こういう話をするといろいろな反応が返ってきますが、私は生物を勉強したことがほとんどありませんが、生物の質問対応はできます。生物を勉強したことのない人間が生物の質問対応!?そんなことできるわけない!と思われる方が大半です。しかし、勉強のルールが分かっている私からすれば、「分からない」という状況に陥った時にどう対処すればいいのかがすぐに分かるので、その通り生徒さん方を誘導するだけで生徒さんが自分で自分の分かっていない点に行き着くことができるのです。
私が正解を知っていても意味がありません。生徒さんが勉強して知識を習得することが目的なわけですから、私はただエスコートするだけで良いわけです。では、どうやってエスコートしていくのか。そのことをここでお話しします。
突然ですが、こんな例え話を聞いたことがあられると思います。無人島に流れ着いた2人の漂着人の話です。
2人の人(仮にAさんBさんとしましょう)が無人島に流れ着きました。助けが来るまでなんとか生き延びねばなりません。
実はAさんは魚釣りができるので、なんとか食料には困りません。さて、このときBさんはどうするのか。
①Aさんから魚を分けてもらう
②Aさんから魚の釣り方を教えてもらう
このいずれかの方法になるかと思います。もちろん他にも選択肢はなくはありません。魚を釣ってもらう代わりに、美味しい食べ方を教えて一緒に楽しむとか。スキルの交換ですね。ただ、ここでは状況を簡略化するために上記の2点に絞って考えましょう。
①の選択肢を取れば、BさんはずっとAさんに依存することになります。もしAさんが死ねば、Bさんも死ぬのを待つしかなくなります。そこまでならなくても、Aさんと喧嘩でもすれば、もう教えてもらえなくなるわけですから、Bさんは困ってしまいます。
じゃあ②はどうでしょう。Bさんは自分でも生き延びる術を手にしたので、Aさんとの関係が今後どうなろうとも生き延びれる可能性は高くなります。ここではお互いに殺す、殺されるという凄惨なストーリーは排除しましょう。
生徒さんが分からない時に答えを教える、というのは①に当たります。しかし、人間は大抵聞いたことは忘れますね。すると、忘れた時にまた質問せねばならなくなります。するとまた答えを聞く。これで依存関係が続くのです。これが塾のシステムですね。
一方で私たちはどうするかというと、大抵はすぐに答えを教えたりはしません(テストが直前だったり、という場合は別です)。まずは「どこらへんまでは分かる?」と聞きます。そうして一緒に問題文を追いかけていきます。
すると途中で「ここら辺から」というラインに行き当たります。ここで「どう分からない?」と聞きます。「どう」というのは
①言っていることが分からない
②言葉の意味が分からない
③どうやって解決すればいいのか分からない
のどれだろう?ということです。
①は日本語が読み解けていないパターンです。それぞれの単語の意味は取れているのに、それをつなぐ日本語が分かりにくいせいで「分からない」のです。その場合は、日本語を紐解いて意味を伝えます。
②の場合は「定義」の問題です。その単語の意味することが明確に理解できていない場合に、だんだんイメージができなくなることで「分からない」状態になっていくパターンです。この場合は「これってどういうこと?」「これってどういう物質だったっけ?」と確認します。そこで理解が曖昧なものが出てくると、それを逐一教科書などで確認してもらいます。するとだんだん紐解けていくのです。
③では、①も②もクリアできているのに解き方が「分からない」パターンです。これは、解くために必要な知識が頭の中に入っていないか、忘れてしまっている状態なので、教科書に戻ってその単元の復習を促します。抜け落ちた知識や類似問題に当たってもらうことで、自分の欠けたピースに気づくことができます。
こういった「分からない時の対処法」を実践していただくことを繰り返していると、もはや質問しなくても自分で解決できるようになってしまうのです。こうなれば依存関係はなくなり自立して生きていけます。
ん?それではアップスタディなんていう自習室は要らなくなるんじゃないか?そうです。本来は自分で勉強できるのが一番効率的なんです。だから塾なんて要らないし、自習室だって要らないはずなんです。でも、どうして皆がこぞって塾に行き、余計なテキストや授業に大金を投じるかというと、この勉強のルールが分かっていないために、何をどう勉強していいのかが分からないからなんです。だから、お金を払って塾に依存し、課題を増やして不消化になり事態を悪化させてしまう人が多いのです。
それってものすごく悲しいことだと思いませんか?確かに魚の釣り方を覚えるまでの過程は大変です。しかし、ずっと何かに依存していたら、その対象がなくなった時に自分で対処できなくなってしまいます。塾に行って「あれやれ、これやれ」に乗っかっていれば、遠回りこそすれいずれは成績が伸びるかも知れません。気持ちも楽でしょう。何も考えなくて良いですから。でも、それが原因で社会に出てから格差が一気に広がってしまっているんですね。だから「待ったなしの教育改革」なんです。
