2015年1月29日木曜日

新しい価値観は良い方向に進んでいるのかな???



時代が変われば価値観が変わる。
でも。。。。


今日は色々考えさせられてしまいました。
使う言葉、言うべきこと言わないでいいこと、そういうことをもっとちゃんと考えねばならないかなと感じさせられたのです。
人間同士のやりとりって難しいですね^ ^;


例えば、医者と患者の関係。
父は現在入院中ですが、その中ではやはり看護師さんや医師の方々とコミュニケートするわけです。
でもその過程で、どうしても患者としての不安が消えないと言います。
医療業界にも色々事情があるのでしょうが、患者が欲しいのは症状の緩和と心の平安なのです。
でも検査検査で先に進まない。
伝えたことが伝えたいように伝わっていない。
話を聞いていて何とももどかしい心持です。


また、学校の先生の権威が失墜したのはいつだったか、的な話もしました。
昔は学校の先生は尊敬され、親も信用し、生徒も一目置いていた。
でも今はその信頼関係が崩れ去り、教育現場が荒れています。
変わってしまった価値観をとやかく言うのもナンセンスですが、何が原因だったのかなと考えたりしました。


生徒も、良くも悪くも私の言葉や思いを受け止めてくれています。
以前言った言葉をその後も思い出して頑張ろうと奮起してくれていたり、その逆にどうも気になって仕方ないという感じだったり。
ふと気を抜くとキツすぎる表現をしてしまって、伝えようとした内容よりもそのフレーズ自体が心に刺さってしまって真意が届いていないこともあるわけです。
あ~そうか、と反省しました。


今の子どもたちは色々な意味で満たされています。
無いものはないと言えるくらいです。
だから自分からガツガツ頑張ろうって感じになりにくいのかも知れません。
個別指導というスタイルも、聞こえはいいですが、結局は生徒にとって良い仕組みかは分かりません。
成績は伸ばせるかも知れませんが、過保護な教育は、する方は自己満足できても、される方は思考停止状態でも機械的に覚えてしまえるのです。
なんだかなぁと思います。
その場の凌ぎのために大事なものを失ってるって感じで。


考えてみたら、みんなチグハグになってる気がします。
本来あったバランスが崩れて、新しいバランスができているんだけども、どこか不健全に思えてしまう。
それは単に自分の価値観が時代の変化に追いつけていないだけなのか、そのバランスは改善されるべきものなのか。
でもそれを求められていないのなら、改善よりも乗っかる方がビジネスになるのでしょうし。
でもその流れに拍車をかけるのは明らかに良くないと思ってしまう自分がいて。。。


ん~最近なんかごちゃごちゃ考えすぎちゃってますね。
明日はまた大事な交渉事が控えているので、これからまたごちゃごちゃ考えます(汗)

2015年1月24日土曜日

あなたもこんな小さなことに影響を受けている



人は結構些細なことに翻弄されるものです。


ここ2,3週間で熊本市内のリサイクルショップ、アウトレットを全て回りました。
久しぶりに巡りましたが、掘り出し物が多数見つかりテンションアゲアゲですw
こういうの好きなんですよね、イイモノを安く買うの。
本当に素晴らしい家具がめちゃくちゃ安くなってたりして。


でも、安くなってる理由が必ずあるわけです。
それは単純に中古品だからというのもあるんですが、15万のソファが8800円ていうのはちょっと(汗)
一体何があったんだよって思います^ ^;


アウトレットなんてもっと不思議です。
だって、それはもともと新品ですから。
新品なのに40%オフとか普通にあるんですが、その理由が普段使いしてれば全く見えないような場所についた傷だったりするわけです。
それでこんなに安くなるのか!!!!
まぁ、買う方は全然嬉しいんでいいんですがw


これが買い物とかで、かつ購入者サイドにいると全く気付きませんが、実は私たちは本当に些細な要素に感情を持っていかれて判断を狂わされているのです。


家具がほんの小さな傷でも大幅に安くなってしまうように、あるアイドルは口元のホクロがチャームポイントかも知れませんし、ある国語の解答は1文字漢字がミスっているだけで0点になってしまうかも知れません。
目つきが悪いというだけで不快に思ってしまうかも知れませんし、ちょっとした言いまわしの違いで喧嘩になってしまうかも知れません。


