2016年4月11日月曜日

教育改革で勉強はこう変わる!

※この文章は、現在執筆中の本『勉強脳を覚醒させる「強い学力」の伸ばし方』からの抜粋となります。
 
 2014年12月文部科学省の中央審議会が「高校教育ー大学教育ー大学入学者選抜の一体的改革(案)」という答申を発し法案が国会で承認されたことで、当時の下村文科相が安倍晋三首相と「待ったなしの教育改革」へ打って出た。オリンピック問題で下村さんが辞任されてからは、現馳文科相がその志を引き継ぎ2016年3月には最終案が提出されたところだ。今日本教育は大きな転換点を迎えている。

  なぜ今教育改革なのか、という点についてはあなたももう何度も聞かされていると思うが、これまで知識偏重とされてきた日本の教育が、社会の実情と乖離してしまっていることが無視できなくなったからである。スマートフォンの普及により、いつでもどこでも分からないことは調べることができるようになった。すると知識をたくさん覚えていることの価値が薄れてしまう。これからは「考える力」を、というわけだ。ここら辺の件(くだり)はすでにお話した。 さて、詰め込み教育への反発から始まった今の教育改革だが、この教育改革によって今後どんなことが起こりうるのかを冷静に考えてみよう。改革がもたらすものは本当に未来への躍進なのだろうか。

  まず教育改革の中身を確認してみよう。従来の知識偏重型から多面的総合型入試への転換が柱であるが、その具体的な実態はどんなことが予定されているのか。
 ・大学入試センター試験の廃止 
・複数回に渡る学力到達度テストの実施 
・大学入試新共通テスト「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の実施
 ・人物重視の面接や小論文などの推薦入試枠の増加 

 まず見られるのは大学入試センター試験の廃止である。これは大事な入試が一発勝負になってしまっている現状は良くないという判断から、複数回に分けた学力到達度テストに切り替えようというもの。しかし、一方で共通テストである「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」は実施されるとし、かつ記号式と記述式の二段構え。そして記述式の採点には時間が掛かるからという理由で前倒しの実施が検討されている。

  また東大でも推薦入試が導入されたように、今後はますます人物重視の入試体制に変わっていくとのことで、面接や小論文などを使って推薦入試枠を拡大し、知識偏重型からの脱却の目玉にしようという流れだ。

  今のままではいけないという問題意識や、何か改革せねばと動くことは大事なことだ。しかし、それには内容が伴っている必要がある。もしこの内容のまま改革が断行されれば、ゆとり教育とは比にならないほどの大混乱と、今後数十年レベルでの学力の超二極化が進んでいくことが予想される。そして二極化の下の方は一気に学力が低下する。その理由を見ていこう。

  そもそも「詰め込み教育への反発から始まっている」こと自体がナンセンスである。先にも述べたように、詰め込みそのものが悪いのではなく、不要な劣等感を醸成するような仕組みになっていることが問題なのだ。表面的に「知識よりも思考力だ!」とやっても絶対に上手くいかない。問題を履き違えたままでは出口も明後日の方に行ってしまう。

  それに、詰め込み教育を否定しようにも、前にも述べたように思考とは情報の活用を言うのだから、論理的におかしい話になっている。情報(知識)もない状態で思考はできない。ということは、知識の習得は思考力育成の「前提」である。これまではそれが目的化してしまっていたが、これからはそれがあってその上で考える力を養おうという流れに来ているのだ。それ自体は悪くないし、間違ってはいない。が、あまり正確に伝わっていないように思われるのは一気にハードルが引き上げられるのだという点である。なぜそう言えるのか、具体例を挙げて見ていこう。

  今ではアクティブラーニングやPBL(Project Based Learning)などの新しい教育手法が話題になってきているが、これも指導力如何は各教師の自助努力に任されている。教育手法が刷新されるのは悪いことではないが、それがすべての教師に同時に浸透していくのでない辺りに、危険な匂いを感じる。まずは人の育成ができてから手法の導入であるべきだ。大丈夫であろうか。

