2015年5月10日日曜日

『学問のすすめ』は何を語るか

慶応義塾大学の創設者であられる
福沢諭吉先生。


かつてやっていた『坂の上の雲』でも
主人公の秋山好古の最も尊敬する人物であり、
当時の日本で一番頭が良いと
言わせしめた人物です。


もちろん、旧紙幣からの
唯一の続投を続ける
日本最高額紙幣の肖像に
選ばれた人物でもあるわけですが、
その彼の代表作『学問のすすめ』は
御読みになったでしょうか?


恥ずかしながら、
私も学生時代にはまだ読んだことはなく
始めて現代語訳版を読んだのも
大人になってからでした。


そういえば、
学校で『学問のすすめ』を読んだことないなー
と考えていた次第です。


社会の教科書や図説で
「福沢諭吉は人間の平等を解いた」と
簡単には書いてありますが、
その書物の内容が
国語の教科書に載っているのは
まだ見たことがありません。


なぜでしょう?


以前大前研一氏の
『知の衰退からいかに脱出するか?』(光文社知恵の森文庫)
にて竹中平蔵氏に聞いた話という件で
「日本は愚民政策を強いているから」
というフレーズがありました。


『学問のすすめ』とは学問を勧める話で
(当たり前ですよね笑)
政府と同じ水準まで自分を引き上げるためにせよ、
という内容でした。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

これは別に政府に抗えという話ではなく、
ダメな政府だと思うだろうが
今の政府があるのは
国民のレベルがそうだからだ。
政府が横暴だと言うならば、
学問で知恵を身に付け
政府と対等にやりあえるレベルまで
自分を引き上げねばならん。
そしてそれは
誰かれ個人ができてもダメで、
国民総じて独立心を持ち
学問をすることで実現し、
そうなれば日本そのものも世界で独立し、
確固たる立ち位置を得られる。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

と言うのです。


これが有名な

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

一身独立すれば、
一国独立す

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

なのです。


しかし、現状の政府の見解は、
国民にあまり政治に関心を持たれると
他国のように暴動が起きて面倒だから、
国民に愚民政策を強いて
無気力、無関心にさせているから大丈夫、
ということを言っていたそうです。


今から6年前に出された本の内容を
引用するのもどうかと思いますが、
今もさほど変わっていないように思います。


むしろ、福沢諭吉がこの本を書いた当時の日本と、
今の日本がどれだけ違うかということです。


天は人の上に人をつくらず、
人の下に人をつくらず
“と、言えり”


この「と、言えり」という言い回しから、
福沢諭吉の言葉という印象よりも、
世の中ではそう言われているんだけどね~
というテンションであることが分かります。


つまり、夏目漱石でいう
「吾輩は猫である。名前はまだない」
と同じようなレベルで、
要は最初の1文だから有名になっているだけで、
実はこのフレーズに福沢さん自身の
思い入れはないのではないか
と私は読んでいます。


というよりも、これは単なる技法で、
物書きには当たり前の
“最初の1文で読者の関心を引く技法”。
それが今では教科書に真っ先に載ってしまう。
これが日本の教育の浅はかさだと思うのです。


そもそも彼の言う学問の目的は、
本来我々に与えられた「権利right」を
本質的な意味で取り戻し
お互いに保持し続けるため、
というものです。


そして学問とは
英数国社理という勉強だけではなく、
和書、漢書、洋書などを読むだけではなく、
実生活のあらゆるものを総じている言葉です。


ですから『勉強のすすめ』ではない。
あくまで『学びのすすめ』なのです。


学びの対象は無数にあります。
というよりも、学びの対象でないものがない。
全てが学びです。
それを学ぼうとする者にとっては。


最近改めて読んでいますが、
(正確には聞いていますが)
『学問のすすめ』から学びとれる発想は
今の時代にも重要なものだと感じます。
今一度かみしめてみようと思います。


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