2014年10月13日月曜日

本当の英語教育改革案


文部科学省HPより英語教育の改革案
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/25/12/1342458.htm


グローバル化に対応した英語教育改革が進んでいるそうです。
と、言われ続けて何年も経つ気もしますが(汗)


日本の教育改革はこのように
何年も遅れてやってきます。
文部科学省の指導要領改訂を待っていたら、
世界経済から万年時代遅れのレッテルを貼られてしまうでしょう。


例えば今回の改革案を見てもそうです。


英語の教育環境の充実を図るという意図は分かりますが、
「英語を話せる=グローバル化」
ではありません。


今私の塾では発音記号の読み方や
正確な発音の練習を奨励しています。
しかし実際には
昔ほど日本人の英語は発音が悪いという声を聞きません。
もう皆さん慣れてきて下さっているそうです。


私が以前大学院の研究室にいた頃は
インドネシア人や中国人やモンゴル人の方々と一緒でしたが、
インドネシアやインドでは「th」が「t」になったりして
なまりが結構あるんです。
最初は意味が分かりませんでしたが、
慣れてくると不便はありませんでした。


中国人の方は比較的流暢でした。
発音自体も中国語がそもそも発音豊富な国なので、
別段不便はなかったようです。


モンゴル人の彼は日本人的でした(笑)


つまり、以前ほど「発音」が重視されなくなったと言えるのです。


また、日本人はそもそも英語は十分勉強しています。
単語や文法知識は充実しているはずです。
ただ、出力する練習を欠いていたに過ぎません。
十分すぎるポテンシャルがあるのですから
話す練習さえしっかりできれば良いわけです。
そこまで抜本的な改革は必要ないはずなのですが、
その点をどうも文部科学省の方々は気付かれていない。


勿論、英語の教育環境を充実させるという
方針自体は間違っていないとは思います。
が、それでも混乱は免れ得ないでしょう。


勉強という課題が勉強だけを見ていても解決しないように、
英語教育の改善は英語だけでは解決しません。
グローバル化とは「英語」のことではないのです。


私的には、もし学校教育レベルで
英語教育の改善を模索するなら、
国語と社会をセットにした改革をします。
「伝えたい内容」を「表現できるようになってから」の
英語でなければ意味がないからです。


日本人が英語をしゃべれない理由の一つは
謙虚という文化的な側面も否めませんし、
実社会への知識不足が大きい。
今後グローバル化を意識する上で重要なのは
歴史認識や異文化理解、宗教教育と言った
社会科になってくると考えられます。


また、その内容をより正確に把握し、
相手に誤解なく伝える過程では
文章読解の能力は不可欠ですし、
日本語でまず言いたいことを表現する能力は必須です。
それが根底にあるから自信を持って
他の言語での会話に入って行けるのです。


その前提もなく英語だけを磨こうとしても、
非効率な上に実践的ではありません。


私的には現在の英語教育改革も
そのうち数年で方向転換や改善を
求められることになると思っています。


英語、グローバル化、ボーダレス社会、、、
難しいとは思いますが、
その解決にはそれこそ多分野をボーダレスに認識できる
博識な能力者がリーダーに入るべきだと思われます。

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