『「秘訣」を知りたい、いうことは、ようするに「楽」したいわけやん?それは「楽」して人生変えたり、「楽」して成功したいっちゅう「甘え」の裏返しやん?』
ガネーシャ
前回の投稿は読んでいただけたでしょうか。
今日は珍しく続きものです(笑)
さて、前回明確にしたのは
「ゲームにハマる要因」についてでした。
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「目的が明確」「目的地までのプロセスも明確」
「プロセス内での成長も数値で見えて明確」
ということに加え、
「失敗がない」「痛みがない」上に
達成感だけはしっかり味わえるというのが、
ゲームにハマる要因だと考えられます。
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こんなこと言ってましたね。
これって、裏を返せば
「それを人は求めている」
ってことではないでしょうか。
これは、
成果が保証されていて痛みもなく、
最初から何をどれくらいすれば
どんなレベルまで到達できるかが分かっていれば、
勉強だって面白いものになり得る
ということを示しているんです。
じゃあ勉強はそんな風に成り得るのか!?
という可能性の話になってきますね。
その可能性がもしゼロなら
そもそも議論の余地はないはずですから。
でもゼロじゃない。
ゼロじゃないどころかむしろ、
そうすることが勉強攻略のカギになるのです。
では、改めて要因を整理してみましょう。
・目的が明確
・目的地までのプロセスが明確
・プロセス内での成長が数値で見えて明確
・失敗がない
・痛みがない
・達成感がしっかり味わえる
この全てを網羅すれば勉強もゲームになる。
では、吟味していきましょう。
吟味するときは順不同です。
すばやく結論が出そうなものからランダムに
取りかかりましょう。
まずは「達成感がしっかり味わえる」ですが、
これは除外します。
意図的にコントロールできるものではありませんし、
頑張った結果確実に得られるものですから、
これは「得られる」前提でいきます。
次に「目的が明確」について。
これは意図的に絞り込むことが可能です。
例えばテストの点数を考えてみます。
テストは期日が決まっています。
どのテストを目的地に据えるかで
“到達日”がハッキリします。
合わせて「目標点数」を決めましょう。
仮に80点ということにすれば、
“到達目標”も明確になります。
これで「いつまでに」「どこに」という
目的地が明確になりました。
つまり、目的は意図的に明確化することで
クリアすることができるのです。
次は「プロセス内での成長が数値で見えて明確」。
これも意図的に解決してしまいましょう。
例えば、必ずしも数値でなければならないことはありません。
数値でも良いし、数値じゃなくても良いとしましょう。
そうすると自分の頑張った分を目に見える形で残す
という根本的な発想に辿りつきます。
そしてそのためには「記録」を残すのが一番である、
ということになります。
それはページ数でも構いませんし、
教科名でもしたことでも時間の長さでも良いでしょう。
とにかく、その日に自分が達成したことを
数値や言葉で「記録」にしてしまうのです。
そうすることで
経験値がいくらかが分からなくても、
どれくらい自分が成し遂げてきたのかが
明確になります。
自分の実績は自信のタネです。
「目的地までのプロセス」ですが、
これは最初から自分で考えるのは大変です。
塾の先生や学校の先生に協力を仰ぎ
他力に頼って解決した方が無難です。
慣れてきたり理屈が分かってきたら
自分で解決できるように練習してみて下さい。
「失敗がない」に関しては半々です。
自分で意図的に回避できる部分と
結果を受け入れるしかない時があるからです。
例えば、受験における不合格という結果を
あえて“失敗”と捉えるとすると、
その“失敗”に関しては受け入れる他ありません。
どんな綺麗事を口にしても
不合格はやはり未到達のことですから、
“失敗”と呼ぶべきものでしょう。
ただ、逆に言えば、
受験の結果以外の結果については
失敗と呼んでいいものはないとも言えます。
それがテストの赤点だろうと計画倒れとしてもです。
それらは失敗ではなく“経験”です。
合格への“糧(かて)”と言うこともできます。
単なる言葉の問題ではなく、
それらは対処が可能なことですから、
不合格という受け入れるしかない結果とは違い、
失敗と呼ぶべきものではありません。
経験として次に活かす反省の場なのです。
最後に「痛みがない」ですが、
これは痛みをなくすためにあえて遠回りできるか、
という点にポイントがあります。
勉強にとっての痛みとは精神的な面での痛みです。
それはざっくり言えばストレスに他なりません。
問題は、
自分が何にストレスを感じているのかということです。
例えば勉強そのものにストレスを抱えているのか、
勉強以外にストレスの原因があるのかが
はっきりできるのが望ましいんです。
はっきりしさえすれば対処できます。
その対処に時間をかけることができれば、
全体的に勉強していくプロセスで受ける痛みは
大幅に緩和されるはずです。
もしくは、ストレスのはけ口を準備しておくことも重要です。
最初に根本的な原因を取り除けなくても、
常に対処法を用意しておくことで
自身をメンテナンスすることができます。
なんだかこれだけ読むとめちゃくちゃ大変そうですね(笑)
でも、実際にはそんなことはありません。
文字にすると結構なボリュームですが
印象ほど大変なことはないので安心して下さい^^
勉強をゲームのようにクリアすることはできるんじゃないか!?
