるかに依りますが。


方法論はいくらでもあるんです。
それこそリアルに偏差値30から70に上げるなら、
まずは小学生レベルからのやり直しです。


でも現実問題それを受け入れられるかどうかが
一番になってくるわけですが。


以前言われたのは
「そんなことをさせるためにお金を払ってるんじゃない」
というものでした。


成績を上げてくれ、でもそんな方法はイヤだ、
というわけです。


おいおい(汗)


価値観は一人一人違います。
でも何事も一足とびに結果を出すことはできません。
一歩一歩です。
それができるかどうかなのです。


今回の『ビリギャル』の問題は
先ほど申し上げた通り“実話”と言っている点。
そこだけです。


あとは嘘を言っているわけではありません。
ズルイけど。


そして、ここから学べることは何か。


コンテキスト(背景)を意識して読め、
ということでしょうか。

2015年5月2日土曜日

「考える力」とは何か

最近の教育界のトレンドは
「考える力」の育成です。


これまでの暗記偏重への反発から
まーた極端な発想に揺れ動いています。
ゆとり教育の時と同じ失敗の臭いが
ぷんぷんしてきますよね。


そもそも、なぜ「ゆとり教育」が失敗したのか。


それは定義を明確にしなかったからです。
「ゆとり」とは何か。
これが仕掛ける方も明確ではなかった気がします。


さらに言えば、
ゆとりはあくまで自ら作りだしてこそ
価値があるという本質を見失っていました。


人から与えられた「ゆとり」など
恐くて触れません。


自由な時間が増えたのはどちらも同じですが、
もともと勉強嫌いな子たちは遊ぶ時間が増え、
もともと勉強できる組はさらに勉強した、
という結果になりました。


そして「ゆとり」という言葉を巡って
不毛な論争が繰り広げられたことは
皆さんの知る限りです。


さて、では今回の「考える力」ですが、
果たしてどこまで明確な定義がされているのでしょうか。


個人的には
「思う」と「考える」の違いすら
多くの人には認識されていないように感じます。


「思う」と「考える」の大きな違いは
感情論と理論という点で説明できます。


「思う」という情報処理は
特別脳に障害をお持ちでいらっしゃる方以外は
誰もが普通にできることです。


リンゴを食べて「おいしい」、
子犬を見て「可愛い」、
アクション映画を観て「スゴイ」、
鉄を触って「固い」、
渓谷に行って小川の水に触れて「冷たい」。


こういったことは誰もが自然発生的に感じられることです。
そこに理屈は存在せず、
価値観を基準にした一瞬の価値判断が
行われています。


これが感情論です。


でも「考える」という情報処理は少し勝手が違います。
論理的な思考が差し挟まるのです。


例えば分かりやすい例でいくと
原発再稼働か脱原発かという議論。


放射能であれだけ大気や土壌が汚染され
人命が危険にさらされたんだ。
当然脱原発だろう!
という意見もあるのですが、
ここだけ切り取ると感情論になります。


ここに他の電力供給状況、
火力だったり水力、風力、潮力、
それから海外からの化石燃料輸入を照らして
総合的なあらゆるコストを検討すると、
現時点でいきなり原発全てを停止させると
電力供給が持たないぞ!
と考えるのが論理的思考ということになります。


かなり説明がざっくりですが、
要するに「考える」ためには「情報」が要るのです。


厳密に言えば、
感情論はどこまでいっても残るのですが、
そこに客観的データがどこまであるかで
論理的な精度が比較されるわけです。


さらに、もう少し踏み込んで考えると
「考える」という一連の情報処理には


①情報
②発想


の2つの要素があります。
①の情報は良いとして、
②の「発想」とは「情報の繋げ方」を意味します。


同じ情報量の2人が
同じ結論を導き出すかと言われたら、
それは分かりません。


そもそも双方に別々の人生を歩んできた以上、
価値観が違います。


価値観とはそれまでの人生の過程で形成してきた情報群と
それに伴う心理的反応性、人格の優先順位などの総合で、
これ自体は簡単には変えられない
個有値(個有関数)みたいなものです。


この双方の別々のプログラムに投げ込まれた情報は
おそらく全く異なる情報処理を受けて
何かしらの結論に辿り着くわけですから、
全く同じものにはならないでしょう。


ただ、確かに言えるのは、
この思考回路が作り込まれたものでないと
十分に機能しないということです。
すぐに感情回路に落とされてしまいます。


脳は比較的怠け者なので、
思考に慣れていないとすぐに回路を回せませんが、
この「慣れ」をどう身に付けるかに
教育をかましていこうというのが
おそらくですが、
「考える力」の議論になっているのではないでしょうか。


