2016年5月7日土曜日

橋下さん、尾木ママ、佐藤ママからの教育観


ここ数日、尾木ママと佐藤ママの討論や橋下さんの新番組等を観て、自分の教育観を養っています。
いろんな見方をする方がいらっしゃるものですね。
ただ、どうしても私は尾木ママは好きになれません(苦笑)

尾木ママって適当なことばっかり言ってますよね(汗)
論理もめちゃくちゃだし、都合悪くなると怒ったり茶化して逃げたりする。

例えば去年話題になった佐藤ママですが、佐藤ママが注目されたきっかけは「息子3人を東大理Ⅲに入れた」というニュースでした。
このことに尾木ママが週刊文春の記事で酷評したわけです。

これはバイキングの坂上さんが「欠席裁判」と評した通り、ちょっと一方的なやり方でした。
全く面識もない、一主婦の輝かしい成果に対して、雑誌のコラムで「時代遅れ」とか「東大至上主義」とか言うわけです。
自分をプロの教育者と豪語する方が、一個人の方のお子育ての成功を妬んで記事に書くというのは、どう考えても道理に合いませんよね。

これはいじめっ子のやり方です。

いじめを誘発する子というのは、嫌いになった相手の悪口をいろんな子に吹き込みます。
こうして「その子を嫌いなグループ」でその子を囲い込んでみんなでいじめるのです。
尾木ママのやってることはそれと全く同じ。
それも相手は素人であり、「尾木ママが雑誌に書く」という影響力を逆手に取って周囲を巻き込み、そうだそうだという見方を増やす行為でした。
要するに「みんなで佐藤ママをいじめましょう」と扇動したようなものです。

でも、なぜ尾木ママがここまでやったのか。
それは自身が子育てに失敗しているという背景が関係しています。

『しくじり先生』でご自身が暴露した通り、尾木ママは二人の娘の教育に失敗した過去があります。
教育者としてどれだけ立派な方かは知りませんが、少なくても自分の子どもたちを犠牲にしてきたということです。

一方佐藤ママは、息子3人に「東大理Ⅲに入る」という、受験におけるこの上ない栄誉を与え、その上子どもたちがかなりの人格者に育っているという、尾木ママとは正反対の成果を上げています。
これは気持ちいいわけがありません。
イラっとする気持ちも分からなくない。

しかし、今回採用した動画を観ていただくとお分かりの通り、今回の客観的評価は尾木ママに軍配が上がっているものの、その内容の優劣に関しては明らかに佐藤ママの方が優勢なのです。
尾木ママは感情論や理想論で論旨を展開しますが、佐藤ママはあくまでも現実目線です。
その上、「これは一主婦の意見であり、一般論ではない」というスタンスで話を組立てています。
が、それを周囲が勝手に一般論に広げて解釈して議論するために、どんどんかみ合わなくなり、それどころかどんどん流れがアンチ佐藤ママみたいになっていきます。

この流れはついに続編を企画するまでになりました。
もちろん続編も佐藤ママのアウェーでした。

一方、橋下さんの新番組は、フリーアナウンサーの羽鳥さんとの共同番組です。
当初の食べ歩き番組から論客を交えた討論企画になりましたが、そこで尾木ママと議論するシーンがあったのです。

最初の橋下さんと尾木ママの対立構造は「小・中学生の留年制度」に関するものでした。
言わずもがな、尾木ママはこの提案に真っ向から反対します。

しかし、いざ討論の場面になると、橋下さんにかなうわけがありません。
この番組では2度、二人が相見える機会がありました。
が、一度目は最終的に尾木ママが自分の意見を変えて橋下さんに擦り寄る作戦に変えてきました。

二回目のやりとりでは、尾木ママが提案者として立ったため対立が避けられず、最終的には客観的評価で負け越しましたが「寂しい人たちネェ」という捨て台詞で幕を閉じました。

尾木ママはおネェキャラになってから急に注目を集め始めた「自称・プロ教育者」です。
が、相手が論理的思考力の高い相手だと絶対勝てません。
尾木ママには論理力が欠けているからです。

しかし、人は論理よりも情感に気持ち良さを感じるものです。
論理も大事だと認識していながらも、完全なる論理だけのアプローチには重苦しさを感じてしまうのでしょう。
橋下さんもあれだけ注目を浴びて、7年半も尽力してもなお大阪都構想を実現できませんでしたし、佐藤ママも、かなり癖のある話し方をすることもあって、どんどん周囲を敵に回して不利になっていってしまいました。