この発見があっただけでも相当なアドバンテージです。
そしてそれを実行に移せた者から
競争という苦痛から解放されるんです。
キミも必ず、勉強の苦痛から解放される時が来ます。
是非今日の話を参考に攻略法を見つけて下さいね!
『本当に価値あることを成し遂げるためには、遠くを見据えて、はるか彼方の地平線へ向かって努力を重ねていかなくてはいけない。』
ダニエル・ピンク
最近部屋の片付けをしていたら、、、
発見!『ドラクエV』!!!
私が一番印象に残っているゲームソフトが
実はスーパーファミコン版のドラクエVです。
それがプレステ版になったというので
いつだったか買ってみました。
基本ゲームはしない私ですが、
見つけたついでにちょろっとだけ(笑)
しかし意外に面白いんですね、これ。
気付いたら1時間くらいやってましたww
ただ、その1時間と、ゲームをやろうとした直感は
面白い発見を私にもたらしてくれたようです。
今日は「キミがゲームにハマる理由」について
ズバリお話ししたいと思います。
ただし!
ただゲームを分析するんじゃありませんよ!!??
その要因を勉強という現実にリンクさせて、
「勉強を面白くすることはできないだろうか!!??」
という視点でこの先を読んでいって下さいね。
さて、考えられる理由は以下の点が挙げられます。
①苦痛がない
②迷いがない
③分かりやすい
「①苦痛がない」
これは肉体的にも精神的にもそう。
全く苦痛がなくストーリーが進んでいきます。
ある意味ぼーっとしてでもできるんです。
たまに上手く操作ができなくてイラっとするような
感情的な苦痛はあったりしますが(笑)、
どんなに敵に攻撃されても
基本自分自身はノーダメージでいられます。
「②迷いがない」
ゲームでは失敗を恐れる必要が
ほとんどありません。
仮に全滅してゲームオーバーを宣告されても
ボタン一つで何事もなかったかのように
再スタートすることができます。
ストーリーが多少戻ることはあっても
それを恐れて挑戦を迷ったり、
ストーリーを先に進めることを
戸惑ったりはしないでしょう。
また、プロセスもはっきりしています。
敵を倒せば経験値が増えて、
それを繰り返せばレベルが上がります。
その全てが具体的な数値で示されますので、
次にレベルが上がるまでにどれくらい
敵を倒せばいいのかも分かります。
お金が欲しければ敵を倒せば良いですし、
用意されたイベントをクリアすれば
次に行くべき場所も教えてもらえますし、
何をすれば良いのかもあらかじめ決まっています。
「③分かりやすい」
これはシステム的な部分ですね。
例えばドラクエVの主人公たちの目的は
至極明確です。
「世界平和のための魔王打倒」
その旅の途中には
名産品を集めて回るとか、
小さなメダルを集めて回るとか、
母マーサを見つけるといった小目的もありますが、
魔王を倒せばクリア!という
大枠の設定はとっても分かりやすいです。
どんなフィールドが広くても
目指す場所は最初から1つですから。
以上の3点をまとめてみると、
要は「目的が明確」「目的地までのプロセスも明確」
「プロセス内での成長も数値で見えて明確」
ということに加え、
「失敗がない」「痛みがない」上に
達成感だけはしっかり味わえるというのが、
ゲームにハマる要因だと考えられます。
もちろん、ゲームの主人公を
アバター(もう一人の自分)と認識させられるだけの
ビジュアルや構成も重要なハマり要素でしょう。
主人公たちの成長を自分の成長のように
錯覚するからこその達成感です。
と、こうして見ると、
ゲームというのは現実逃避先としては
格好のツールだと言うことができそうです。
これではハマるのも無理はありませんね。
では、このゲームの持つ面白さの要因を
勉強という現実にリンクさせることはできないのでしょうか。
次回はこの点を吟味してみることにしましょう。
『今は、自分がわからないことに遭遇するときや、知らないことに出会ったときに「お、自分はまだまだいける」と思います。』
イチロー
なぜイチロー!!??
