2015年8月28日金曜日

沖縄という特殊な空間

先日沖縄に行った際、
勿論歴史や文化などを調べていました。
でも実際に肌で感じると、
その重みはまた違います。


ほんの150年前まで、
沖縄は琉球王国という独立国でした。
沖縄の歴史は12、3世紀頃のグスク時代(群雄割拠の時代)から、
その後期には三山時代(三強の時代)に入り、
最終的には1429年に尚巴志が統一王国を成すという流れです。


実はグスク時代から、
各豪族が中国と関係を築く動きがあり、
それが琉球王国にも受け継がれて、
冊封関係を持っていました。
中国に朝貢する代わりに称号をもらい、
琉球王国の権力者であることを認めてもらうという関係です。


当時の中国は生産力が豊富であり余裕があったため、
君臣関係にある国の内政には干渉しないという友好的な支配体制でした。
琉球王国はなんの不満もなく中国と友好関係を築いていたわけです。


そこに1609年に薩摩が侵攻してきます。
海洋国家として栄えていた琉球王国の
貿易力を使って儲けようというわけです。
薩摩支配から琉球王国は徐々に日本という国に蹂躙されていきます。


最終的に、中国と日本からの二重支配体制から、
完全に日本の属国(要は植民地化)になるのが1879年です。
廃藩置県の煽りで、鹿児島県の一部とされていたものが、
改めて沖縄県として独立を認められたのでした。


1945年4月、
沖縄は日本における第二次世界大戦において
最も凄惨な戦場となってしまいます。
「沖縄戦にはあらゆる残酷性を投入した」と
GHQが表現するほどの戦争で、
本島の9割が焼け野原になり、
民間人含め20万人の方々が亡くなられました。
そのときから27年間、
沖縄はアメリカの占領下に置かれることになります。


現地に行って感じたのは、
本当に沖縄という地が独特な雰囲気だということです。
中国をはじめ東アジアの影響を大きく受けながら、
うん、ここは日本だな!という在り方であり、
でもしっかりとアメリカ軍基地が幅を利かせている。
首里城に行けば中国の牌楼を模した守礼門があり、
言葉も独特、
普天間基地や嘉手納基地の住所はアメリカで、
A&Wをはじめアメリカ文化が多く見て取れる土地柄。
アメリカ式の住宅も広がっています。


今現在、アメリカが本島の24%を基地として使用しており、
極東最大の空軍基地と、
世界一危ない海兵隊の普天間基地が存在しています。
そのすぐ横では、南シナ海で中国が傍若無人な行為を続け、
尖閣諸島はじめ末は沖縄自体も領有しようと狙っています。


8月30日に国会前で大規模な集会が開かれるそうです。
勿論安保法案法制化反対の集会です。
戦後70年目の節目に安全保障関連法案が
大バッシングを受ける今、
安倍内閣は何かを焦っている。
戦争法案反対の声も大きく、
その声の意味するところを沖縄で改めて噛み締めました。


ただ、難しいのは、戦争をしたくないという思いと、
このタイミングだからこそ安全保障について
真剣に考えねばならないという思いが、
どうしても錯綜してしまうということ。
日本がこれからの世界で十分なプレゼンスを発揮し続けていくためには、
一体何が必要なのか。
理想と現実をどうバランスするか、
そもそもバランスできるだけの力が今の日本にあるのか、
今後もバランスしていけるだけのポテンシャルがあるのか。


日本にはなかなかないオレンジ色の夜景を見ながら、
沖縄に確かにあるアメリカを感じました。
守礼門をくぐりながら、
かつての中国をはじめとした東アジアとの関係の深さを感じました。
ただ、私たちが護るべきモノは何なのか、
私たちが戦うべき相手は誰なのか、
私たちが持つべき“戦力”とは何なのか、
まだ明確な答えは出ていません。
まずは我が身、一身の独立です。


今回の沖縄旅行で得たモノは貴重。
それを胸にもう少し一身独立の努力を続けて、
自分なりの答えを模索したいと思います。

2015年8月27日木曜日

考える力が発動する条件

ふと考えた事です。
考える力はそもそもどこから湧いてくるのか。


考える力は無からは発動しません。
必ず発動するには原因があります。
ある条件をクリアすれば動き出すということです。


腹式呼吸を身につけるときと同じで、
最初は意識的に発動することを繰り返しているうちに癖になります。
自然発生的に回り始める自動思考システムは、
実は練習を繰り返すことでしか身に付かないのです。


