2016年5月14日土曜日

自分で勉強する力が求められています

本当に!?と思うでしょうか。
そうですよね、文部科学省も「学び合い」を推奨し、グループワークを授業の中に取り入れていく動きを見せています。
「自分で勉強する」なんて、どうも時代と逆行しているように見えます。

しかし、これからの文部科学省の動きを考えていくと、この「自勉力」が格差の要因になっていくことが分かってきます。
今日はそのプロセスを説明しましょう。

まず、これからの学校教育は知識偏重であった暗記中心の勉強から脱却し、知識の活用や協調性をベースにした「学習の質向上」を目指して動いていくようです。
その一環としてアクティブ・ラーニングがあり、PBL(Project Based Learning)があり、その手法としてグループワークの導入が検討されているわけです。

ちなみに先日発表された馳文部科学大臣のメッセージからまとめると、学習の質を向上させるのだが、教える知識量は削らない、とのこと。

また、そこに並行して反転学習の導入も検討されています。
反転学習とは、授業の動画を家で見て学習した後、学校でその内容について学び合うというもので、これまで「学校で授業、家で学習」だったものを「家で授業、学校で学習」という風に反転させたいのだそうです。

さて、こうして見ると
・詰め込み学習からの脱却
・でも知識量は減らさない
・学び合いを軸に学習の質を高める
・反転学習を取り入れる
という大まかなポイントが見えてくるのですが、この改革で最も重大な欠陥がこの裏には隠されています。

「覚える時間が圧迫されている」という欠陥です。

詰め込み教育でも上手く詰め込みができない生徒が多かったことが問題とされ、教育改革が進められています。
しかし覚える量は減らさないと言います。
その上で学びの質を向上させて、家で授業を観てこいというわけです。
これでは「知識を覚える」時間が圧倒的に減らされてしまいます。

知識の活用というのは、あくまでも頭の中に知識が蓄積されている状態が前提です。
しかし、知識を記憶する(蓄積する)時間そのものが度外視されている現プランでは、いきなり「活用」にフォーカスされていて、覚える時間が考えられていないんですね。

家で授業動画を観てきて、学校に来て学び合いをするというやり方も、大きく2つの問題をはらんでいます。
・授業動画をちゃんと皆んな観てくるのか
・話し合いのグループメンバーは配慮されているのか

まず、これまでの状況を考えれば、宿題が「授業動画を観る」ということになります。
これまでよりも受け身で済む分、取り掛かりに関する心理的ハードルは下がる、と考えられているのでしょうか。
そうであれば机上の空論で、宿題の実践率はさほど変わらないと考えられます。
すると、授業を観てこない生徒は学校に来てからの学び合いにも参加できません。
物理的には参加することができても、話し合いの中身が分からないからついていけないのです。

これまでは学校で授業があったので、強制的に受けさせられる分「聞いていない」ことはあっても、「受けていない」ことはなかったはずです。
しかし今後は「受けていない」が発生することになります。
つまり、これまで以上に自己責任の範囲が広げられてしまうわけです。

さらに、学び合いに関する話し合いのグループ構成ですが、ここにも問題があります。
あまりに習得レベルの差があるメンバーが同じグループに混在すると、双方にとってマイナスになるからです。

学び合いを機能させるために、同程度の習得レベルのメンバーを必要とします。
先ほどの例のように、そもそも授業を観てきていない生徒がいると、その生徒は学び合いを活かすことはできません。
また、観てきたとしても内容理解が追いついていない場合は、完全に聞き役に徹することになります。
こうなると、意味の分からない授業と同じで、完全な受け身では頭にほとんど入ってきません。
もっと悪いのは、他のメンバーとの習得度合いの差を目の当たりにするので、学び合いの場を繰り返す度に劣等感を募らせていく(自己評価を下げていく)ことになります。

逆に周囲よりも学習が進んでいる生徒は、他のメンバーに教える側になります。
同じ習得レベルのメンバーが他に入れば、活用内容についてキャッチボールができるのでしょうが、もし自分だけという状況なら、引っ張る場面が多くなるでしょう。

しかし、この引っ張る状況が多くなれば、だんだん学び合い自体が面倒になります。
「お前らももっと勉強してこいよ」とストレスを感じるようになります。
教えることが気にならない生徒は、教えることでよりかしこくなり、記憶にも定着しますので、良く機能すればプラスになるでしょう。

このように、反転学習と学び合いがコラボして授業に導入されるようになれば、明らかに不調和が生じるリスクが高く、学力格差は余計に開いてしまう可能性もあるのです。
悪い言い方をすれば「足の引っ張り合い」になりかねない。

悲観的すぎますか?
もちろん、私のこの見方が悲観的すぎると思い、もっと上手くいくはずだと思われる方はそれでも構わないのです。
しかし、その後の人生がかかった大事な問題ですから、最悪を想定して準備をしておくに越したことはありません。
その点では悲観しすぎることはないと私は思います。

むしろ逆に、文部科学省も現場の教育関係者のみなさんも、どうも楽観的すぎる気もします。
「この方法を使えばこんな良いことが起きますよ!」ということしか発表していないんです。
リスクは本当にないの?
どこまでのリスクを見込んで、どんなリスクを想定して、どこまで手を打っているの?
そう考えてしまうんです。
ましてや自分だけではなく、日本の子どもたち全員の人生を左右する大事な案件なのに、そんなふわふわした楽観主義で改革やっちゃうの?と心配なのです。

そこで、そういった不安を払拭するためにもリスクヘッジは必要で、その具体的な提案が「自勉力」の構築です。

自分で勉強する力の重要性は、これまでのお話でも十分ご理解いただけていると思います。
学び合いも大事だけれど、学び合いが本質的に機能するには、一人一人のメンバーが自分で勉強して自分をフォローしていないといけないからです。
つまりは切磋琢磨です。
切磋琢磨の精神がないと、学び合いが学び合いになりません。
グループを作って「教える側と教わる側」を作るだけになってしまう。
それでは意味がないんです。

ですから、文部科学省がやる気になって教育改革を進めてくれるのは結構だとしても、これまでの文科省の実績を勘案すれば、手放しでこの改革に身を委ねるのは大博打としか言えません。
自分の身を自分で守るためにも、一歩引いてこの改革と向き合い、必要なところは活かして、距離を取るところは距離を取るというスタンスが大事だと思います。

こうして考えれば、最終的には自分で勉強する力が求められることになっていくはずです。
確かに文部科学省も現場の先生たちも「学び合い」「協調」と言うかも知れません。
しかし、それを言葉通りに受け取っていたら、取り返しのつかないことになる。
自分の人生です。
安易に学校に委ねてはいけない。
考えていきましょう。

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