「分からない」に対して答えをもらい続けるのか、「分からない」に立ち向かって行って「分かる自分」になるのか。私たちは、後者の子どもたちを育てたいと思っています。
私が正解を知っていても意味がありません。生徒さんが勉強して知識を習得することが目的なわけですから、私はただエスコートするだけで良いわけです。では、どうやってエスコートしていくのか。そのことをここでお話しします。
突然ですが、こんな例え話を聞いたことがあられると思います。無人島に流れ着いた2人の漂着人の話です。
2人の人(仮にAさんBさんとしましょう)が無人島に流れ着きました。助けが来るまでなんとか生き延びねばなりません。
実はAさんは魚釣りができるので、なんとか食料には困りません。さて、このときBさんはどうするのか。
①Aさんから魚を分けてもらう
②Aさんから魚の釣り方を教えてもらう
このいずれかの方法になるかと思います。もちろん他にも選択肢はなくはありません。魚を釣ってもらう代わりに、美味しい食べ方を教えて一緒に楽しむとか。スキルの交換ですね。ただ、ここでは状況を簡略化するために上記の2点に絞って考えましょう。
①の選択肢を取れば、BさんはずっとAさんに依存することになります。もしAさんが死ねば、Bさんも死ぬのを待つしかなくなります。そこまでならなくても、Aさんと喧嘩でもすれば、もう教えてもらえなくなるわけですから、Bさんは困ってしまいます。
じゃあ②はどうでしょう。Bさんは自分でも生き延びる術を手にしたので、Aさんとの関係が今後どうなろうとも生き延びれる可能性は高くなります。ここではお互いに殺す、殺されるという凄惨なストーリーは排除しましょう。
生徒さんが分からない時に答えを教える、というのは①に当たります。しかし、人間は大抵聞いたことは忘れますね。すると、忘れた時にまた質問せねばならなくなります。するとまた答えを聞く。これで依存関係が続くのです。これが塾のシステムですね。
一方で私たちはどうするかというと、大抵はすぐに答えを教えたりはしません(テストが直前だったり、という場合は別です)。まずは「どこらへんまでは分かる?」と聞きます。そうして一緒に問題文を追いかけていきます。
すると途中で「ここら辺から」というラインに行き当たります。ここで「どう分からない?」と聞きます。「どう」というのは
①言っていることが分からない
②言葉の意味が分からない
③どうやって解決すればいいのか分からない
のどれだろう?ということです。
①は日本語が読み解けていないパターンです。それぞれの単語の意味は取れているのに、それをつなぐ日本語が分かりにくいせいで「分からない」のです。その場合は、日本語を紐解いて意味を伝えます。
②の場合は「定義」の問題です。その単語の意味することが明確に理解できていない場合に、だんだんイメージができなくなることで「分からない」状態になっていくパターンです。この場合は「これってどういうこと?」「これってどういう物質だったっけ?」と確認します。そこで理解が曖昧なものが出てくると、それを逐一教科書などで確認してもらいます。するとだんだん紐解けていくのです。
③では、①も②もクリアできているのに解き方が「分からない」パターンです。これは、解くために必要な知識が頭の中に入っていないか、忘れてしまっている状態なので、教科書に戻ってその単元の復習を促します。抜け落ちた知識や類似問題に当たってもらうことで、自分の欠けたピースに気づくことができます。
こういった「分からない時の対処法」を実践していただくことを繰り返していると、もはや質問しなくても自分で解決できるようになってしまうのです。こうなれば依存関係はなくなり自立して生きていけます。
ん?それではアップスタディなんていう自習室は要らなくなるんじゃないか?そうです。本来は自分で勉強できるのが一番効率的なんです。だから塾なんて要らないし、自習室だって要らないはずなんです。でも、どうして皆がこぞって塾に行き、余計なテキストや授業に大金を投じるかというと、この勉強のルールが分かっていないために、何をどう勉強していいのかが分からないからなんです。だから、お金を払って塾に依存し、課題を増やして不消化になり事態を悪化させてしまう人が多いのです。
それってものすごく悲しいことだと思いませんか?確かに魚の釣り方を覚えるまでの過程は大変です。しかし、ずっと何かに依存していたら、その対象がなくなった時に自分で対処できなくなってしまいます。塾に行って「あれやれ、これやれ」に乗っかっていれば、遠回りこそすれいずれは成績が伸びるかも知れません。気持ちも楽でしょう。何も考えなくて良いですから。でも、それが原因で社会に出てから格差が一気に広がってしまっているんですね。だから「待ったなしの教育改革」なんです。
「分からない」に対して答えをもらい続けるのか、「分からない」に立ち向かって行って「分かる自分」になるのか。私たちは、後者の子どもたちを育てたいと思っています。
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