ただ、そのきっかけがハッキリすれば、
意図的に考える力を育むことができるのではないか。
私はそう考えました。


そこで思い当たるポイントは2つ。
①親の教育
②譲れないモノ


例えば、親に考える癖がある場合、
自然と子どもにもそれを癖づける教育をします。
というか、考える癖がある親と四六時中一緒にいれば、
自然と同じ発想を持つようになるし、
親も無意識にそういう発想を子どもに求めるので、
ダブルの意味で子どもは考える力を育むことができるのです。


これはその子が「そう考えるのが当たり前」となるので、
本人が意識して練習しなくても発動するようになる条件です。


一方、自分で頑張って考える力を育もうとする場合、
そこにはあるモノがどうしても欠かせません。
それは「譲れないモノ」です。


例えば私の場合は、
人生全てを投資しようと思える目標や目的が見つかったので、
それを実現するためには考えざるを得ない状態です。
それ以前に、そもそも性格もワガママなので、
どう自分の好きなことだけをしてお金を稼ぐかと考えます。


イヤな事も我慢しなければお金は稼げない、
という発想もあるのでしょうが、
私はどうしてもその発想にはなれません。
たった一度の人生なので、
極力「やりたくないこと」には時間を割きたくないのです。
ただし、その代わりに、
自分の好きな事だけをやって生きて行くには
どうしたら良いのかを必死に考えますし、
自分のやりたいことをやり続けるための状況作りのためなら、
面倒なことも苦にせず長時間取り組むことができます。


要するに、自分の中に「絶対にこうする!」という
譲れないモノがある限り、
どうしたらその通りに生きて行く事ができるかを
考えなくてはならないのです。


大好きなゲームをやってるときは何も意識せずに戦略を考えるように、
譲れないモノがあることで自動思考システムが発動するわけです。


あとは、考えるために必要な情報を仕入れる努力を並行させながら、
常に考える力の精度を上げて行くことが求められます。
そこまで自然にできるようになるのが理想です。


これからの教育は「考える力」が重要なキーワードですが、
日本の教育制度に頼っていても、おそらく考える力は身に付かない。
だからこそ今日この話をしました。


私は勉強しろと言っているわけではありません。
考える力とは、
自分にとって勉強することが
どれだけの価値を持つのかも含めて物事と向き合うことです。
数学ができようが社会ができようが何の自慢にもなりません。
問題は「考えて勉強しているか」です。


そのことを子どもたちには是非意識して欲しいと思います。

2015年8月25日火曜日

五輪エンブレム盗用事件について

佐野氏の作品が盗用だったのでは!?
という問題が未だに解決してしないままモヤモヤしています。


実は以前同じような事件がありました。
元・モーニング娘。の安倍なつみさんが
自身のエッセー集に、
他者の作品を自分のものとして載せたというものです。
事務所が盗作があったと認めたのは、
安倍なつみの写真集「ナッチ」(ワニブックス)、
エッセー集「陽(ひか)光(り)」(竹書房)、
「ALBUM―1998‐2003 Gum Comics」(ワニブックス)の3冊の出版物と、
ラジオの作詩コーナーで「自作の詩」として紹介した詩数編でした。


ただ、この時の安倍なつみさんの謝罪が良かった点は、
正直に盗用を認めた点でした。
「いつどこで見たのかは忘れていましたが、
いつの間にか自分の中から湧いて出てきた
オリジナルのものと思い込み載せてしまいました。」


今回のエンブレムは誰がどう見ても似ています。
ただ、問題は「佐野さん自身が盗用を認めない」という点です。
その結果、他の作品の疑いまで掘り起こされてしまった。
ここまで来ると参考にした程度では済まされない作品点数。


私は今回の作品の盗用疑惑に対して、
佐野さんも同じように謝っていたら良かったと思うんです。
佐野さんだってデザイナーとして勉強したはず。
それこそ無数の作品のデザインを見てきたはずです。
もしかしたら、もう記憶になくても、
どこかで見た記憶が残っていたかも知れません。