全く同じ場所でも「休憩所」と呼ぶのと「ラウンジ」と呼ぶのでは印象が全然違いますし、それこそ同じフレーズでも「ひらがな」「カタカナ」「横文字」でガラッと受け取るイメージが変わってしまうものです。


ビジネスにおいてコピーライティングが重要視されているのも、その些細なことに影響を受けてしまう脳の構造を熟知しているからです。
心理学に卓越した者が(あるいは無意識かも知れませんが)顧客の感情トリガーを操り、見えないところで気付かれないように集客トラップを仕掛けている。
私はそう思っています。


逆に言えば、些細なことに影響を受けるからこそ、本来すべき判断を誤らないためにも、そういった脳機能を常に意識しておくと良いかも知れません。
きっと色んな場面で役に立つと思います。

2015年1月23日金曜日

自分中心の人生を実現する方法



攻めねばなりません。


私はワガママなので、自分の思い通りにいかない時が一番ストレスフルになります。
その反面、出てしまった結論は潔く受け入れるようにもしています。
全弾打ち尽くしたあとは祈ることしかできませんし、その時に出た結論は私にとって最高の結論のはずだからです。


ちょうど今、受験生たちは進路選択の真っ最中です。
結構ボーダーギリギリっていうのが一番迷いどころで、攻めるか退くかの判断が難しいのです。
個人的には突っ込め!と言いたいところですが、その判断、いや、決断は生徒自身に任せています。
自分の人生を他人がどうこう言うことじゃないし、自分の人生において重要な場面で死ぬほど迷わせ悩ませることも、大切な教育だからです。
答えはありません。


ただ、そういったギリギリの時に攻められない人と、それでもリスクをとって攻める人の間には相当大きな差があるのは事実です。
守りに入れば攻められます。
こちらから攻めるしか、自分の人生のコントロールをする術はないわけです。


私は浪人時代に今の価値観を醸成させましたが、その時に考えていたのは、結果や成果をもっとコントロールできないか、ということでした。
頑張ったら合格するかも!?みたいな博打は打ちたくなかったんです。
ある程度結果が見込める方法はないのか、どうしたら結果論ではなく「自分次第」という土俵に持ち込めるのか、そればかり考えていました。
そうやってできたのが今の私の思考回路なのです。


周囲(人間関係や環境など)に振り回されずに、どう自分で成功をコントロールするか。
そのためには攻めねばなりません。
私たちはあらゆる現象にリアクションを取るという行為を繰り返して日常を形成しています。
言い方を変えれば、私たちは反応して生きているのです。


とすると、それはある意味受け身の生き方です。


でも、その現象が私たちのアクションに対するリアクションとして生じたものだとしたら、どうでしょう?
現象発生のメカニズムの起点を常に自分にできたら、ある程度「自分次第」の土俵で闘うことができると思いませんか?
そして現象へのリアクションは最早「フィードバック」になるわけです。


自分から攻める。
その結果なにかしらの現象が発生する。
その現象に反応する。
そして検証した結果を基にまた攻める。


こうすれば受け身の生き方が一変します。


私たちは攻めねばなりません。
自分以外の何かに生かされるのではなく、自分の世界が本当の意味で自分中心に回るようにするためにも、攻めなくてはならないのです。
何かが起こるのを待つのは、もうやめましょう。
自分の人生では、自分が主役であるべきです。

2015年1月14日水曜日

格差の本質は「受動と能動」にあった!



