2015年1月13日火曜日

日本は「教育」という概念を棄てなさい



日本は「教育」という概念を棄てた方が良い。


昨日こんな記事を見ました。
http://benesse.jp/blog/20140609/p1.html
小学生から起業家育成教育を始めるとのこと。
先日も、スティーブ・ジョブズのような起業家を発掘する
「異能ベーション(イノベーションをかけている)」なる
センスのかけらもない事業を推進していたはずですが、
今回は小学生を対象にしているというのです。


正直このニュースを見た時、
政府は日本における起業家精神を
根絶やしにするつもりだなと悟りました。
愚民政策もここまで露骨になっているのです。


言わずもがな、私の思い込みもあるかも知れませんが、
多くの皆さんがお気づきの通り、
日本の教育は個性を潰し、
可能性を封じる教育がなされています。


つい先日も、質問された折、
空間図形を一緒に考えていた生徒が、
手元のバインダーファイルと下敷きで
問題と同じ空間図形を創り、
「ああ!そういうことか!」と理解を得ていました。
私は素直に「この子頭良いな~」と感心したのですが、
当の本人はそのすごさに気付いておらず、
「こんなことしないと分からないくらい頭悪いんですよ~」
と嘆いていたわけです。
この瞬間、
日本の教育の与えるインパクトの大きさに
ゾッとしたものです。


この先、本当に身に付けるべき学力や発想力は、
その子が持っているようなものです。
手元のもので即席でモデルを創り、実験検証し、
自分で腑に落とすまで考えるような発想力、創造力のこと。
ぶっちゃけ高校入試の空間図形の問題が
解けるかどうかよりもはるかに重要な素質なのです。
でもまだ、テストの問題が解けないことは
頭が悪いということなのだと思ってしまう。


日本はそろそろ「教えて育てる」という発想を
棄てた方がいいのではないでしょうか。
本当の教育は自身の可能性に気付かせることにあります。
今の教育は「教える」と言いながら
「押し付ける」になっている。
それでは子どもたちのモチベーションは
下がっていく一方だし、
もっともっと可能性を秘めた子は沢山いるはずなのに、
早々にその選択肢を嫌にさせてしまうかも知れません。
英語教育に然り、起業家教育に然り、
プログラミング教育に然り。


学びにはタイミングというものもあるし、
何も色々なことを早くから詰め込まなくていいのです。
それこそ「読み書きそろばん」を徹底させるだけで良い。
日本語も曖昧なうちに英語を教え込む必要はありません。
ある時海外の文化に触れた時に
「もっと英語を話せたらな~」「自分も英語を覚えなきゃ!」
と思える土壌を耕しておくことです。


難しいことですが、原点回帰、
子どもたちの本来の可能性を引き出せる塾を
追い求めていこうと思います。

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