そもそも、デザインだけではなく、
音楽だって画だって、
完全なオリジナルなど不可能な状態にあります。
もうどこかの誰かが似たものを必ずつくっているはずです。
それが偶然似ることもあるのでしょうが、
今回の作品は確実に記憶の断片を繋ぎ合わせてつくったものに違いありません。
ただ、それ自体は問題にはならないと思います。


問題が悪化したのは、
すみませんと謝って撤回しなかったこと。


ここまで酷似したデザインが、
自分の作成前に存在していたのですから、この疑惑については佐野氏が取り下げるのが筋で、
「申し訳ありません、
もう一度新しいデザインを作成しますので、
そのデザインでご判断下さい」
と言えば良かったのです。
意図してかせずか、
ここまで似ていては疑われても仕方ないからです。


今回の五輪デザインに関して、
佐野氏は五輪全体の収益の4〜5%を
報酬として受け取ることになっていたそうです。
その額200億円(推定)。
五輪エンブレムの作者というブランド、
200億円という報酬、
そのチャンスを失いたくないと思うのは人間として当然です。
ただ、しがみつくことで問題が悪化し
余計に自分を追いつめてチャンスから遠ざけていく。
もどかしい事件です。


テリー伊藤さんのおしゃっていることは最もです。
もう完全オリジナルなど誰にもつくれません。
つくれないと決めつけて作品をつくるのは
信念に反すると思われるかも知れませんが、
現実問題どこかの誰かの作品に似た部分を
持っている可能性がゼロになることは考えられません。
だから、誰にも、どんな分野の芸術家にも、
こういったリスクはあると思うのです。


今回の問題で明らかになった事情もありますし、
水面下で行われていた不正が
暴かれたことについては良かったでしょうが、
本当に今回の五輪は曰く付きですね(汗)

2015年8月21日金曜日

「違憲だから廃案にすべき」が意見として扱われない理由


今回はかなり長くなるのでブログに書きました。
こういうネタは冷静な意見交換にならないことは
FBで何度も学んでいるので、
もうFBの方では公開していませんw
特に感情的になられる方とは不毛なので争いたくないんですよね(汗)


さて、今回のネタは少し前に放送された
『ワイドなショー』というニュース評論番組での松本さんのコメントと、
それに反論するような尾木ママのオフィシャルブログの発言が
元ネタになっています。
そこに安保法案反対派のどなたかが評論をしているというものです。


ここで、このブログらしく「考えて」みようと思うわけです。
考える力をしっかり養っていきましょう。


(1)安全保障関連法案について

この安全保障関連法案の法制化に関する問題ですが、
私はほぼほぼ賛成というところです。
7割がた賛成。
というのも、賛成できる部分と、
賛成せざるを得ない部分と、
ちょっとこういうところは確かにダメじゃんというところが
混在しているからです。


そもそもこれだけ大規模な問題に対して、
「賛成!」「反対!」とか明言している時点で
思考が停止していることの証拠です。
※こういう言い方するからダメですよね(^ ^;
なぜなら、内在している要素がいくつもあるので、
本来なら「この部分は分かるけど、ここはダメ」という
グレーな意見になるはずだからです。
それを全体を以て「賛成!」「反対!」と言えてしまうのは
途中で思考を止めているからに過ぎません。


また、今回安全保障関連法案の法制化だけを見ていると
全く議論にならないことも分かります。
これは激変する国際情勢はもとより、
原発再稼働問題や少子高齢化に向かう日本の現状など、
あらゆる問題と繋がっているからです。


そして何より、
1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約と
その時同時に結んだとされる日米安全保障条約並びに
日米行政協定が根底にあることが大きな原因です。


ざっくり言えば今日本はアメリカの属国という立場です。
だから、世界唯一の被爆国である日本が
この狭い国土に原発を54基も抱え、
沖縄の普天間基地はなかなか進まないのです。


また、GHQが草案をつくった日本国憲法で
日本は戦力不保持を約束させられ、
その代わり有事の際にはアメリカが動くとした。
今後一切の戦う力を
日本に持たせてはいけないという
アメリカの取り決め故です。


しかし、平和が続いた世界情勢の中で、
アメリカ自体が弱体化してきました。
これまでは無理矢理何かと事態を混乱させて
危ない手を使いながら軍事介入などを行ってきましたが、
いよいよ軍事費を削減せねばならない状況にまで
追いつめられているようです。
そこにロシアや中国の協力体制の脅威や、
EUを含めたパワーバランスが
アメリカの危機感を煽るわけです。