と思ったでしょうww
ちょっとこの言葉と今回の私の体験が
リンクしたのであえて選びました^^
新しいこと、知らなかったこと、
意外なことを知ることって面白い経験ですよね。
私結構ディズニー好きなんですが、
今回ディズニー旅行のプランを練る上で
なんと意外な事実に突き当たってしまいました!
ここに気付けたおかげで
12時間くらい得できたんじゃないかなと☆
さて、キミは旅行プランを考えるときに
①宿泊場所と飛行機チケットを別々に取る
②両方がセットになったパックツアーを取る
のどちら派でしょうか!?
これは私の感覚ですが、
同じホテル、同じ飛行機を選ぶのであれば、
断然パックになってる方が安いだろう!
と思いこんでいました(笑)
ホテル+飛行機のチケット代が
JALパックなりJTBパックなりありますよね!?
セットになっているってことは
セットになることで安くなるんじゃないかと
思いませんか!?
ところがです。
今回ディズニーホテルに泊まることを
前提に考えていた私は、
確実に希望の部屋をおさえるために
半年前に直接ディズニーホテル予約センターに連絡し、
確保してもらっていました。
ちなみにディズニーホテルの宿泊予約は
あらゆる方面から可能なのですが、
パックで取ろうとすると
各旅行代理店のパックプランが発売される時期まで
待たなければならないというリスクが伴います。
その時期は大抵4カ月前で早い方。
とすると、部屋数の限られた人気の部屋は
その時点での競争率が上がってしまい
確保が困難になると思われます。
そこでディズニーホテル予約センターに
直接予約を入れる方法を取ると、
なんと半年先の部屋をおさえることが可能です。
ということは少なくても2カ月のタイムラグ。
お!これは良いぞ!
ただし、ここで問題が発生します。
おそらくパックで取った方が安いだろうという
料金面での問題です。
一人当たり2万円程度変わってくるんじゃないかと
予測を立ててみると、
その分をお土産に回せることを思えば
決して小さな金額ではありません。
そこでちょっとズルイんですが、
パックが発売された時点で
すぐにパック予約を入れてもらえるよう
代理店に手配をしておくことにしました。
これで希望の部屋が確保できる
確率を上げることができます。
その結果、
運よく両方のプランが確保でき、
その結果先に挙げたような
「自身の思い込み」に気付くことができたのです!
結論から言えば、
今回のケースは意外なことに
部屋と飛行機チケットを別々に手配した方が
安いという結果に至りました。
どのくらい違ったのか。
ざっくり言うと一人当たり3万円強の差額です!
一人当たりですよ!?
この差額分、宿泊代と飛行機チケット別に取った方が
パックで取るより安いということになったんです。
そこで、
ワンダフル・バケーション・パッケージという
オプションを追加してみました。
このパッケージ・オプションが大体一人3万円強。
これでやっとトントンです。
ちなみに、このパッケージ内容は
・1日目から両パークで遊べる3dayパスポート・スペシャル
・オリジナル商品の引換券
・フード&ドリンクの引換券2000円分くらい
・2日間使える時間指定なしファストパス6枚
※ただし、『トイ・ストーリー・マニア』と『スター・ウォーズ』には使用不可
だったかと思います。
ちなみに私が行くのは3連休です。
それも今年は30周年。
これはXデイ来るか!?的なテンションですよね(笑)
仮に入場制限が掛かっても、
入れなくなることはないんですが、
なんせ待ち時間が異常になりますからww
両パークでファストパスが発券されているアトラクションは
以下の17アトラクション。
ランド
シ―
このうち『トイ・ストーリー・マニア』と『スターウォーズ』を抜いた
15アトラクションから6つを選んで
待ち時間を短縮できることになります。
それも時間指定なしというのがデカイ!
