2014年10月29日水曜日

努力をしていない人間が多すぎる


今日は色々不愉快な思いを爆発させています。
読まれた際の不快感に関しては自己責任でお願いします。


本当に昨日からむかついてます。
努力しない人が多すぎる。
そのくせ偉そうに持論を振りかざす。
クオリティが違うと意見が相容れないから
こっちが諦めて引くしかないのだが、
努力もせんくせに文句言うのは不愉快極まりない。


例えば、昨日はFBのとある記事に不愉快になりました。
考えてない奴が多すぎると言うのです。
内容は男女格差の先日のランキング記事をベースに
日本は女性に優しくないよねトークを
繰り広げていたわけですが、
そもそもその人自身が感情論のオンパレード。
そのくせ「自分は考えている」と
思い込んでいるから始末が悪い。


数度コメントを残しましたが、
自分の稚拙さに全く気付く様子がない。
バカらしくてやめました。


こういう人結構多いんですよね。
自分は感情的に情報に反応しているだけなのに、
「考えを述べている」と思い込んでいるんです。
こういう輩はジェンダー論や原発論争など
政治批判者に多くいるパターンです。
何も知らんくせに目の前の事象に反応して
自分の立場から「だから政府が悪い、日本が悪い」と
偉そうにのたまうわけです。


こういう人には「まずは勉強しろ」と言いたい。


最近「学歴と能力は関係ない」的な議論が流行しています。
勉強のことを何も分かってないので、
成績悪いのに稼げている人間を挙げて
こういう理論を繰り広げているのです。


待て。落ち着け、と。


日本の労働人口を6000万人として、
そのうちの0.1%でも6万人いるわけです。
その6万人を持ってきて
「ほら、能力と学歴って関係ないじゃん」って言う。


数値は適当です。
実際何%いるかは知りません。
でも、やってることは同じでしょ。
そりゃあ、そういう人だけ集めればそうでしょうよ、と。


人の心理には楽して稼ぎたいっていうのがあるから、
そりゃあ惹かれますよね。
そうあってほしいと思う。
そうすれば自分も救われるし
自分でも今から頑張ればと思うかも知れません。
そういうんなら良いですが、
楽して成長なんてできるわけないですからね。



でも、そういう流れを受けてか、
勉強の目的を見失って学力低下に走る傾向にあるようです。


もっと言えば、知識偏重の勉強事情を受けて
これからは答えのない問いに答えられる力を
という流れになっています。
SSH、SGHとかがそれです。
スーパー・サイエンス・ハイスクール、
スーパー・グローバル・ハイスクールです。


でも、ちょっと待て、考えてくれ。


「考える」ってどういうことですか?
「思う」とは全然違うんですよ?
その違いをしっかり認識して欲しい。


読書感想文と国語の入試問題は違う。
小説ばっかり読んでても国語が解けるようにならないように、
創造力は「豊富な知識」が前提なんです。
なのに、答えのある問題にすら取り組めない子どもたちが
答えのある問題にどう取り組めるって言うのでしょうか。
頭の中に情報がないままでは
考えるという作業は不可能です。
考えようがない。


さっきのトンチンカンと同じです。
自分は感情論にまみれた主観を主張しておいて
「もっと皆考えろよ」と批難する。
お前がまず考えてモノ言えってことでしょ。
それと一緒で、頭に知識もないうちから
考えるなんてできないんです。


考えるとは論理ですから、
相手の情報を正確に読解し、
その読みとった情報に対して
自分の頭の中にある膨大な情報をベースに
必要な条件に応じて繋ぎ合わせて
論理的にアウトプットするのが「考える」なんです。


何をどう算出して出したか分からないような
「男女格差ランキング 日本104位」を素材に
感情論をまくしたてておいて
「もっと皆考えろ」はない。
でも、そんなトンチンカンな教育を目指す学校が
今増えているのです。
残念この上ない。


10万、20万を高いと思う人間は、
100万のモノが50万で売られていても高いと言う。
人がそれを40万で買ってきても
「そんな高いもの買って!」と非難する。


努力しない人間には
人の努力が見えないのです。
努力した人間しか
人がどれだけ努力してんのか気付けません。
だから平気で批難できるんです。


私の周りにはありがたいことに
クオリティの高い人間が多いので
本当に日々勉強させていただいてます。


でも一方で、FBとかで偉そうに世相批難し
無責任な非論理的な発言を目にしたり、
何かにつけて「現実は厳しい」みたいな発言をされたり、
やり取りの中で自分の努力を
平気でないがしろにされたりとかすると、
ふざけんなと思うわけです。


現実は厳しい??
お前の現実は厳しいだろうが、
俺の現実は楽しいんだよ、と。
お前の現実が厳しいのは
厳しい現実ばかり気にするお前の責任だろ、と。


こっちがどんだけ頑張ってそれをやったのか。
それも知らずに批難を平気でする。


努力と頑張るも違うけども、
耐えると頑張るも違うけども、
思うと考えるが違うように、
そういうものの違いを意識して過ごしてる人って
一体どれだけいるんだろうと思います。


自分はすごいんだと言いたいわけではないけど、
それなりに自己研磨を続ける自分としては
努力もしない人に理解されずに会話が成り立たないとか
マジでやめてほしいんです。


でも、こっちは相手に合わせるつもりはないので、
もうここまで来たら徹底的に自己研磨して
圧倒してやろうと思うわけです。
どうせこの先ハイクオリティな人間だけが
生き残る時代になっていくわけですから、
同じハイクオリティな人間についていけるよう
自分ももっともっと努力してやろうと思うのです。


脈絡のない不愉快な文章にお付き合いいただき
ありがとうございました。


0 コメント:

コメントを投稿