もし、そういうこともなしに、
暗記だけじゃダメだから考える力も!
という流れになっているのなら、
この人たちに「考える力」を教える資格はありません。
自分たちが考えていないのですから当然です。


それに、小学生や中学生に採用するにしても、
彼らに十分な情報がインプットされる前提がないと
エモーショナル・サーキット(感情回路)ばかり
グルグル回すことになりますから、
思考力の養成に関しては逆効果になるでしょう。


このように「考える力」の育成には
相当な下準備が必要なのですが、
そういうことを考えて下さっている方々が
どれくらいいるのか疑問です。
というか大いに心配。


子どもたちの将来のためにも、
私たち大人の「考える力」が
今試されています。


2015年5月1日金曜日

受け身のままの人生でいいの?

勉強で成績を伸ばせない人の多くは
受け身で勉強しているようです。


脳はストレスを嫌うので、
受け身で勉強している間は
記憶の定着率が著しく低下します。


かと言って、
嫌なものを好きになるのは困難です。


そうすると、
今の教育制度がダメなんだろうかとか、
どうしたらいいんだ!?
って話になるのですが、
結局は自己責任ということになります。


厳しいですよね、世の中。


しかし、成功することを拒む法律や
成績アップを阻害する法律、
逆に塾に行きなさいといった規則がない以上、
成績不振の原因は努力不足であり、
自己責任ということになってしまうのです。


色んな環境で育った子はいます。
お金持ちの家に生まれる子、
貧困層に生まれる子、
医者の子どもやフリーターの子ども、
運命は様々です。


でも、その子がその家に生まれてきた責任は
誰にもありません。
それが「運命」です。


「運命」である以上、
受け入れざるを得ませんが、
それが複雑であり難しい問題なのです。


ただ、そういった色々な事情があることを踏まえてなお、
私たちは言わなければなりません。
自己責任だと。


勿論、こう言っている私自身もそうです。
起業家として失敗して路頭に迷ったとしても、
それは力のない私自身の責任です。

あいつは素質があったから、
あいつの親は社長だから、
あいつは天才だから。


言い訳したければいくらでもできるでしょう。
でもそれが何だというのでしょうか。


言い訳を1000回すれば救われる世の中なら
私も今から言い訳し続けますが、
それは時間の無駄でしょう。


生きるためには勝つしかありません。
そして勝つには戦わねば。
戦う前に戦意喪失している者は
巨人に喰われて死ぬだけです。


はい、『進撃の巨人』ネタです。


私のオススメは7話と8話です。


道を見失いそうになったとき、
落ち込んで諦めそうになったとき、
いつもこっそり『進撃の巨人』観ます。


先日のBTTの時間にも
題材として採用しました。
あれは教育的に使いやすく、
ストーリー的にも分かりやすい。
戦いたくなります。


とにかく、あなたがもし今受け身なら、
そのままで良いのか?って話です。


いつまでも受け身の勉強するなら、
いっそうやめてしまった方がいいです。
時間の無駄ですから。


だって受け身でイヤイヤやってても
脳は覚えないんですよ?
100勉強して明日には10だけ残る。
こんなん効率悪すぎるでしょう。


100やったらせめて50くらい残したい。
そのためには脳がウキウキしてなきゃ。
リラックスが脳には一番適した状態です。
そして成績が良い連中というのは
総じて勉強に前のめりです。


あなたの置かれた状況は私には分かりません。
私も含めて、
私たちは自己責任の世界で生きています。


責任転嫁という言葉がありますが、
意味はありません。
できたかどうかは
自分の努力が適当だったかどうかであって、
誰かのせいには本質的にはできません。


いつまでも受け身のままでいれば
鬱々とした気分が続くだけです。


でも、私たちは自由。
今すぐ受け身をやめて戦うことだってできるんです。
誰も止めません。
止めているのはあなた自身です。


バイクも車もリスクの高い乗り物ですが、
その分可能性を大きく拡げてくれる乗り物です。
エンジンをかけ
ブレーキから足を離してアクセルを踏まねば動きません。


事故がいやだから乗らない
という選択肢もあるでしょう。


そう、私たちは自由なのです。