能動か受動か、それがポイントのようです。


今日は久しぶりに
熊本駅前のプラザ図書館へ行ってきました☆
やっぱテンション上がりますw
1月25日は福岡でビジネスセミナー、
2月4日は熊本で講演会、
それと併せて有料自習室の立ち上げと、
楽しいイベントが盛りだくさんなので、
もっとガンガン勉強しようと図書館を解禁しましたww


さしおり今週末のセンター試験終了時までは読めませんが、
それでも今のうちに借りておいて、
即切り替えられるようにしておかないとですね!
てか普通に我慢できずにフライングしただけですけどw


そうこうバタバタしてる時に
偶然テレビで目にしたのが、
日本人妻のスイスでの生活です。
スイスではその奥さまが
DIYで家具のほぼ全てを賄っていました。
家の修理も家具の立てつけも、
全て奥さまがご自身でされていたのです。
スイスのその地域ではそれが当たり前なんだとか。


その際のインタビューで、
日本人の娯楽は受動的で、
スイスでの娯楽は能動的なんです、とおっしゃっていました。
自分でやって楽しむ。
人にしてもらうのではなく、
自分でするからこそ楽しめる。


これは色んなことに繋がっているポイントだと思いました。
誰かに何かをしてもらうことが
当たり前になってしまっている人ほど、
この先の世界は辛いものになっていくと感じたからです。


誰かに雇ってもらう、誰かに支えてもらう、
誰かに協力してもらう、誰かが世の中を良くしてくれる、
政府が、自民党が、野党が、先生が、塾が、会社が、、、


でも、これからは自分で考えて
行動しなければならない世の中です。
教えてもらうことを待つ者よりも、
教えてくれと頼む者がいち早く先に進める時代なのです。
知りたい意欲、問題意識、努力を厭わない姿勢。
それが辛い現実を打破する数少ない手段です。
そしてそれが時代がどんなに変わっても不変のもの。


私自身はまだまだ色々な方々に支えられ、
機会をいただき、必死に追いかけている未熟者ですが、
あと7年半で必ず成果を出すと決めています。
そのためには情報は絶対に必要だし、
学びを止められないことも分かっています。
時に自分の価値観も棄て、
道徳観念も柔軟になってきたと思います。
進撃の巨人とか仁とか観て
自分を奮い立たせたりしてますww


こうした自分の、自分のための頑張りが、
きっと家族や生徒たちにも
イイものになって広がっていくと信じています。
頑張ることは楽しいし、
楽しいことのために頑張るのが楽しい。
それがちゃんと「努力」と呼べるものであるようにと
常に意識しながら、
これからも邁進していくつもりです。
そのためにも、色んな勉強が必要なんです!


さて、とりあえず借りてきた本は
目に入らないところに隠して置いておいて(笑)、
今日も後半戦頑張ります^^

2015年1月13日火曜日

日本は「教育」という概念を棄てなさい



日本は「教育」という概念を棄てた方が良い。


昨日こんな記事を見ました。
http://benesse.jp/blog/20140609/p1.html
小学生から起業家育成教育を始めるとのこと。
先日も、スティーブ・ジョブズのような起業家を発掘する
「異能ベーション(イノベーションをかけている)」なる
センスのかけらもない事業を推進していたはずですが、
今回は小学生を対象にしているというのです。


正直このニュースを見た時、
政府は日本における起業家精神を
根絶やしにするつもりだなと悟りました。
愚民政策もここまで露骨になっているのです。


言わずもがな、私の思い込みもあるかも知れませんが、
多くの皆さんがお気づきの通り、
日本の教育は個性を潰し、
可能性を封じる教育がなされています。


つい先日も、質問された折、
空間図形を一緒に考えていた生徒が、
手元のバインダーファイルと下敷きで
問題と同じ空間図形を創り、
「ああ!そういうことか!」と理解を得ていました。
私は素直に「この子頭良いな~」と感心したのですが、
当の本人はそのすごさに気付いておらず、
「こんなことしないと分からないくらい頭悪いんですよ~」
と嘆いていたわけです。
この瞬間、
日本の教育の与えるインパクトの大きさに
ゾッとしたものです。


この先、本当に身に付けるべき学力や発想力は、
その子が持っているようなものです。
手元のもので即席でモデルを創り、実験検証し、
自分で腑に落とすまで考えるような発想力、創造力のこと。
ぶっちゃけ高校入試の空間図形の問題が
解けるかどうかよりもはるかに重要な素質なのです。
でもまだ、テストの問題が解けないことは
頭が悪いということなのだと思ってしまう。


