格差のない社会は健全でしょうか?
今日の朝観ていたテレビで、
企業が給与を上げれば
購買力が上がり景気は回復傾向に転じる、
という楽観解説をされる方を見かけました。
少し給料が上がっても、
物価が上がっているから
実質購買力は下がっているのだそうです。
しかし、実際小企業である私の立場からすれば、
何もないのに給料を上げることはできません。
経営規模的にもそうですが、
もしそれで会社が潰れれば本末転倒です。
実際、企業が給料を上げれば、
その分以上をどこかで取り戻さなければなりません。
そしてそれは大抵利益増からですが、
その手段は主に他の分野でのコストカットになります。
もしくは売り単価の値上げ。
前者ではコストカットによって
ほとんどの場合質が低下します。
表面的な部分では代わり映えしなくても、
見えないところで質の劣化は免れません。
後者では物価が上がることになります。
仮に給料を上げることができても、
購買力を促進できる上乗せって相当な金額だと思うんです。
それこそちょっと上げたくらいでは貯金へ回されるでしょう。
極端な話、
給料が倍になれば「ちょっと贅沢するか!」となるでしょうが、
それでは企業体力が著しく落ち、
致命傷にもなりかねません。
一番の理想は
利益増になってから給料として還元する方法ですが、
これが俗に言う「能力主義」です。
生産性を上げられた者に対して
その分を給料に反映させて上乗せするわけですが、
これは社会問題の「格差」の元凶になります。
「元凶」と書きましたが、
そもそも格差は悪いことなのでしょうか。
成果を出した者も出していない者も、
皆同じく評価される社会とは、
本当に健全なものなのでしょうか。
それを考えると、
結果を出した者だけが評価される給与制度は
「平等」に近いと私は思います。
もちろん基本給の保証があればなお良いですよね。
完全な能力給となれば
再起不能になったら終わるわけですし、
それは長い目で見れば社会損失に繋がります。
常に再起可能な状況で
皆が安心して努力できる環境が求められます。
努力もなしに景気回復で資金をばらまく行為は、
数年前のゆとり教育同様、
格差を生むだけの危険な政策です。
国は弱体化する上に、
長期的にも人材喪失を促進してしまいます。
生産性を上げた者に賞与として上乗せする制度であれば、
個人レベルで「頑張れば報われる」となり、
そうして総体的に生産性を上げられる社会になることこそ
健全なのではないでしょうか。
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