日本は日本で複雑な事情を抱えています。


まずは原発問題。
東日本大震災によって原発が危険視され、
世論によって原発全てが一旦使えなくなりました。


しかし、原発なくても大丈夫じゃん!
という思いを国民が抱くようになった。


でもそれって火力発電量を増やして間に合わせたからです。
「火力だけで大丈夫ってことでしょ!?」
いやいや、火力も燃やす原料が要りますよね。
日本は99%以上をエネルギー関連燃料を
輸入に頼っている国です。
火力を増やしたということは
燃料を余計に買って燃やしたということです。
地球温暖化ストップが叫ばれている今、
日本はその逆に二酸化炭素排出量を増やしている状況です。


ちなみに原発の再稼働でピリピリしますが、
今日本の原発全部”動いて”ますよね。
ただ、発電せずにつくった電気を棄てているだけで、
まだ核分裂自体は止まってないし、
原発は現在進行形で動いているんです。


だったら、せめて電気を使いながら悩めばいいと
私は個人的に思ってしまいます。
もったいなさ過ぎる。
でも、それが再稼働反対の世論が止めているわけです。


そこに日本は少子高齢化を抱えています。
今後どんどん労働者人口が減り続け、
国力が低下していく運命にあるのです。
その逆に、高齢者を支えるための社会福祉費が
どんどん上がっていく。


現時点でも分かりますが、
国民年金制度も崩壊するでしょう。
払えるわけがないんです。
そういう不安から国民年金を払う人も減っていますし、
人為的ミスの多発で信用も落ちに落ちています。


弱体化するアメリカと日本。
脅威を増す中国とロシア。
中国なんて南シナ海まで出張ってきてますしね。
そしてギリシャ問題で揺れるEU。


日本が「待ったなしの教育改革」を始めた理由も
よく分かるはずです。


(2)「違憲だから廃案にすべき」が意見として扱われない理由

さて、題名に挙げた話を進めますが、
ここで考えなければならないことがいくつかあります。


・「違憲だから議論の余地はない」は正当か?
・違憲でないなら認めるのか?
・違憲であるという国民からの不満が分かっていて、
 どうして安倍首相は無理矢理法制化しようとしているのか
・日本は今のままでいいのか?


一つ一つ検討していきましょう。


(2−1)「違憲だから議論の余地はない」は正当か?

今の日本が直面している複雑な国際情勢の中で、
20年後も30年後も平和な日本でいるためには
今何をするべきなのだろうか、
という課題に対して、
早急に案を出さねばならない事態になっています。
そこで安全保障関連法案を法制化することを提案し、
実際に実行しているのが安倍首相サイドです。


ただ、ここで問題視されているのは、
そもそも憲法に違反しているではないか、
ということです。


確かに、本来ならば憲法改正をしてから、
法制化するべきものを、
解釈改憲という裏技を使って強引に進めている印象があります。
これはずるい。


現在自民党(と公明党)が行っている法制化への手続きに
法的な違反はありません。
憲法の解釈を変えてしまうというのはずるいとも取れますが、
実際”裏技”であって違反ではないのがポイントです。


勿論、本当にやるべきだったのは、
まず憲法の改正なわけですが、
それがすんなりいくはずありません。
日本国憲法はアメリカが草案してつくったというのもそうですが、
憲法改正に必要な条件を高くしすぎて
簡単には進まないからです。


だからこそアメリカは、
憲法改正という手間を端折る裏技を提案し、
かつアメリカ議会で公約させるという
強力な後押しまでしてみせた。
それがよく言われる強行採決に繋がるわけです。


ちなみに、あれも実は強行でも何でもありません。
正式な手続きと過半数の議席数の確保という
前提を踏まえた上での正当な手順を踏んでいます。
国民への説明責任においては確かに足りません。
しかし、どんなに話しても同じです。
「戦争反対」「徴兵制反対」としか理解していない方々を
押さえることはできないでしょう。


ちなみに採決時にプラカードをもって
必死に止めているように見せていた野党の方々も、
「賛成」票としてしっかりカウントされています。
カウント時に起立していたので当然です。
野党のあれはポーズだったと考えられます。


