2015年8月28日金曜日

沖縄という特殊な空間

先日沖縄に行った際、
勿論歴史や文化などを調べていました。
でも実際に肌で感じると、
その重みはまた違います。


ほんの150年前まで、
沖縄は琉球王国という独立国でした。
沖縄の歴史は12、3世紀頃のグスク時代(群雄割拠の時代)から、
その後期には三山時代(三強の時代)に入り、
最終的には1429年に尚巴志が統一王国を成すという流れです。


実はグスク時代から、
各豪族が中国と関係を築く動きがあり、
それが琉球王国にも受け継がれて、
冊封関係を持っていました。
中国に朝貢する代わりに称号をもらい、
琉球王国の権力者であることを認めてもらうという関係です。


当時の中国は生産力が豊富であり余裕があったため、
君臣関係にある国の内政には干渉しないという友好的な支配体制でした。
琉球王国はなんの不満もなく中国と友好関係を築いていたわけです。


そこに1609年に薩摩が侵攻してきます。
海洋国家として栄えていた琉球王国の
貿易力を使って儲けようというわけです。
薩摩支配から琉球王国は徐々に日本という国に蹂躙されていきます。


最終的に、中国と日本からの二重支配体制から、
完全に日本の属国(要は植民地化)になるのが1879年です。
廃藩置県の煽りで、鹿児島県の一部とされていたものが、
改めて沖縄県として独立を認められたのでした。


1945年4月、
沖縄は日本における第二次世界大戦において
最も凄惨な戦場となってしまいます。
「沖縄戦にはあらゆる残酷性を投入した」と
GHQが表現するほどの戦争で、
本島の9割が焼け野原になり、
民間人含め20万人の方々が亡くなられました。
そのときから27年間、
沖縄はアメリカの占領下に置かれることになります。


現地に行って感じたのは、
本当に沖縄という地が独特な雰囲気だということです。
中国をはじめ東アジアの影響を大きく受けながら、
うん、ここは日本だな!という在り方であり、
でもしっかりとアメリカ軍基地が幅を利かせている。
首里城に行けば中国の牌楼を模した守礼門があり、
言葉も独特、
普天間基地や嘉手納基地の住所はアメリカで、
A&Wをはじめアメリカ文化が多く見て取れる土地柄。
アメリカ式の住宅も広がっています。


今現在、アメリカが本島の24%を基地として使用しており、
極東最大の空軍基地と、
世界一危ない海兵隊の普天間基地が存在しています。
そのすぐ横では、南シナ海で中国が傍若無人な行為を続け、
尖閣諸島はじめ末は沖縄自体も領有しようと狙っています。


8月30日に国会前で大規模な集会が開かれるそうです。
勿論安保法案法制化反対の集会です。
戦後70年目の節目に安全保障関連法案が
大バッシングを受ける今、
安倍内閣は何かを焦っている。
戦争法案反対の声も大きく、
その声の意味するところを沖縄で改めて噛み締めました。


ただ、難しいのは、戦争をしたくないという思いと、
このタイミングだからこそ安全保障について
真剣に考えねばならないという思いが、
どうしても錯綜してしまうということ。
日本がこれからの世界で十分なプレゼンスを発揮し続けていくためには、
一体何が必要なのか。
理想と現実をどうバランスするか、
そもそもバランスできるだけの力が今の日本にあるのか、
今後もバランスしていけるだけのポテンシャルがあるのか。


日本にはなかなかないオレンジ色の夜景を見ながら、
沖縄に確かにあるアメリカを感じました。
守礼門をくぐりながら、
かつての中国をはじめとした東アジアとの関係の深さを感じました。
ただ、私たちが護るべきモノは何なのか、
私たちが戦うべき相手は誰なのか、
私たちが持つべき“戦力”とは何なのか、
まだ明確な答えは出ていません。
まずは我が身、一身の独立です。


今回の沖縄旅行で得たモノは貴重。
それを胸にもう少し一身独立の努力を続けて、
自分なりの答えを模索したいと思います。

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