私からすれば、教員を40年やって、テレビにも出て、自分はプロ教育者だと豪語する教育者でさえ、このレベルの議論しかできないということに危機感を抱いてしまいます。
そりゃあ感情論や理想論で話をしていれば気持ちいいでしょう。
しかし、それでは問題を解決することはできません。
現に、尾木ママが完全否定する佐藤ママは、完全に受験を攻略して、東大理Ⅲ合格という実績を3回も出しているのです。
つまり、こと勉強に関しては尾木ママよりも佐藤ママの方が正しいわけです。

しかし第三者が二人の話を聞いていると、どうも佐藤ママの考え方は意にそぐわないらしい。
尾木ママの言うことの方が聞き心地が良いようです。

誤解をされたくないので言いますが、佐藤ママが正しいわけではありません。
佐藤ママの”方が”正しい。
尾木ママと佐藤ママ、どちらの意見を聞けば成績が上がるかと言えば、明らかに佐藤ママである、というだけのことです。
あくまでも佐藤家で上手くいった事例であり、参考にするのは良いのですが、それをそのまま真似て上手くいくか?という話になると、それは違うということなのです。

橋下さんもガチガチの理論派です。
かつてはいろんな人を論破し、高校生までも泣かせるという事態もありました。
しかし、大阪のトップが政治を感情や理想論でやり始めたら、それこそ恐いですよね(汗)
でも、心ない政治だと思われたのでしょう。
難しいです。

私は、はっきり言って教育者には教育改革はできないと思います。
教育者には心優しい人が多い。
でも優しい人は客観視が苦手です。
どうしても感情を挟んでしまう。
理想も描いてしまう。
現実よりもイメージを大事にするんですね。

今の教育改革に関する話もそうです。
アクティブ・ラーニングでこんな生徒を増やしたい、こんなスキルを身につけさせたい、という理想的なイメージを話されるのですが、現場のリアルをどこまで見ているのかが、いささか疑問です。
どうも現場のリアルを過小評価して、成功イメージばかりを追い求めている。
でも論理力に欠けているので感情論と理想論でそのギャップを埋めようと躍起になっているんです。

これって相当危険な状態ではないでしょうか。

中には「失敗なんて恐れない!」「失敗って何?」「新しい動きには失敗はむしろあって当たり前だ!」などとポジティブシンキングしている方も見受けられます。
これって恐くないですか?(汗)
失敗しても、それを成功につなげていこうぜ!って言うのは、結果が出てからの話であって、やる前から「失敗当たり前!」なんてテンションで教育をやられても、自分の子どもの人生をなんだと思ってんだ!って話です。
でも教育者の方々の多くは、こういう思いで教育改革に携わっている。

私もこうやって論じていることからもお分かりの通り、ガチガチの理論派です。
曖昧なことが嫌いなので、一個一個の議論を繋げるのに「感情論」「理想論」は極力用いいません。
感情もありますし、理想を追いかける起業家ですが、それと教育の話は別物でしょう。
繋がっているように見せても、それは繋がっていないのです。

そうやって考えていくと、だんだんと本来のあるべき学習スタンスが見えてきます。
子どもたちが勉強というものとどう向き合っていけばいいのかという、スタンスです。
それは「自分で勉強すること」です。

学校や教育改革に振り回されることなく、塾や家庭教師に縛られることなく、自分の力で勉強できるようになること、それこそが最強のアクティブ・ラーニングだと思いませんか?

自分の目標達成のために、自分の1日1日を自分で管理しコントロールする。
こう言われると難しく聞こえるかも知れませんが、そうする気になっていないということと、そうできるというイメージがないこと、そして根本的に自信が持てなくなってしまっていることなどが影響して、できていないだけです。
できる能力がないということとは全く違います。
できるはずなのにできていない、ただそれだけなんです。

だからその点を解消してあげられれば、子どもたちの勉強事情はガラッと一変します。
そうなったらすごいことになります。
世の中が全く違う価値観に切り替わるということだからです。
日本で成功すれば、それが世界にどんどん染み出していって、いろんな国の子どもたちが同じように自勉できるようになれば、世界がガラッと一変すると思うんです。
それってめっちゃ楽しそうじゃないですか!?

学校や塾や家庭教師に頼らず自分で勉強するようになれば、子どもたちは自分の人生を本当の意味で自分のものとして扱えるようになります。
教育費に圧迫された家庭の経済事情も解消され、別の消費活動を促進して、世の中の経済バランスが一変するし、多くの人が自分の望みを達成する能力を手に入れるのです。
心も豊かに、明るく、たくましくなっていく。
心に余裕ができれば人に優しくなれるんです。

はい、こうやって私も理想は描きます(笑)
でも、目の前の事情には論理的に対応していかねばです。

ということで、今回は橋下さん、尾木ママ、佐藤ママの動画を観た感想を踏まえて、これからの明るい未来を想像してみました。
これから、その未来を創造しなくちゃですね。
それでは。

0 コメント:

コメントを投稿