反対派の方の中には
「民主主義への冒涜だ」
という意見もあられるかも知れませんが、
民主主義への冒涜を口にするなら、
せめて対案を出さねば話になりません。
話を聴け!と言うなら、勿論聴くでしょう。
でも意見を持たねば聴くに聴けません。
お前の言っていることはダメだ!引っ込めろ!
という文句に真摯に耳を傾けろということなのでしょうか。
でも、自分の意見もないのに相手の意見を批判する態度は
とても民主主義に対するものではないと私は思います。
民主主義とは意見を持ち寄って闘わせて
より良い意見に磨き上げていくための
仕組みの一つだと私は思っています。
民主主義と言うなら意見出さねば。


では「廃案」は意見にならないのか。
広義で言えば、立派な意見です。
しかし今は明確な課題がある上で、
平和な日本を維持していくための意見が求められているので、
そういった前提で言えば「廃案」は意見足り得ません。


先生「我々は今こそ変わらねばならない。そのための方法を提案してくれ。」
生徒X「私はAが良いと思います!」
生徒Y「Xの意見はおかしいと思います!Aは良くないです!」
先生「A案以外に何かないか?」
生徒Y「とにかくAには反対です!」
先生「他に意見がないなら、時間がない、今はAを進めてみよう」
生徒Y「ダメです!Aには反対です!」


言わずもがなです。


さらに言えば、
憲法の専門家の”9割”が違憲と見なすということは、
専門家でも意見が分かれる余地が
憲法にはわずかだが確かにあるということです。
だから裏技が可能だったということです。


ちなみに余談になってしまいますが、
日本国憲法はGHQが作成しました。
平和の象徴と言われる第9条などは
マッカーサーが自ら入れさせた
日本弱体化計画の代名詞的なものです。


日本国憲法の草案の段階で
日本側の意見が全く入らなかったとは言いません。
しかし、マッカーサー曰く、
戦後日本における我々(GHQ)ほど、
奴隷制度を理想的に実行した者は歴史上ない、と。
それだけ日本における彼らは
好き勝手振る舞っていたということなのです。


WGIPという日本戦争犯罪者化プロジェクトも
あまりにも有名ですし、
日本の当時の研究資料等も全て没収され、
戦後教育では軍国主義を否定させ、
アメリカ文化を入れさせて、
完全に日本の精神構造を変革させました。


そんな憲法が70年手つかずのままです。
憲法が時代に合わせて変えられていない国は
日本くらいなものです。


また、日本が一人で歩けるようになったことを
”復興完了”としてサンフランシスコ講和条約を結び、
日本はやっと独立した、、、、
と日本の教科書には書いてあります。
授業でもそう習います。


でも、併せて結んだ日米安全保障条約と日米行政協定によって、
米軍はそのまま駐留することとなり、
アメリカは日本のいかなる土地をも自由に扱える権利と、
米軍に対する領事裁判権は認めないという取り決めがされました。
それが今の原発問題や普天間基地問題に繋がっています。


(2−2)違憲でないなら認めるのか?

おそらく答えはNOでしょう。
それでも反対派の方々は認めません。
戦争反対、徴兵制反対と言うはずです。


戦争にも徴兵制にも
私も勿論大反対です。
そんなことをしたいと思っている人はいません。
それはアメリカ人だって中国人だって同じです。


しかし、国防という点で上が制度化して
事実持っている国ばかりなわけです。
実際今も韓国と北朝鮮はドンパチやっているようですし。


こんな話を本で読みました。
ヒトラーとナポレオンは同じではないのか。


ナポレオンは英雄と呼ばれ、
ヒトラーは悪魔と思われていますが、
もしヒトラーがユダヤ人大虐殺をしなければ
ナポレオンと同じような存在です。
政権奪取前からカリスマ的な存在で、
国民を先導し国を勝たせ続けた。


誰も戦争は好きではないけれど、
第二次世界大戦では負けたから
今のような認識にさせられているだけで、
もしあのとき勝っていたら、
今ほど戦争反対なんて世論には
なっていなかったかも知れません。


事実、世界唯一の被爆国日本は
原子力技術を世界で初めて発見した国です。
まかり間違えば私たちが
加害者になっていたかも知れません。


意外と「勝つなら」戦争が嫌いじゃない人は多い、
とその本には書いてありました。
ちょっとドキっとしました。


松本さんはワイドなショーで「平和ボケ」と言いましたが、
それは自分も含めてそうだと思います。
私たちの目の届かないところで
人はたくさん死んでいるんです。
あなたの街でも必ず誰かが毎日死んでいる。


