2013年8月12日月曜日

役者になりませんか?

 

『変化がなければ繁栄もない。心を変えられない人間は、何も変えることはできない。』
ジョージ・バーナード・ショー



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⇒今日の動画
http://youtu.be/s4HLNpFXHS0
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私にとって仕事は仕事ではありません。
好きなことをさせてもらってるんで
言ってみれば“志事”と言えます。

誰かに「仕える」ものではなく
「志を形にする」ものなのです。


そうすると、
もう頭から志事がなくなることはありません。
OFFがないんです。
ないというか“できない”
“する必要がない”という感覚でしょうか。
自然に「デスクトップで開く」か
「バックグラウンドで処理する」しか
できなくなるんですね。



起業家ってそうなんですが、
やりたいことが志事なので
常にどこかで考えているんです。
「考えざるを得ない」という追われる感じではなくて、
「考えてないと気が済まない」という感じ。


なので志事をしていると
遊びもまた遊びだけに終わりません。
どんなに楽しい時間を過ごしていても、
ちゃんとバックグラウンドでは
常にアンテナが信号を受信していて、
志事に役立ちそうな情報を
拾ってくれています。


何をしていてもちゃんと学べてしまうんです。

遊びも志事も「やりたいこと」なので
心理的に境界が曖昧になりがちですが、
志事中の自分は
あえて別の自分であるべきだと思います。
「経営者としての自分」です。


遊びは鎧を脱いで普段の自分で良いのですが、
鎧を着ている間は
「戦う自分」であらねばなりません。
気を抜いたら討たれる。
絶対に最後は勝つ。
ある意味で「違う自分」に
切り替える感じでしょうか。
役者ですよね。


これがメリハリなんじゃないかなと思います。
場面に応じて自分を使い分ける。
でもプライベートは自分を飾らない。
仕事が志事なら、
もう一人の自分がちゃんと絶えず
働いてくれていますから安心です。
遊びに集中できます。


仕事は仕事にあらず。
遊びは遊びに終わらず。
でも常に最高の状況である。
これが自分を使い分ける効用であり、
理想的な働き方ではないでしょうか。


勉強も同じです。
苦しい勉強になっているようなら
どこかで何かが間違っているんです。
本来の勉強とはそんな風に
苦しんでするものではありませんし、
何をどうすれば良いかを考え、
ルールに従って着実に実践が伴えば
必ず成果が出るものなのです。


やる気にしても点数にしても
才能ではなく技術です。
どうすればできるかを知っている者が勝つ。
知っていても実践しなければダメですが、
「勉強に取り組んでいる自分」という人格を
作ってあげるイメージでいると良いかも知れませんね。


とにかく、自分を使い分ける効用は
勉強にもものすごく効きます。
是非お試しください。


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⇒今日の動画
http://youtu.be/s4HLNpFXHS0
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