2014年11月5日水曜日

自分を信じるな


自分を信じると書いて「自信」となるわけですが、
私は「自分を信じること」と「自信を持つこと」は
全く別のことだと考えています。


例えば昨日の生徒対応でこんなことがありました。


ある受験生の話なのですが、
10月末のセンター模試で思うような結果が出ませんでした。
それこそ「レッドカード」のレベルです。


しかし、この期に及んでまだその生徒は
独学に走ろうとしていました。


これまでも、医学部生講師が専属でつき、
私も含め再三アドバイスを繰り返した生徒でしたが、
彼はそれらのアドバイスをスルーし続け
自分の思うように勉強してきたのでした。
そして、その結果がレッドカード。


そこで講師を含め三人で彼と話をするわけですが、
その時にすごく感じたことがこのフレーズでした。


「自分を信じるな」


これは一見ものすごくネガティブなフレーズに聞こえますが、
真実はそうではありません。


彼の場合は残念ながら、
典型的な「努力しても成績が伸びないパターン」
に陥っていました。
そしてそこに自覚すらありませんでした。


ガチガチにスコトーマ(心理的盲点)がかかっており、
もはや改善の糸口を探すことができないと思考を放棄し、
捨て身で突っ込むしかなくなっていたのです。


しかし、こういう時に、決して自分を信じてはいけません。


自分の今までのやり方がまずかったから
今のこの結果になってしまっているわけですから、
今の自分を逆に疑わなければならないのです。


そしてもし真剣に合格を考えているのならば、
ヤバすぎる結果に対して
「ヤバい!このままじゃマズイ!
 どうしよう!どうしたらいいですか!?先生!」
とならないとおかしい。


でも、自信を持つことは大事なことです。
ただ、自信を持つことはどうも
自分を信じることとは違うようなのです。


自分は必ず合格することができる!
という将来ビジョンや未来への確信を強く感じることを
自信を持つと表現しているはずです。


つまり、自信を持つとは「自分の未来を信じること」に
他なりません。


となると、自分を信じることと少々勝手が違ってきます。


「今の自分が正しいのだ」と信じることは、
実は逆に百害あって一利なしだということです。


今の自分を正しいと信じて
他の可能性を全てスルーするということは
成長の放棄を意味します。
人の話を聴けなくなった時点でおしまいなのです。


相手の話(アドバイス)を聴いて、
それを採用するかしないかは別の話です。
でも、まずは聴かなければなりません。


自分と異なる考え方ならば
「いや、でも自分はこうしたいんだ」ではなく
「どうしてそう思うんですか?」と聞かなくてはならない。
相手の主張の根底にある考え方を吸収してから、
自分の価値観とすり合わせればいいんです。


何か達成したい目的や目標がある場合、
今までの自分のやり方で本当に最善なのか、
まずは疑ってみましょう。
他にももっと良い方法があるんじゃなかろうか。
この「自己懐疑」が重要なステップです。


自分にとって「自分のやり方でやりたい」という
プライドの方が重要なのか、
目的、目標を達成することの方が重要なのか、
そこが問題です。


自己懐疑→自己否定→自己破壊→自己再構築
このサイクルを回せるようになると、
どんどん成長していけます。
結構しんどいですが、成長の近道です。


講師を含め私たちが望むのは
生徒さんたちの合格であり将来の幸せです。
それだけです。
そのためには耳の痛い話であっても
「これは違う。こう直そう。」と指摘しなくてなりません。
伝え方は気をつけますが、それを聞き入れるかどうかです。


指摘してもらえることのありがたみを忘れたら、
どこに行っても誰にも相手にされなくなるし、
良い情報が入って来なくなります。
「だったら自分の好きなようにしなよ」と言われて
放っておかれます。
相手にとってこちらがどうなろうと
究極的にはどうでもいいことだからです。
でも、それだけは絶対に避けましょう。


良い意味で、自分を信じてはいけません。
常に疑い、最善の道を模索し続けることが
成長には大切なことなのです。


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