日本はそろそろ「教えて育てる」という発想を
棄てた方がいいのではないでしょうか。
本当の教育は自身の可能性に気付かせることにあります。
今の教育は「教える」と言いながら
「押し付ける」になっている。
それでは子どもたちのモチベーションは
下がっていく一方だし、
もっともっと可能性を秘めた子は沢山いるはずなのに、
早々にその選択肢を嫌にさせてしまうかも知れません。
英語教育に然り、起業家教育に然り、
プログラミング教育に然り。


学びにはタイミングというものもあるし、
何も色々なことを早くから詰め込まなくていいのです。
それこそ「読み書きそろばん」を徹底させるだけで良い。
日本語も曖昧なうちに英語を教え込む必要はありません。
ある時海外の文化に触れた時に
「もっと英語を話せたらな~」「自分も英語を覚えなきゃ!」
と思える土壌を耕しておくことです。


難しいことですが、原点回帰、
子どもたちの本来の可能性を引き出せる塾を
追い求めていこうと思います。

2015年1月12日月曜日

乗り越えるべき瞬間が全てを教えてくれる



自己嫌悪を乗り越えた朝です。


おはようございます。
今日は1時間半の大遅刻をかましてしまいました。
生徒には大きな迷惑をかけないよう
事前に仕掛けておいたので良かったのですが、
それでも経営者である私が遅刻をしたことは
本当に恥ずべきことだと暗い気持ちになりました。


ただ、こういう時の対処法は
これまでの遅刻人生で身につけましたw


まずは「気にしない」です。
遅刻したことにショックで、焦り、パニくっても、
起きてしまったことを変えることはできません。
考えても、気にしても何にもなりません。
だから気にしないようにすることにしています。


その分、この遅刻した現実に付随して起こる
あらゆる問題にどう対処するかを身支度しながら考えます。
「さてさて、どうしたものか」と
のんびり着替えながら思考するわけです。
冷静さを欠くとすべきことも分からなくなるので、
リラックス状態を心掛けています。


その後、睡眠不足と空腹と自己嫌悪からくるイライラを
表に出さないための対処を実行します。
それが済むまでは仕事に手を付けないと決めています。
リラックス状態を心掛けると言っても
感情が全くブレないほど大人ではないので、
イライラはどうしてもします。
でもそのまま他者に八つ当たりするようなことは
絶対にしてはいけないわけです。
なので、朝食を食べ、コーヒーを飲み、
精神状態を落ち着かせてから、
初めて仕事に手を付けるようにしています。


でも、本当の自己嫌悪はここから始まりました。。。


朝偶然、
いつもお世話になっている社長さんにお会いしたのです。
すると色々と近況をお話をして下さったのですが、
まるで事業が規模が違うわけです。


シンガポールの企業に日本の物件を仲介したとか、
東京の超一流企業との合同新年会をやるとか、
この間8000億のビルの売り買いでゴタゴタしたとか、
もう半端ないのです。
ちなみに今年の目標は1兆円とおっしゃってました。。。


ウェーブ!!\(≧▽≦)/\(≧▽≦)/ウェーブ!!


って感じで、意味が分からなくなり、
片や熊本でまだちんまりとやってて、
今日も遅刻してアホ丸出しの私は
激しい自己嫌悪にさいなまれました。
これがリアルなんですよね。


お金がどうこうではないとは言え、
自分はやっぱり男は稼げてナンボと
思ってしまう節があるので、
本当にこの話を聞いた時はショックでした。


でも、逆に言えば、
こんな人が身近にいて下さる幸運を
糧にするしかないということです。
プライベートもビジネスも大事にしながら、
自分の身体の限界と上手く付き合い
1兆円を越えるためには、
今の自分の発想レベル事態を
大きくパラダイムシフトしなければならないからです。
今のままじゃ絶対無理。
成果を変えるには自分のマインドを大きく変える必要がある。
正に今生徒たちに伝えていることです。


激しい自己嫌悪の後、
色々な束縛から一歩引いて自分の人生を思った時、
飛躍するヒントがここにあると気付いて、
ようやく自己嫌悪から抜け出すことができました。


とにかく、世の中気の持ちよう。
そして、気付いた後からの必要十分な努力の実行。
今日は奇しくも成人の日。
新成人と共に新しい自分のフェーズへ進みたいと思います。


2015年1月10日土曜日

覚悟が決まると起こること



失敗したらどうしよう。。。
本当に覚悟が決まると、そんなことを考えなくなります。


連投失礼します。
でも、今のテンションはなかなかにイイ感じです!


