『世界中の若者はみんな、山の頂上まで登らなければならない。(中略)…親や先生、先輩たちはみんな、山道を導いてくれる天使である。山頂からはチャンスがパノラマとなって見える。登りきるまでは絶対に見えなかった光景だ。(中略)…こうして「学び」から身につけたレバレッジこそ、岩を動かし、門を開け、夢に到達するのに必要なツールなのである。』
ダービー・チェケッツ
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⇒今日の動画
http://youtu.be/jDZ_fG2-i1Q
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「急がば回れ」は見事に真実を突いていると思います。
遠回りして初めて、
この遠回りこそが自分の近道だったんだと気付きます。
もちろん、遠回らないことに越したことはないのですが、
本当に最短距離で行こうと思ったら、
まず確実にどこかのタイミングで
遠回りしなければならないのです。
遠回りしたときに思うのは、
物事のシンプルさに気付くには、
緻密な分析がなくてはならないということ。
近道が欲しいと思っても
近道だけを探している人には決して見つけられないのが
近道の不思議なところです。
でも、全体を知ろうとすると
必然的に俯瞰的に見たり、
1個1個をくまなく明瞭にしなければなりません。
そうすると、ふとした瞬間に
「あ、こことここが繋がった!」
と気付くのです。
これが近道の発見です。
ちなみにこれが脳内の知識間で起こると
“閃き(ひらめき)"と呼ばれるものになります。
閃きに関しては「繋がり方が見つかる」
に近い感覚かも知れません。
本来繋がるはずのない異なる要素同士が
これまでと違う見方ができた瞬間に
繋がるわけですから、
この世には繋がらないものはないとも
言えるのかも知れません。
遠回りすることの効用は
こういうところにもあります。
どう両者を繋げるかは
両者のどこが繋がり得る要素か
を見つける作業に等しいのです。
もう一つ考えるべきなのは、
どう遠回りするかです。
遠回りする方法は様々。
・抽象的に(思考を巡らせて)遠回りする
・平面的に(迂回して)遠回りする
・立体的に(上空を飛び越えて)遠回りする
・時間的に(タイミングを伺って)遠回りする
こうして見ると、場面場面に応じて
遠回りの仕方を選択できることも分かるでしょう。
どれも視点が違うだけに
遠回りしたときに見える景色も様々です。
でも、そのどれにも無駄がありません。
「この世に無駄なことなんてない」
というフレーズがありますが、
それとは少しニュアンスが違います。
無駄なことはやっぱりあります。
それに気付くかどうかはやってみないとね
ということらしいのですが、
それが無駄であることを教えてもらって
回避できることもやっぱりあるんです。
要は選択の問題です。
遠回りすることこそ近道になり得ると考えるだけで、
“意義ある撤退”が戦略になります。
単なる退避から前進のための後退になる。
そこに価値があるのです。
先日の私たちのように
汗だくになっても
案内役の方について周囲のコースを歩いたからこそ
通潤橋をより深く知ることができました。
物理的に遠回りして歩きまわったことで、
「通潤橋を知る」という点で近道できたんですね。
キミも、遠回りを恐れず歩きましょう。
勉強もまた、遠回りが必要な時もあるので、
そんなときは勇気を持って遠回って下さい。
きっとそれが、合格への最短距離ですから。
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⇒今日の動画
http://youtu.be/jDZ_fG2-i1Q
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