毎年3万人が自殺で亡くなる国です。


今日もどこかで人を殺したり、人から殺されたりしているし、
国を越えれば大人になるまで生きられない子どもの方が
多い国だってあるわけです。
食べ物も十分にない国もある。
アメリカ人や中国人には
家族と離れて異国で銃を撃っている人もいる。
帰れば泣いて喜ぶ子どもがいるのに、
それでも帰れない兵士がいる。


日本がこの70年間でほとんど大きな戦争に巻き込まれなかったのは、
勿論戦う能力を奪ったアメリカのせいでもあるかも知れませんが、
アメリカに代わりに戦ってもらって
日本はお金だけ出していつも安全なところに
隠れていられたからです。
日本のために命をかけているアメリカの人もいるんです。


戦争を肯定するというのとは違う。
でも、戦力放棄は全ての国が一斉に取り組まねば、
持たない国は虐げられて終わるんです。
守ってくれるはずのアメリカが弱まり、
今まで払えていた金も払えなくなるとしたら、
一体今の日本はどうすればいいのでしょうか。
是非反対派の方々には意見を伺いたい。


(2−3)違憲であるという国民からの不満が分かっていて、
 どうして安倍首相は無理矢理法制化しようとしているのか

誰がどう考えても、
安倍首相は今の国民の不支持は予想していたはずです。
反対されないわけがない。
大ブーイング覚悟です。
でも、それでも進めなければならない理由があったはずです。


中には、祖父・岸信介首相の悲願を実現したかったのだ、
と言う方もいます。


実際、1960年の新日米安全保障条約締結時に、
岸首相は”強行採決”を行い実行しました。
その結果安保闘争が勃発し、
国内は荒れに荒れました。


その思いを安倍首相が今引き継いで
自分こそその悲願を!
と思っている節はないとは言えません。


しかし、そんな個人的野望で
今のような振る舞いをできるでしょうか。
おそらく第二次安倍内閣は
この法制化を終えたら責任を取って
辞職、解散をすることになるでしょう。
それでも、この法制化の実現には
進めなければならない理由があったと、
私は思っています。


ジャパンハンドラーたちが指示を出し、
それを忠実に実行しているに過ぎないと言う方もいます。
それもそうだと思います。
今そこをグイグイ突っ込んでいるのが山本太郎議員です。


これは客観的に見ていて恐いな〜と思います。
山本太郎議員は、正直アホです。
言って良い事と悪い事の区別ができない人です。
国民のことを思っていることも事実でしょうが、
タブーに割って入れるのは
空気が読めないアホか、
相当に用意周到な切れ者だけです。
天皇に自分から声を掛けてしまえる無神経さからして、
完全に前者だと思います。


そしてこういう人が触れてはいけない部分に
グイグイ行くのは、
見ている人には気持ちいいかも分かりませんが、
アメリカとの間に余計な軋轢を生む危険性も
十二分にはらんでいるわけです。
つまり、国民を危険にさらす行為に
なっているかも知れないということです。


病気の親友を救おうという正義感で
たった一人の担当医を愚弄しているような存在です。
担当医が「じゃあ私は手を引きます」と言えば
命の危険にさらされるのはその親友でしょう。


話がずれましたが、
今安倍首相が無理矢理進めている背景には
いくつかの可能性があります。


・アメリカとの強力体制を維持したい(強化したい)
・アメリカと日本の思惑が一致している
・アメリカに逆らえないから仕方なく


いずれにしても、明確な後ろ盾を持たない日本が
今の平和を維持するためにアメリカを敵に回すのは
明らかに損です。


(2−4)日本は今のままでいいのか?