先日家具店に行って
自習室に置く家具の選定をある程度済ませ、
ビルのオーナーさんにも価格交渉で
かなりお買い得な価格を提示していただき、
本当に初期投資を抑えたスタートが切れる算段がつきました。
当初検討していた金額の3分の1です。
知恵を絞れば何とかなるものですね。


あとは、絞った分から想定される
リスクに対する対処法を吟味し、
塾の新規生徒募集活動との兼ね合いを計算に入れて、
なるだけ早い時期にスタッフを招く状況に辿り着くように
全力を尽くすのみです!


無理を決してせず、
プライドや感情論、楽観視点を捨てて、
今回はかなり現実的な目線から考え抜きました。
なるべく少ない初期投資で、
速やかに利益に繋がる方法を模索し、
勿論蓋を開けてみないと分からないことも目白押しですが、
ゴーサインを出せるレベルまで
現実を追いつかせることができたカタチです。
あとは最後の詰め。


勉強も事業も、
本質的には同じだと感じられるようになってきました。
そこには明確な将来ビジョンと今しかありません。
その2か所を限られた資源の中で
より理想的に実現するために必死に知恵を巡らせるだけです。
知恵を巡らせるには情報が必要です。
それは本や経験からもたらされます。


とにかく、今のテンションはアゲアゲですw


よし、やるぞ!

格差のない社会は健全なのか



格差のない社会は健全でしょうか?


今日の朝観ていたテレビで、
企業が給与を上げれば
購買力が上がり景気は回復傾向に転じる、
という楽観解説をされる方を見かけました。
少し給料が上がっても、
物価が上がっているから
実質購買力は下がっているのだそうです。


しかし、実際小企業である私の立場からすれば、
何もないのに給料を上げることはできません。
経営規模的にもそうですが、
もしそれで会社が潰れれば本末転倒です。


実際、企業が給料を上げれば、
その分以上をどこかで取り戻さなければなりません。
そしてそれは大抵利益増からですが、
その手段は主に他の分野でのコストカットになります。
もしくは売り単価の値上げ。


前者ではコストカットによって
ほとんどの場合質が低下します。
表面的な部分では代わり映えしなくても、
見えないところで質の劣化は免れません。
後者では物価が上がることになります。


仮に給料を上げることができても、
購買力を促進できる上乗せって相当な金額だと思うんです。
それこそちょっと上げたくらいでは貯金へ回されるでしょう。
極端な話、
給料が倍になれば「ちょっと贅沢するか!」となるでしょうが、
それでは企業体力が著しく落ち、
致命傷にもなりかねません。


一番の理想は
利益増になってから給料として還元する方法ですが、
これが俗に言う「能力主義」です。
生産性を上げられた者に対して
その分を給料に反映させて上乗せするわけですが、
これは社会問題の「格差」の元凶になります。


「元凶」と書きましたが、
そもそも格差は悪いことなのでしょうか。
成果を出した者も出していない者も、
皆同じく評価される社会とは、
本当に健全なものなのでしょうか。


それを考えると、
結果を出した者だけが評価される給与制度は
「平等」に近いと私は思います。
もちろん基本給の保証があればなお良いですよね。
完全な能力給となれば
再起不能になったら終わるわけですし、
それは長い目で見れば社会損失に繋がります。
常に再起可能な状況で
皆が安心して努力できる環境が求められます。


努力もなしに景気回復で資金をばらまく行為は、
数年前のゆとり教育同様、
格差を生むだけの危険な政策です。
国は弱体化する上に、
長期的にも人材喪失を促進してしまいます。
生産性を上げた者に賞与として上乗せする制度であれば、
個人レベルで「頑張れば報われる」となり、
そうして総体的に生産性を上げられる社会になることこそ
健全なのではないでしょうか。