  ちなみにこれらの手法の変更に伴い子どもたちはどういう状況になるかというと、今まで以上に覚える時間を削られるということだ。なぜかというと、この手法刷新の目的は、生徒をより積極的に授業に参加させることにあるからだ。考える力の養成に関しては発信が伴うと成長が促進されるのは分かるから、それ自体は良いが、授業が参加型になるということは、
・授業の進行スピードが遅くなる
ということと、
・知識習得の量が減る
というデメリットがすぐ浮かぶ。試験はどう考えても知識(情報)の暗記がどこかのタイミングで必要になるが、思考力育成がメインとなると、学校以外の時間を使って知識の習得を補わなければならなくなる。そうすると学校以外で勉強する習慣がない子は相当苦労することになるということだ。

  さらに言えば日頃の試験に学力到達度テストが導入されれば、その分授業時間が圧迫される。既存の学校の定期テストの回数が減るのかどうかは不明瞭だが、あまりテストばかりになっても、復習が追いつかなくなったり、精神疲労が頻繁に起きて勉強のペースが上げられなくなる可能性もある。かつ大学入学希望者学力評価テストの記述式試験が前倒し(9月〜12月の間のどこか)で行われるとすれば、その時までには授業内容が全て終わっていないといけないから、必然的に授業の速度を今までよりも速くしなければならない。記述式への対策もせねばなるまい。ということは、高校3年分の勉強を夏休みが終わるまでには仕上げて、記述対策に入れということだ。授業回数が減り、参加型授業が増えるのに、授業内容は夏休み終了時辺りまでに終わらせねばならず、そこに記述対策まで入れろとなるとこれはかなりハードである。

  その上だ。問われるのは単なる知識だけではなく多面的総合評価だという。面接対策、小論文対策もせねばならないし、日頃の生活の中での協働性や主体性なども問われるから、そういった部分も意識して過ごせと言う。あれもこれものオンパレードだ。これがこれから子どもたちがさらされる教育環境なのである。

  これは正にマイクロ・マネージメント(あれこれ細かい指示を出してがんじがらめにする管理手法)だ。実は安部政権の政治手法は、その税制改革や金融緩和手法など含めてそれら全てがマイクロマネージメントだと揶揄されている。どうやら国民をコントロール下に置いておきたいらしく、新しい法案を作る度にその内容が煩雑で国民をがんじがらめにしようとする内容にできているのだ。国民のことを考えてますよ〜と表面的には言うけれど、しっかり国民に様々な条件や制約を課してくる。経済的な問題は今回は割愛するが、今回の教育改革の内容を見ればそのことが実感できるだろう。子どもたちのことを真剣に考えていたら、こんな改革内容になるわけがない。

  勿論、本当のところは始まってみなければ分からないが、ただでさえ大学全入時代に入って、学力が高くない学生も大学に入れてしまったり、有名私立でも一芸入試や学校推薦などで入試を経ずに入れてしまって、現状でも規格外の学生が大学生として入学している。ひと昔前は分数ができない早稲田生が話題になったが、今では微分・積分が分からず物理が理解できない理工系が増えているなど、心配な状況もある。これが今後推薦枠を増やしていくとなれば、今以上に学力の伴わない大学生が増えることだろう。

  学力が低いことが悪いことなのか?と思われるかも知れないが、良い悪いの問題ではないことをここで断っておきたい。勉強が全てではないというスタンスは変わらない。ただ、勉強という選択肢を選ぶなら、その先にある現実をしっかり考えておいた方が良いと言いたいのだ。

  これから人口減少と少子高齢化を迎える日本は、労働力人口の著しい減少(1年40万〜60万人減)と、社会福祉費の増大、国際競争力の低下による外資離れの危機や、高い税金から逃れるための富裕層の海外流出など、あらゆるマイナス要因を将来に抱えている。そんな中で企業が生き残るには海外にも市場を広げていく必要がある。逆に海外から外国人を呼び込んで、労働力に加わってもらったり、買い物をしてもらう必要が出てくる。そうなると海外勢との競争は避けられない。そして今海外は総じて理工系人材の育成に舵を切り始めているが、そこに日本は真逆の教育改革を実行しようとしている。人工知能だのロボットだのサイバー社会だのと言われているのに、学力よりも人物重視の入試に切り替えましょうという改革なのだ。物事の良し悪しの問題ではないことはお分かりいただけるだろうか。人物重視の入試そのものが良い悪いという話ではないのである。



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