時間指定があると
ある程度の時間は次のファストパスが取れなくなるため
このパスの価値は測り知れませんww
こうやって考えると
単純に待ち時間が短縮されるのみならず、
ファストパスに合わせて行動範囲を考える手間も要らず、
もろもろのタイムロスを削減できるとすると
その試算は12時間にも及びます。
すげぇ!
と、えらくハイテンションで長々述べましたが、
私が今回言いたいのはこういうことです。
もし最初から思いこんで
行動に起こさないことがあったとしたら、
そのせいで知らないうちに
大きな機会を失っているかも知れません。
ん?本当にそうなのか!?
と思うことがあるときは
キミ自身がよく調べてみることです。
もしかしたら面白い発見に行き着けるかも
知れませんよ^^
ということでした(笑)
『口コミになる店というのは、 「面白い」 「すごい」 「変な」という形容詞がつくような劇的な空間であることが多い。』
神田昌典
熊本では「市電」なるものが走っています。
道路の真ん中を傲慢なくらい周囲を威嚇して
我が物顔で走る熊本のシンボル的存在です(笑)
日頃片道どこまで行っても150円という価格で
なんとはなしに使っている公共交通機関ですが、
この熊本市内を走る市電に
超低床電車として採用されたのが9700形という白い車両です。
ただ、この車両、ただの車両ではありません。
なんとこの車両には隠された衝撃の事実が!
これは先日市電に貼られるポスターについて
打ち合わせがあった際に伺った話です。
ちなみに内部情報とかではないので
共有OKです(笑)
さて、まずはこちらを見て下さい。
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/
熊本市交通局9700形電車。
これはWikipediaさんのページですが
この低床電車の製造メーカーに注目して下さい。
そこには『アドトランツ』とあります。
あまり馴染みのない会社名なんですが、
誰もが知っている世界的なブランドを
製造しているメーカーさんです。
その名はメルセデス・ベンツ。
そうなんです!
この低床電車、日頃普通に使っちゃってるんですが、
ベンツ作ってるメーカーさんが
作ったものなのです!
え~~~~~~~!!!
車両価格も他の旧式と比べても飛び抜けて高く、
以前1997年に導入されたものでも2億1000万円。
またまた「え~Σ( ̄。 ̄ノ)ノ」 って感じです(笑)
今はリース契約に切り替わってるそうなんですが、
それにしても高価(汗)
ちなみに電気系統が壊れた際などは
わざわざドイツからエンジニアを呼んでこないと
直せないという代物だそうww
全然知りませんでした(;^_^A
おかげでちょっと傷付いただけでも
修理代がバカにならないので
夜は極力走らせないとのこと。
このように身近にもちょっと興味を持って調べてみると
面白いものがあるんですね~。
是非キミも周囲に目を光らせ
面白いネタを掴んでみて下さい^^
『お前もただのジジイか。がっかりだぜ。』
翼彦一
最近夜な夜な『任侠ヘルパー』観てます(笑)
これ本当に斬新ですよね!
「やくざ」と「介護」ですよ!?
この組み合わせの斬新さは面白いww
フジテレビ系ドラマ『任侠ヘルパー』
企画は後藤博幸氏、脚本は古家和尚氏。
「やくざ」と「介護」を繋げた発想の斬新さは
一体どこから来たのでしょうか。
本来繋がることのない2つのキーワードを
繋げた上でドラマとして体を成しているという事実を
何となくではスルーしてしまいそうですが、
これは結構凄いことだと私は思います。
まず常識では思いつかない。
本来ならその2つのキーワードは繋げるにも無理があります。
もし「そんなの無理だ」と思えば
このドラマほどの融合はあり得なかったはずです。
「できる」と思ったからこそ
発想が広がり、世界ができた。
思考には見えないブレーキがあります。
このこと自体は以前も何度かお話しました。
ただ、じゃあブレーキをON/OFFするスイッチは?
