予備校と言えば代ゼミ。
そんな時代もありました。
代ゼミ、駿台、河合は3大予備校と謳われ、
浪人生はこのうちのどれかに属するくらいの勢いでした。
それが、突如陥落のニュース。
なんと27校のうち20校を閉鎖。
40歳以上の社員を対象に
400人以上を希望退職させるようです。
ご多分にもれず
我が熊本校も来年からの募集は行わないとのこと。
壺渓塾に流れるのか、
立地的に北九州予備校に流れるのか。
この代ゼミ、壺渓塾、北九州予備校
すべてを経験した私の視点から
現在の学習塾業界の限界を考えてみました。
私は1浪目に壺渓塾に通い、
代ゼミの授業も少し受講、
3浪目に北九州予備校の寮生になりました。
このころ経営面に関して気にするほど
余裕も意識もなかったのですが、
今思えば明確な点があります。
ぶっちゃけ塾はどこも一緒です(笑)
授業があってカリキュラムがあって、
オリジナルテキストがあって、
大きな教室があって授業の上手い先生がいて、
テストがあって結果が出てモヤモヤする。
これが学習塾にある常識であり普通の光景。
仕組みは同じですが、
各予備校にはその予備校ならではのカラーはあります。
勉強のやり方みたいなものです。
テキストもオリジナルだから
授業と連動しているというわけです。
中にはノートのレイアウトから
宿題のやり方まで決まっている塾もありました。
酷かった(汗)
ちなみに私は塾は10箇所くらい経験してます(笑)
小学校3年生から4浪して大学合格するまで、
そしてアルバイトで、とか。
するともう、どこも同じなんです、結局。
看板が違って表面的には独自性を出してる感があっても、
結局は「うちにはうちのやり方がある」。
そして全てのルールを塾が決めるのです。
だから、結局はできる子はできるし、
できない子はできない。
塾のやり方に合う子は伸びて、
合わない子は放置される。
塾はビジネスなので、優秀な子は優遇されます。
看板を作ってくれて彼らの実績が
さらに生徒の吸引力になるからです。
その代わり成績の振るわない子には
イイ先生は付きません。
コストパフォーマンス(費用対効果)が低いからです。
それが善いか悪いかは判断にゆだねますが、
ビジネスとして考えると普通のことです。
でも我が子にされたらムカつきますね。
正直私はその仕組みが嫌いでした。
それでは塾が存在する本来の意義を
失っていると思ったからです。
私は塾という仕組みにずっと不満を抱えていました。
そして今回の代ゼミの陥落。
これは「代ゼミ」の陥落なのでしょうか?
それとも、予備校の代名詞「代ゼミ」の陥落は
もっとそれ以上の陥落の序章なのでしょうか?
私は私塾を開校し運営していますが、
この少子化の時代に学習塾を選んだ理由は、
今の学習塾業界が必ずどこかで
限界を迎えると考えていたからです。
必ずです。
それは確信でした。
それは塾の本来の役割を考えれば分かります。
塾は何のために存在するのか。
勉強を教えるため?
違います。
学校では満たされない子どもたちの受け皿です。
学校教育という場にも限界はあります。
その限界部分を補うために塾はあるのです。
でもやっていることはどうでしょう?
学校と同じことをしているとは思いませんか?
実際そのことを指摘している方は少ない。
なぜなら、その現象の原因が
子どもたち各自のやる気にあると
思われていたからです。
しかし、最も勉強の成果効率を阻害していたのは、
塾のルールに合わせて学べという
塾の在り方そのものでした。
私は自分のやりたいように勉強したい人間です。
自分の苦手な部分を補強したり、
数学がやりたい時は数学、
英語がやりたい時は英語と、
自分の中でバランスを取って勉強する
という方法が好みでした。
でも、多くの方はそうですよね。
自分のペースでやりたい。
でも塾はそれを許さないんです、基本。
決められた通りにやらないとイヤなんです。
学校と同じですね。
それが私はイヤだった。
でも、それでも予備校が人気を博していたのは
ブランドがあったからでしょう。
看板に合格実績を並べられると
すげー!ってなりますもんね。
当然です。
誰も合格させてない予備校に
何十万も出すのはリスクです。
だから合格実績や先生の人気を聞いて
そこに実際見学に行って選ぶ。
あとは広告バンバン出しているとか。
そういう勢いみたいなものに魅力を感じます。
ただ、そういった”素晴らしい”塾が5万教室もあっても、
日本は変わらなかったですよね?
何十年も状況は変わらない。
できる子はできて、できない子はできない。
いえ、もっと悪い。
学力は下がり、できる子も潰された。
就職期を迎えると多くが大手嗜好になり、
自分の身の丈に合わない戦い方をして撃沈。
若者の就職難に陥っている。
勉強を頑張ったのに、
社会が受け入れてくれないわけです。
これを「勉強のパラダイムシフト」と見る方もいるでしょう。
価値観が変わったんだと。
勉強は全てじゃないとか、
学歴と仕事の能力は関係ないとか。
多くの方が勉強離れを誘発する風潮を生みだしています。
しかし、本当にそうでしょうか?
勉強は何か変わったのでしょうか?
いえ、変わったのは社会です。
そして、今回の代ゼミの陥落が示すのは、
単なる経営不振という現象ではなく、
日本教育界と学習塾業界に訪れた
勉強への意識的大転換です。
私は燃え尽き症候群から一転して
勉強が好きになりました。
「勉強が」と言うと語弊がありますが、
知的好奇心が素直に満たされることに
喜びを感じるようになったのです。
どんどん色々なことを知りたいと
真剣に思うようになれたのです。
そしてそこには、
受験時代に得た勉強についての光明が
大きく関係しています。
勉強の正体が分かったのです。
勉強の正体が分かれば、あとは楽でした。
やるべきことさえやれば結果が得られるからです。
苦しむ必要すらない。
やるかやらないか。
そうなったとき、私の中に先ほどの考えが
それこそ直感的に浮かびました。
絶対に今の学習塾業界には限界が来る。
今の塾は、その多くが
本当に教えるべきことを教えていません。
授業がどんなに良くても、
テキストをどんなにクオリティ高く作っても、
どんな荘厳な校舎を作っても、
一番大事なことを教えていないんだから、
伸びるわけがないんです。
そして最終的には結果論で神頼み。
それは勉強のルールを無視しすぎです。
だから私は自分の塾を立ち上げました。
何をどうすれば成績を伸ばせるのかが
明確に分かっているからです。
そしてだからこそ、
私の塾では塾業界の常識の全てを捨てました。
そんなものは足かせでしかないと
分かったからです。
仕組みを固くすればするほど
子どもたちの本来のポテンシャルを阻害する。
本末転倒です。
でも、それが良いのだと思って本気でやっていたのが
これまでの学習塾でした。
今回の代ゼミの陥落は、
何かの始まりでしょう。
もしかしたら代ゼミは次のフェーズに移るために
大きな決断をしたのかも知れません。
大手は大手ゆえに小回りが利かないもの。
大所帯ゆえに柔軟性がない分
スピーディーな時代の流れについていけなくなるのです。
だから大手は大手ゆえに潰れてしまう。
これは時代が証明していることでもあります。
そして、そこに来て急な7割削減の大転換。
不自然と言えば不自然。
この出来事をどう見るか。
私も今後がとても気になります。
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