良いわけないですよね。
だからこそ日本も焦って「待ったなしの教育改革」なんです。
でも、これだって遅すぎます。
だから私は独自に学習サポーターとしての意見を
色々なカタチで発信しているのです。


だって、今からまだ5年先からしか始まらないんですよ。
新教育体制になってからどれだけ安定するのに時間がかかる事か。
20年は掛かると言われています。
そんなに掛かってたら、
現時点での発想でつくった教育システムは
あっという間に時代遅れです。
むしろ始まる前から時代遅れかも知れません。


少子高齢化で財源はどんどん減っていく。
原発ゼロに向けて
余計にエネルギー燃料を買い続けなければならない。
ギリシャ危機も不安。
朝鮮半島では戦争じみた動きあるし、
中国は南シナ海で好き勝手。


それこそ日本はホルムズ海峡の方から
多くの燃料を輸入している関係上、
シーレーンを確保するためにも中国の動きを牽制したい。
セキュリティダイヤモンド構想を打ち出し、
オーストラリア、インド、米ハワイとともに
海洋保護を行う旨を英語論文で安倍首相が寄稿。
その全文は「プロジェクトシンジケート」のウェブサイトに載っています。
「プロジェクトシンジケート」


こうして戦争不安を煽るようなことをたくさん書いてはきましたが、
実際他にも山のような外交問題を抱え、
処理し、誠実に取り組む事で、
世界情勢の中での日本のプレゼンスを確保しているのが
今の安倍首相の努力の成果だと思うわけです。


問題を抱えているのは日本だけではありません。
だからこそ、手に手を取って助け合うことが必要です。
その一つの在り方が安全保障問題。


日本の戦力不保持の決意は
もともと敗戦国が強いられた手かせ足かせです。
今の私たちがそのことを美しいと称するのは良いのだけれど、
時代は変化するし価値観も変化する。
今のままの「戦争は他人事」で良いのか。
日本が後方支援を要請されることもあるかも知れません。
武器や燃料、食料などの輸送の支援や、
今自衛隊が国内でしてくれていることを
海外でももっとする機会が増えるかも知れない。


でも、そういった協力の在り方も視野に入れなければならない、
という話なんだと思うのです。
世界の国々と足並みを揃えて、
手に手を取ってより良い世界を実現するには、
日本ももう少し世界平和に貢献する手段を
増やしておく事は重要な意味がある。


戦争をするための法制化ではないという意味は、
今のうちにやれる準備を全てやっておく、
その数多くある準備のうちの一つが
安全保障問題であって、
これからはアメリカだけに頼っていられる状況ではないから、
少しでもこの機会にアメリカからの独立範囲を広げておきたい、
独立をするというなら国力も必要、
でも平和のための戦力不保持は守りたい、
せめて自衛隊の自衛行動の範囲拡張というラインで
お茶を濁したい、
そういう思惑もあるかも知れません。


反対派の中には、外交という手段をもっと強化すれば
集団的自衛権など考えなくていいと言う方もいます。
しかし外交なんてもう腐るほどやっていると思うんです。
そして何より、外交カードが日本は弱い。
弱い手札で外交に出向いても、
最後は戦力不保持が弱みとなって妥協案を呑むだけ、
という展開も十分あり得るはずです。
特に中国、韓国、ロシア等は日本なんて恐くないですから。


だから戦力を持つべきという議論ではありません。
ただ、外交は回数ではありません。
持ち札の優劣が勝負を分けるものです。
弱体化を免れられない日本の外交力は
今後それほど当てにできるものでしょうか。


(3)これからの日本の平和をどう実現するか

私は個人的には民主主義において
意見を持たずに土俵に上がるのは
筋が通らないと考えています。
反対というご意見に関しては文句はありません。
しかし、違憲を理由に対案など必要ないと言うなら、
それはまた別の話です。
安全保障関連法案を法制化してはいけないと言うならば、
今のままの日本で良いのか、
今のままで良くない申されるなら、
代わりにどうしたら平和を維持できるのか、
是非ご提案いただきたい。


誰も戦争なんてしたくありません。
誰も徴兵制なんて望んじゃいない。
それは日本人だけではありません。
じゃあどうするべきなのか。
それを今日本の国民の多くが真剣に考えているのです。


人の意見を否定するのは簡単ですが、
対案を出すのは結構大変。
でも、反対という思いを具体的に平和に繋げてほしい。
そのためだったら多少の喧嘩は良いでしょう。
やりましょう。


日本の平和は私たちが守るしかありません。
世の中には多くの闇もあるけれど、
国民ができることも必ず大きな力になります。
今の日本の混乱が「雨降って地固まる」となることを祈念しまして、
この長い長いブログの閉めとさせていただきます。


もしここまで読んで下さった方がおられましたら、
本当にありがとうございました。