という話をあんまりしていなかったと思うので
ここで明かしておきましょう。
それは「無理」「できる」の意識の差です。
意識は認識を左右し、認識は思考を左右します。
ちょっと難しいので例を挙げると、
私のオフィスにはある箇所に隠れミッキーがあります(笑)
それも大量にww
でも、オフィスに入ってきたばかりの人はもちろん、
「この部屋に隠れミッキーがあります」と伝えた後の人も、
それを聞いて探し始めその箇所の目の前に来た人ですら、
そのミッキーの存在に気付かない場合があるのです。
これは、たとえ目の前にあっても
意識しなければそれに気付けない分かりやすい事例でしょう。
これは「意識して見ないと脳が認識しない」
ということでもあります。
脳が「そこにそれがある」と思えるのは
意識して見た対象に関してだけなのです。
例えば「チャンスがあればな~」
なんて言っている人がいますが、
そういう人はたとえ目の前にチャンスが来ても
気付かない人だと言えます。
なぜなら、チャンスとは「やって来るもの」ではなく
すでに目の前にあることの中から「気付くもの」だからです。
このように、同じものを観ていたとしても
本当に大事な情報ほど
意識している者にしか気付けません。
そして気付けたもの、
認識されたものが思考の材料となります。
考えるためには情報が必要なのです。
さらに言えば、思考が行動を決めます。
あそこに行こう、あれをしよう、
そう思考できたものに行動が後付けで実現されるはずです。
ということは、もし思考が行動を制約するなら、
その前の段階で
意識を変えて認識を変えねばなりません。
そこで知っておくべきなのが
私たちの脳の特性のひとつであるRASです。
RASとはReticular Activating Systemのこと。
自分にとっての重要度に基づいて、
遮断する情報と受け入れる情報を分ける、
フィルター機能を果たすものです。
このフィルター機能が脳に備わっていることを
知っているかどうかだけでも、
思考のブレーキは外れ
行動を変えられるのではないでしょうか。
と、なんだか『任侠ヘルパー』から
大真面目な話になってしまいましたが(笑)
何事にも学びが潜んでいるものです。
是非キミも
目の前のチャンスに気付いてあげて下さい。
『「面白い」ということと、それが「真理に近い」かは別の話であるということです。』
入山章栄
先日参議院議員選挙がありましたね!
投票率を気にしていましたが 52.61%の投票率。
戦後3番目に低い数字だったようです。
ただまぁ、午後6時時点で32.64%、
午後7時半時点でも36.62%だった点からしても、
駆け込み投票で不自然なくらい投票率が伸びていましたので、
結果国民の有権者の半分強は
選挙に参加したということになります。
今回は「投票に行かなかった者の一人」として
あえて今の選挙にモノ申す!的な内容にしようと思います。
皆が「投票しなきゃ!」「選挙は行かないといかん!」
みたいな話ばっかりだと詰まらないし(笑)
むしろ、本当に投票に行くことが
そんなに重要なことなのかという
常識を疑ってみる視点で考えてみましょう^^
さて、今回の投票率の低さですが、
これは有権者の半分の方に
投票に向かうことがさほど重要なのではなく、
投票に行っても無力であると思わせるような政治をしている
彼らにも大きな責任があるでしょう。
もちろん、投票に行けなかった方には
様々な理由があるでしょうが、
しかし、意図的に行かなかった方の比率が
どのくらいあったのかっていうことですよね。
とりあえず私は「行かなかった」派です。
教育者としては行くべきだ!