2015年1月7日水曜日

思い込みから抜け出そう



成果の90%以上の部分は思い込みに掛かっています。


生徒たちと付き合っていると、
どうも成績の伸び悩む根本的な原因が
「自信のなさ」にあるような気がしてなりません。
ここで言う「自信」という言葉は私独自の解釈ですが、
「自分の努力や可能性を信じる」ということであって、
単純に「自分を信じる」というものではありません。


ちゃんと努力できている子も、
結果が出ないことを受けて自信を失うんですが、
私からすれば
「私はちゃんと頑張れているし、
もっと効率的に頑張れる方法を常に模索している。
このまま頑張れば自分は伸びる」
と信じてほしいのです。


単純に自分を信じることをすると、
それは厄介なことになります。
単なる頑固になって、人の意見に耳を傾けなくなります。
典型的なのが宗教ですよね。
自分が「それが答えだ」と思いこむと、
それを認めない別の誰かと喧嘩になります。
そういう思い込みは危険です。


私の同級生に社長さんやってる人がいますが、
その人も自分の思い込みの罠に気付いていません。
親御さんが社長をやってる会社に入って、
色々教わって会社を任されるようになり、
今やスタッフを数名束ねる子会社の社長ですが、
そこまで何もかもお膳立てしてもらって
社長になっただけの彼が、
私を見下し説教をするわけです。
私からすれば滑稽にしか見えませんが、
それでも「年商数千万円の会社の社長」と言われると
周囲も「すげー」となるわけです。
最早嫉妬する気にもなりません。


ただ、それでも思い込みは寄生虫のようなものです。
なかなか取り除くことはできません。
その思い込みさえ取り除ければ
成績なんて勝手に上がるのにっていくら説明して、
思い込みの取り除き方も説明しても、
生徒本人はコンフォートゾーンから
抜け出す気になれないようなのです。
「私は数学苦手だから」
「俺は何度やっても覚えられないから」
「こんな難しい問題今の自分には荷が重すぎる」
キツイだろうと思います。


逆に言えば、この思い込みのブレーキを外せれば、
どんな生徒さんでも成績を伸ばすことができますし、
その後もどんな目標にも臆せず向かっていく
マインドを醸成できます。
そして、
それをしてあげるのが私の役目だと改めて気付きました。


生徒一人一人の自主性や自立心、
思考や努力の実行を妨げることがないようにと
必要以上の干渉は避けてきましたが、
もう少し私が出張って情報を発信し、
危機感を創ってスキルを教え込むことを
していこうかなと考えました。
それくらいしないとヤバい時代になるわけですし、
このまま適当な塾ばかりあったら、
今の子どもたちのほとんどは、
自分のしたくないことを我慢してしていかないと
生きていけない大人になるなと思います。
私の塾に来ている生徒さんくらいは、
自分の生きたい道をまっすぐ歩いて行ける
タフなマインドを持った大人になってほしいと願います。


変な思い込み、
自分にブレーキを掛けるような思い込みの呪縛から解放し、
本来の可能性に気付いてもらえるような
教育機関を目指します。


今日はところどころ黒くてすみません(笑)
冬期講習ラストデイ、頑張り抜きます!

2015年1月6日火曜日

アウトプットを最効率化するには



精神的に余裕がないと良いアウトプットはできません。


最近実は昨日おとといから悪循環に陥っています。
いよいよ飛ばしてきた疲れが出てきて、朝起きれず(汗)
寝不足な上に朝寝坊するので自己嫌悪でイライラ。
仕事中も
自分のやろうとしていることが思うように運ばずイライラ。
家に帰るとせっかくのプライベートタイムを満喫せんと
酒とDVDでまた寝不足。
この繰り返しです。


私はもともとあんまり疲れを気にしないようにしているのですが
身体が言うことを聞かなくなってくると
「あ~そろそろマズイな」と分かります(苦笑)


