『満足した豚であるよりも不満足な人間の方がよく、満足した愚か者よりも不満足なソクラテスの方がよい。』
J・S・ミル
つい先ほど富士山が
世界文化遺産に登録されることが決定しましたね!
おめでとうございます!
当初ユネスコの諮問機関である
国際記念物遺跡会議(イコモス)が
除外を求めていた景勝地「三保松原」(静岡市)も
含めての登録となりました。
いや~良かった良かった^ ^
・・・と、ここで終わっては思考停止癖がついている証拠です!
まだまだ謎が残っているでしょう!
ん?何かって??
それは
「そもそもなぜ、世界文化遺産に登録されることを目指すのか。」
これは母の日、父の日があることくらい不思議なことです。
別になくても母や父には感謝してるわい!
と思うのですが、
しゃんむり母の日、父の日を盛り上げて消費を煽る。
もちろん日頃言いにくい感謝を伝えるきっかけにはなるし、
かく言う私も今年は結構充実した心持ちになりました。
が、存在する母の日、父の日を
有意義に過ごすことは大事としても、
母の日、父の日の存在理由を辿る発想を持つことは
大切なことです。
さて、話を戻すと、
そもそもなんでわざわざ世界に文化遺産として
認められなくちゃいけないのか、
そもそも世界文化遺産ってなんだ?ってことです。
詳しいところはWiki先生に譲りますが、
どうやら大義名分的なものらしいですね。
世界に認められた文化的遺産は
世界全体で協力して守っていこうぜぃ!
ということらしい。
でも、そうなると、
登録されてないけど貴重な遺産は
どういう扱いを受けるのか。
登録されていないという理由で
世界的には守っていかないのか?
ということになります。
そもそもそこに線を引く理由は何なんでしょうか。
詳細はWiki先生に譲ると言いましたが、
そもそも世界文化遺産なるものが生まれたきっかけは
1960年、エジプト政府がナイル川流域に
アスワン・ハイ・ダムを建設し始めたことでした。
このダムが完成した場合、
ヌビア遺跡が水没することが懸念されたわけです。
これを守るためにユネスコがヌビア遺跡を守ろう!と
キャンペーンを張り、60か国から支援を受けた。
このころから世界的に認められたものを
皆で守ろうという仕組みが生まれたようです。
これは背景に「旧きを守ろう」という価値観と
「新しきを生み出そう」という価値観のせめぎ合いがあります。
そして「新しきを生み出す」ための行為が大規模になると
それは「開発」と呼ばれる既存破壊を伴います。
「破壊しても良い!」と「守れ!」がここでバトるわけです。
だから、世界政府がナワバリを張れるように
「世界文化遺産」というレッテルが要るということでした。
人は進化を求めるものです。
進化を求めるとそこには必ず「今との決別」が要る。
旧きを捨てて新しきを手にするためには
その「旧きもの」を共有する別の人ととの軋轢は
避けられません。
だから、変化を諦めて現状を維持する人と、
それでも彼らと決別して変化を遂げる人に
別れて行くのですね。
少し話がそれましたが、
とにかく根っこをよく観察することです。
表面的な変化は絶えず起こります。
激動の時代を生きる私たちはこれから
目まぐるしい変化を目の当たりにするでしょう。
そのときふと「そもそもなぜ?」と気付けるかどうかが
人生を左右するのです。
このブログを読むキミには是非行き着いて欲しいものです。
富士山おめでとうの、その先に。
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