とか言われるのかも知れませんが、
私は今のままの選挙が続くようなら
投票には行く気になりません。
何より、
政治家に頼ってないで
自分で何とかしようと思って動いているし、
投票に責任を持つことよりも、
日本の将来に責任を持ちたいと思っているからです。
あのような不毛な選挙に付き合ってないで
自分なら何ができるかを考えた方が
日本の変革に直結している。
何より私の思いは1票に託せはしても
今の政治には届かないでしょう。
私の1票は何も政治に影響を来たさない。
それが現実です。
なぜなら政治を決めるのは
あくまで国民の総意ではなく
世界の情勢と他国とのつながりだからです。
むしろ、そうあるべきだとも思います。
国のことを一番知っているのは政治家の人たちでしょう。
彼らが判断材料を持っている。
何も詳しいことも知らない感情的な国民の、
有権者の総意に合わせてないで、
本当に日本の復活のためにすべきことを
やることの方が重要だと思うのです。
日本は瀬戸際に来ているのに、
政治家の皆さんが国民感情に振り回されるのは
考えてみたらちょっと怖い(笑)
国民の支持を得ようとするから、
国民が喜びそうなマニフェストを掲げようとするし、
選挙が人気取りになる。
国の行く末を占う重要な選挙だと言われているのに
私からすれば不毛なやり取りです。
投票に行かない者には政治に文句を言う資格はない
なんて言われますが、
有権者に与えられてるのは権利ですから、
それを行使するかしないかは自由です。
価値ある選挙なら私も参加しますが、
本当に大事なことは何なのでしょうか。
おそらく政治家になるよりも
民間の立場から現状を変えた方が
政治に影響を与えられると私は思うのです。
今回参議院で与党が過半数の議席を獲得できたことで
ねじれが解消されて法案決定がスムーズになります。
ネット選挙運動が解禁されグレーゾーンの多い中で、
それをうまく活用した者がいたのは
おそらくイイことなのでしょう。
山本太郎さんがその代表格ですよね。
ただ、その反面、
ネット部隊が情報分析をして、
その結果に合わせて
選挙演説の発信情報を変えるということは、
結局は人気取りに過ぎないのではないかとも思います。
人気取らないと政権取れないし、
国民の世論は大切だけど、
必ずしも知識のない国民に迎合するような演説で
投票対象を決める今の選挙のやり方は
誠実な活動とは言えないのでは?
というのが私の考えなのです。
「有権者としての権利の行使」
この言葉自体は重たく聞こえますが、
その権利を行使した先にあるものが何なのか。
キミが有権者になったときに
ちょっとだけ考えてみて下さい。
『普通の人間は自分の扁桃核によって、 「成功できない」ように仕組まれています。ブレイントレーニングが必要なのはそのためです。意識的に扁桃核のデータを変えて、メンタルヴィゴラス状態作ることが必要なのです。』
西田文郎
私の専ら(もっぱら)の関心事はダイエットです(笑)
どうにか昔の体型を取り戻せないかと
常にイメージトレーニングは欠かしませんww
さて、先日友人から
「勉強って言わばダイエットみたいなものだよね!」
と言われドキっとしました。
的確な方法で継続していれば
成果が出るという点で
勉強はダイエットと同じだと言うのです。
確かに~
ちなみに、文字通り「勉強はダイエットか!?」、
「勉強はダイエットになり得るか!?」と考えてみると、
ちょっとそれは難しそうでした^^;
脳は確かに身体全身のカロリーの25%近くを消費します。
一見めっちゃ頭を使えば痩せられるじゃん!
と思えそうですが、
脳のエネルギーはブドウ糖のみです。
つまりブドウ糖が切れれば補給が必要で、
糖の不足分は脂肪を燃やして補う!
