今日観てきた映画は『猿の惑星 新世紀(ライジング)』です。
前回の『猿の惑星 創世記(ジェネシス)』に引き続き
映画館での観賞となりました。
今回の映画のテーマは「戦争の不毛さ」です。
なぜ戦争が起きるのか。
それは止められないことだったのか。
本当にその部分が緻密に作りこまれています。
と同時に、
戦争を止める手段が一つしかないことも明確でした。
それは「相手を理解しようとする誠実な姿勢」です。
言うのは簡単なんですが、本当に難しい。
なんせ人は多様ですから。
今回の猿の側にも
皆を鎮めて平和的な解決を模索するリーダーと、
憎悪のカタマリのサブ・リーダーが存在します。
リーダーのシーザーは良い人間に育てられ、
愛を知っているだけに一縷の希望を見出そうとします。
片やサブ・リーダーのコバは
人体実験に使われ身体じゅうを切り刻まれた過去があります。
人間への愛など微塵もありません。
同じ「人間」という種族への
真反対な印象が根底にはあります。
でも、それはどちらが悪いとか良いではありません。
紛れもない事実であり真実なのです。
だから厄介なのです。
相手を理解しようとか、誠実に対そうとか、
そういうことは気持ちに余裕がないとできません。
しかし、傷つけられた経験がある者は
100%で相手を信用することはできません。
だから、相手の危険な部分にしか気付けないのです。
人は自分の持つ価値観をベースに
目の前の事象の認識を作ります。
価値観は過去の経験の中で蓄積された
情報によって形成されたゲシュタルトです。
その”色眼鏡”を通した世界を私たちは観ており、
そしてその”色眼鏡”で認識を構築し、考えているのです。
この時、”それ以外の可能性”は完全に死角になっています。
これをスコトーマ(心理的盲点)と言いますが、
それは各自バラバラのものです。
それが良い時もありますし、悪く作用する時もあります。
今回の映画では正にその悪いバージョンです。
人間という1つの種族間でさえ、
別々の人生を歩んできた者同士で
100%分かり合うことは困難です。
ましてや、姿かたちの違う猿と人間ならばなおさら。
でも、本質は同じです。
姿かたちではありません。
要は姿勢の問題なのです。
膨らんだ風船はたった1本の針で爆発します。
第一次世界大戦も、
たった1発の銃弾で勃発しました。
暴走する要素が一つでもあれば、
簡単に火ぶたは切って落とされてしまう。
それが戦争です。
戦争はなぜ起きてしまうんだろう。
戦争を望まない者が全員でこの問いを真剣に考えれば、
それだけでも戦争が起きにくい世の中に
なるのではないでしょうか。。。
熊本の塾『ブレイクスルー・アカデミー』
0 コメント:
コメントを投稿