疲れを気にしないようにしているのは
精神的にリラックスしていることが
仕事で成果を出すための最重要ポイントだと
認識しているからです。
脳の認識の仕方を変えれば身体の受け入れ方も変わります。
その疲れを「あ~キツイ!」と認識するか
「ん~心地よい感覚だ~」と捉えるかで
ストレスの蓄積のされ方が大きく異なるのです。
なので私はあまりストレスを溜めません。


でも、あと残り2日の冬期講習を乗り切ったら休みたいw


さて、精神的に余裕がないとという話は
勉強にも当てはまります。
成績の良い人たちは成績の良くない人たちよりも
気楽に過ごしている割合が多い気がするのです。


仕事と同様に勉強もアウトプットが成果に直結します。
脳の記憶のメカニズムを検証すると
ストレスが記憶の定着を
最も阻害する天敵だと分かるのですが、
成績の振るわない子たちの多くは
常にストレスを抱えた状態で勉強するので
余計に効率が上がらないのです。


その一方で、成績が良い子たちは気楽なものです。
何をどうすればどれくらいの成果が出せるかが分かるので、
表面的な成績の上昇下降に気を留めません。
あくまで自分のコンディションと頑張り具合で判断し、
反省するところは反省しますが、
ほとんどのことは気にしないでスルーするのです。


昨日ある生徒の指導をしていて改めて認識したのは
勉強を嫌いになることにも悪循環のサイクルがあるということ。
前の取りこぼしをフォローできないまま、
ノンストップの授業の内容が分からなくなり、
宿題が作業になってテストも悪い。
だから嫌いになるのです。
当然です。


しかし、本当は私の問題も含めて
悪循環から抜け出す方法自体は単純です。
悪循環を生んでいる根本的な原因を解消すればいいのです。


私であればプライベートタイムを削ってでも
睡眠時間を確保すること。
勉強であれば学校の授業を無視してでも
自分の取りこぼしを拾うことを優先して
まずは授業の進度に追い付く、です。


もちろん、その解決策を実行する時点で
大きなハードルがあるわけですが、
これを乗り越えることに真剣に取り組むか
「別にいいや」で惰性に流されるかで
人生そのものが大きく変わってしまうのです。


かく言う私も、エヴァンゲリオンなんて観てないで
さっさと寝てしまえば、
明日はスッキリ爽快な気分で起きれることでしょう(笑)
お酒もやめればいいのにですねw


さて、悪循環を断ち切り、
リラックスした気持ちで全力以上の力を出すべく、
今日も何とか乗り切っていこうと思います!

2015年1月5日月曜日

人間の生存理由がなくなる日



人工知能がなんだかスゴイことになってますね。


昨日の深夜、『NEXT WORLD』という番組で
人工知能の話がやっていました。
2045年までには世界に250兆個のセンサーが埋め込まれ、
ありとあらゆるデータが収集されて、
人類が管理される社会になると言われています。


現代でも、コンピュータによる未来予測を活用して、
治安向上を実現した警察署もあるそうです。
様々な食材データをインプットさせて、
人間には想像もできないようなレシピを
考えるコンピュータまであります。


今ある仕事の半分が
20年以内に消えるとさえ言われる人工知能の進化に、
塾で子どもたちに勉強を教えている私は
空しい気分になりました。
記憶することもさることながら、
このまま人工知能が進化し続ければ、
人間の生存理由すらも喪失してしまいかねないからです。


かの有名なイギリスの理論物理学者
スティーブン・ホーキング博士や、
自動車界のスティーブ・ジョブズと言われる
テスラモーターズのCEOイーロン・マスク氏も、
完璧なる人工知能の登場に警鐘を鳴らしています。


技術革新がこれまでの人類の進歩を
後押ししてきた事実は認めはするものの、
この人工知能の発達は人類にとって
何をもたらしてくれるのでしょうか。
創造すらもコンピュータがこなす時代に、
私たち人間に残された「人間たる」とは何なのでしょうか。
ロボットによる単純労働の代替、
人工知能による知的生産労働の代替、
ビッグデータによる未来予測で実現する超効率化社会。


コンピュータにとって、
人間が生き続ける必要性がなくなる時代が、
もしかしたらやってくるかも知れませんね。。。