『21世紀は国家ではなく、企業ではなく、個人が世界を変える時代である。』
大前研一
教育者をやっていると本当にもどかしい。
本を読み、子どもたちと接し、あらゆる方々と意見を交わす中で、
日本教育の迷走ぶりが気になって仕方がない。
あらゆる教育改革が日本各地で進められている。
しかし、正直にいえば
本質的な「変革」と呼べるものには未だ出会ったことがない。
どれもトレンドを追いかけただけの表面的なものばかりだ。
大人たちがやりたいようにやっているだけで、
「子どもたちの置かれている立場」から考えられた要素が
ほとんど見当たらない。
ほぼ後付けだ。
先導している方々は皆有識者なのだろうが、
有識者であるがゆえに豊富すぎる知識が景色を曇らせる。
もっと言えば
抜本的な改革は現実的に非常に困難だから、
段階的に進めていくしかないにしても、
目的地が「今の延長」にしか行き着かないのは問題だ。...
私にはまだ実績がないから、
先輩方からすれば非常にうるさい人間に映るかも知れないが、
こと勉強(教育)というテーマに関しては
私は他の誰よりも真剣に取り組んできたし、
考えてきた。
自身の価値観に偏らず、
柔軟な道徳観念を持ちえたのは、
恵まれた環境のおかげだと感謝している。
余計な知識が少ない分、
少なくても今どちらに向かうべきかが視えているし、
だからこそ子どもたちにしてあげたいこともたくさんある。
そのための模索の毎日だ。
今の日本教育には無数の柵(しがらみ)がある。
それも、ない方がどんなにマシかと思う程度のものばかりだ。
それらを取り除くことさえできれば、
子どもたちももっとまっすぐ進めることと思うが、
その点に対する改革案は未だ出されていない。
ざっくり言えば、
障害物を取り除き、代替のペースメーカーを用意すればいい。
後はゴールに直結するルートを敷いて、
健全な競争原理を組み込むことで、
資本主義経済の競争社会へ橋渡しをする。
ゼロベースで考えればあらゆる改革案が見えてくるのだが、
現行の教育改革と呼ばれるものの多くは
目的よりも先に手段から発想が始まるようで、
他国に追随しようという姿勢を見るにつけても
何とももどかしい。
自分に力がないというのが本当に今さら悔しい。
準備不足を招いた自分が悪いのだから
急ピッチで何とかするしかないのだが、
歳月人を待たず。
教育制度の抜本的改革、
学習塾業界の再編、
子どもたちの学力向上と世界の発展。
おこがましいこと承知で言わせてもらえば、
私の短い人生を賭けて
必ず何かしらのインパクトを食らわせてやろうと思う。
このままじゃ絶対にいけない。
誰かがやらなければならない。
大前研一氏の著書にこのような一節があった。
『21世紀は国家ではなく、企業ではなく、個人が世界を変える時代である。』