この暑い中でもデモや抗議活動に参加して
声を荒げているのをニュースで観ます。
私が冷めているのかも知れませんが、
よくやるな〜と。
中には若者が立ち上がり、
アイドルグループの誰かが壇上マイクでコメントするなど、
盛り上げっていると聞きますが、
内容を聴けば都合の良い情報をだけを繋ぎ合わせた感情論で、
なんとも間の抜けた主張でした。
もうちょっと勉強してからせんと、
ちょっと恥ずかしいぞと思いました。
先日ワイドなーショーには長渕剛さんがいらっしゃって
持論を展開していましたが、
やっぱり空虚な理想論。
「皆さん勉強なさって詳しいのかも知れませんが、
論点が違うと思うんですよね」
と始めた話は、信じていれば夢は叶う的な話でした。
でも周囲も何も言えない。
ん〜
今や若者の怒りがママに飛び火しママデモが起こっていると言います。
乳母車を押したり、小さい子の手を引きながら
デモで安倍政権への悪態をついて回るというもの。
「一人で参加する勇気はなかったけど、
みんなと一緒で勇気が出ました」
と発言しながら、安倍さんへの集中砲火を浴びせる始末。
方や18歳から投票権を得る若者層も二分化されています。
安保法案自体を全く知らないという子もいるのです。
家で話題にすら挙らないという。
私は安保法案のニュースがきっかけで、
戦争や平和に思いを巡らす人が増えるのは良いと思うんですよね。
でも「民主主義」を盾に、
一人矢面に立って戦う安倍首相に
徒党を組んで文句を言いながら練り歩くデモという行為が、
私には民主主義から最もほど遠いイベントだと思ってしまいます。
そもそもデモをする目的って何ですか?
自分の鬱憤晴らし以上の何かなんでしょうか。
十分な説明を聴きたいのか、
もう決まってしまった案件に対して撤回してほしいのか。
まず説明をしてほしいのなら、
正式な手続きを踏んで代表者をよこすなり、
会見を要請して会見会場にカメラを設置し
聴講用の全国の会場に生中継を流して周知を図るなり、
何かしらの持っていき方があるでしょう。
少なくても、あんなに声を荒げて
反対反対!
と感情論をぶつけるのは、
人にモノを聴く態度とは言えません。
では決まった案件に撤回を求めるのか。
その場合は代案を立てるのが筋です。
勿論今回の案件は「賛成か反対か」というものなので、
もし賛成に決まった今回の案件を白紙撤回し、
反対にひっくり返すなら、
反対することによって生じるあらゆる問題に対して
どう対処するのかの代案を提示する必要があります。
そしてその対処にあたるに足る人材を出すか、
相応のリスクを共有することが前提です。
そういったことなしに、
責任だけは国会議員に押し付けて、
その決定が不服だからと反対運動するのなら、
それはアンフェアと言うものです。
デモは権利なので別に続けてもいいのでしょうが、
それでデモ参加者が求めている結果が得られるとは到底思えません。
例えば、理屈で考えれば
安倍首相が国民一人ひとりに説明して回るのはまず不可能です。
私たちも今回の出来事で戦争が起きるのではないのか、
本当に戦争を回避できるのか心配や不安があるのです。
物理的に時間的な余裕がない中で、
国の行く末を左右する案件に決着をつけなければならないという中で、
私たち国民がすべきは「情報集め」です。
一体この安全保障関連法案がどんなもので何をもたらすのか。
情報集めには正直限界があります。
何が本当に重要なことなのか。
そこまでは分からないかも知れません。
しかし、少なくても
テレビや新聞だけを見て判断をしようとするのは間違っています。
明らかに情報ソースの選択ミスで、
その歪曲された情報ではなく、
本を読むなり関係者に話を聴くなり、
加工前の情報を集めるべきです。
文部科学省の下村大臣も、
オリンピック問題で辞任のカウントダウンが始まったと言われていますが、
教育改革の中で「考える力」を主軸に添えるなら、
その見本を示してほしい。
情報集めもしないで「考える」ことなどできません。
それは単なる思い込みです。
考えるには情報が要るのです。
そしてコンサル業界でよく言われるように「garbage in, garbage out」です。
真理に近い答えは、
それなりにインプットする情報を取捨選択せねばなりません。
どこから情報を得るのかが大事なのです。
ですから、偉そうなこと言えば、
デモをする暇があったら、
安全保障に関する本を1冊でも読んだ方が、
よっぽど国のためになると思うんです。
国とは国民です。
私たち一人ひとりが国なのですから、
私たちが学ぶことがそのまま日本の増強になるのです。
だから情報を集めて考える力を身につけることが、
デモでストレス解消するよりよっぽど建設的なんです。
平和や民主主義を望むなら、
まずは自分のその牙をしまうことです。
怒りが戦争の引き金なのです。
怒りをぶつけ合う事が戦争なんです。
戦争をなくしたいと言うのに、
その「戦争をなくしたい!」という怒りを相手にぶつけていたら、
それが戦争になってることに気付かないっていう、
よく分からないことになります。
私は戦争はしたくありません。
だから怒りは怒りのまま相手にぶつけたりはしません。
その分理論武装をします。
勉強するんです。
それも戦いです。
色々長々書きましたが、
この国を守るということが、
平和であり続けるということが、
民主主義の中で生きるということが、
一体どんなことなのかを、
是非考えていきましょう。
その先に答えがあると私は思っています。
声を荒げているのをニュースで観ます。
私が冷めているのかも知れませんが、
よくやるな〜と。
中には若者が立ち上がり、
アイドルグループの誰かが壇上マイクでコメントするなど、
盛り上げっていると聞きますが、
内容を聴けば都合の良い情報をだけを繋ぎ合わせた感情論で、
なんとも間の抜けた主張でした。
もうちょっと勉強してからせんと、
ちょっと恥ずかしいぞと思いました。
先日ワイドなーショーには長渕剛さんがいらっしゃって
持論を展開していましたが、
やっぱり空虚な理想論。
「皆さん勉強なさって詳しいのかも知れませんが、
論点が違うと思うんですよね」
と始めた話は、信じていれば夢は叶う的な話でした。
でも周囲も何も言えない。
ん〜
今や若者の怒りがママに飛び火しママデモが起こっていると言います。
乳母車を押したり、小さい子の手を引きながら
デモで安倍政権への悪態をついて回るというもの。
「一人で参加する勇気はなかったけど、
みんなと一緒で勇気が出ました」
と発言しながら、安倍さんへの集中砲火を浴びせる始末。
方や18歳から投票権を得る若者層も二分化されています。
安保法案自体を全く知らないという子もいるのです。
家で話題にすら挙らないという。
私は安保法案のニュースがきっかけで、
戦争や平和に思いを巡らす人が増えるのは良いと思うんですよね。
でも「民主主義」を盾に、
一人矢面に立って戦う安倍首相に
徒党を組んで文句を言いながら練り歩くデモという行為が、
私には民主主義から最もほど遠いイベントだと思ってしまいます。
そもそもデモをする目的って何ですか?
自分の鬱憤晴らし以上の何かなんでしょうか。
十分な説明を聴きたいのか、
もう決まってしまった案件に対して撤回してほしいのか。
まず説明をしてほしいのなら、
正式な手続きを踏んで代表者をよこすなり、
会見を要請して会見会場にカメラを設置し
聴講用の全国の会場に生中継を流して周知を図るなり、
何かしらの持っていき方があるでしょう。
少なくても、あんなに声を荒げて
反対反対!
と感情論をぶつけるのは、
人にモノを聴く態度とは言えません。
では決まった案件に撤回を求めるのか。
その場合は代案を立てるのが筋です。
勿論今回の案件は「賛成か反対か」というものなので、
もし賛成に決まった今回の案件を白紙撤回し、
反対にひっくり返すなら、
反対することによって生じるあらゆる問題に対して
どう対処するのかの代案を提示する必要があります。
そしてその対処にあたるに足る人材を出すか、
相応のリスクを共有することが前提です。
そういったことなしに、
責任だけは国会議員に押し付けて、
その決定が不服だからと反対運動するのなら、
それはアンフェアと言うものです。
デモは権利なので別に続けてもいいのでしょうが、
それでデモ参加者が求めている結果が得られるとは到底思えません。
例えば、理屈で考えれば
安倍首相が国民一人ひとりに説明して回るのはまず不可能です。
私たちも今回の出来事で戦争が起きるのではないのか、
本当に戦争を回避できるのか心配や不安があるのです。
物理的に時間的な余裕がない中で、
国の行く末を左右する案件に決着をつけなければならないという中で、
私たち国民がすべきは「情報集め」です。
一体この安全保障関連法案がどんなもので何をもたらすのか。
情報集めには正直限界があります。
何が本当に重要なことなのか。
そこまでは分からないかも知れません。
しかし、少なくても
テレビや新聞だけを見て判断をしようとするのは間違っています。
明らかに情報ソースの選択ミスで、
その歪曲された情報ではなく、
本を読むなり関係者に話を聴くなり、
加工前の情報を集めるべきです。
文部科学省の下村大臣も、
オリンピック問題で辞任のカウントダウンが始まったと言われていますが、
教育改革の中で「考える力」を主軸に添えるなら、
その見本を示してほしい。
情報集めもしないで「考える」ことなどできません。
それは単なる思い込みです。
考えるには情報が要るのです。
そしてコンサル業界でよく言われるように「garbage in, garbage out」です。
真理に近い答えは、
それなりにインプットする情報を取捨選択せねばなりません。
どこから情報を得るのかが大事なのです。
ですから、偉そうなこと言えば、
デモをする暇があったら、
安全保障に関する本を1冊でも読んだ方が、
よっぽど国のためになると思うんです。
国とは国民です。
私たち一人ひとりが国なのですから、
私たちが学ぶことがそのまま日本の増強になるのです。
だから情報を集めて考える力を身につけることが、
デモでストレス解消するよりよっぽど建設的なんです。
平和や民主主義を望むなら、
まずは自分のその牙をしまうことです。
怒りが戦争の引き金なのです。
怒りをぶつけ合う事が戦争なんです。
戦争をなくしたいと言うのに、
その「戦争をなくしたい!」という怒りを相手にぶつけていたら、
それが戦争になってることに気付かないっていう、
よく分からないことになります。
私は戦争はしたくありません。
だから怒りは怒りのまま相手にぶつけたりはしません。
その分理論武装をします。
勉強するんです。
それも戦いです。
色々長々書きましたが、
この国を守るということが、
平和であり続けるということが、
民主主義の中で生きるということが、
一体どんなことなのかを、
是非考えていきましょう。
その先に答えがあると私は思っています。