的なことはできないのです。
ということは、
脳をガンガン使っても
思うようには痩せられないんです。
ん~残念(> <)
ただ、ダイエットと勉強が似ている
という発想そのものはとても重要です。
ダイエットも
①体重を減らしたい
②体型を絞りたい
③太りにくくしたい
といった目的に応じて
やるべきことが大きく変わってきます。
それこそ有酸素運動と無酸素運動の
バランスやタイミングも配慮が要ります。
身体を壊してしまえば元も子もないので、
ボディ・ケアを意識した継続可能なプランが
求められます。
その点では
勉強もプロセスは全く同じなのです。
効果を求めるなら
あくまで効果的な方法を取らなくてはなりません。
社会のテストで点数を取るためには
教科書の内容を熟読するようなことはすべきではありませんし、
数学の点数を伸ばしたいのに
うんうんと時間をかけて問題を考えてはいけません。
①知識を増やす
②点数を伸ばす
は全く別の話なのです。
もしかしたら、
ダイエットに本気で取り組める方の方が
色々な意味で勉強も得意かも知れませんね(笑)
是非統計を取ってみたいものですww
『できない子は、生まれつきではなく、できる子であるわけがないという決めつけからつくられる。』
ピーター・ドラッカー
自由を束縛されると
人は居心地の悪さを
敏感に感じ取るものです。
しかし、
どんなにその束縛から抜け出そうとしても
抜け出せない経験を何度も繰り返すと、
「ここからは抜け出せない」と学習してしまいます。
良くも悪くも繰り返すと学習になり
認識を凝り固めてしまうのです。
これはインドの象使いの使う「象の調教方法」と同じです。
小さな頃から杭に繋がれた象は、
何度も何度も逃げようと杭を引っ張るうちに、
その抜けない杭に抵抗することをやめてしまう。
失敗体験を繰り返すうちに無気力になるわけです。
杭を引き抜けるほどの大きさになっても
杭に挑むことをしなくなる象には、
もう逃げ出す気力はありません。
実は今の成績の伸び悩む子たちは皆そうで、
頑張っているのに伸びない
という経験を積み重ねることによって
自ら学習して“無気力”を生み出してしまっているのです。
無気力が生み出されてしまう原因には
勿論他にも根深いものがあると考えられます。
勉強がそもそも面白くないとか、
勉強を頑張っても意味があるようには思えないとか、
今の大人たちを見ていると
頑張った先に幸せがあるようには思えないとか。
子どもたちには色んなネガティブなビジョンが
勉強にくっついてしまっているようです。
さて、このことを踏まえて考えたとき、
自分を制約しているのは一体何なのか
という問いが浮かんでこないでしょうか。
無気力を、 制約を生み出すものは
「思考」なのか「環境」なのか。
「思考」とは詰まるところ「知識」に過ぎないので、
知識を吸収する努力や経験の豊富さが、
思考の幅の鍵を握ります。
逆に、
制約されていると思うのは感情的な部分だけで、
実際には何物にも制約されていないケースもあるわけです。
それだけ一体何に制約されているのかを
見極めるのは極めて難しいのです。
自由を束縛されるストレスは
潜在的に気力を蝕(むしば)んでいくものです。
束縛され、頑張っても逃げられないという経験が
徐々に気力を衰えさせていきます。
ただ、この制約条件と向き合うことは
できれば避けず向き合って欲しい。
自分を制約する何かを明確にすることこそ、
ブレイクスルー(現状打破)の大きなポイントなのです。
今のままでも良いや、
なんて考えていると楽かも知れませんが、
どこか苦しくないでしょうか?
何かしないといけないのは分かっているけど、
何もする気にならない、という時ほど
もどかしいことはない。
でも、今しかどうにかすることはできません。
以前にも言いましたが、
気力のない者にいつまでもお金が払えるほど
今後の日本は強くはありません。
自分の力で何かを生み出す準備を
今のうちにしておかなければ、
誰も助けてくれない歳になったとき、
一番苦しいのはキミなのです。
恐怖を煽るわけではありませんが、
つまるところ今のうちになら
まだキミの未来をいか様にもできるということです。
こうやってブログを読んで下さっているキミこそ
何かを胸の奥でくすぶらせている
未来の日本の“可能性”です。
キミが諦めなければ、
キミを見て諦めることを止める誰かが必ず生まれます。
キミ一人の力は
キミ一人分ではないんです。
もし自分の可能性が見えないと言うのなら、
一体何が自分を束縛しているのかと
考えるタイミングなんだと思いますよ。
『キミは怖くない。全然怖くない。・・・でも、キミは怖いもの知らずだ。』
サリー
ディズニー大好きな私、
ついに『モンスターズ・ユニバーシティ』観てきました!
先日はDVDで『カーズ 2』を鑑賞しましたし、
本当にピクサー作品はクオリティーが高い(^^)
さて、今回は直感的にも絶対観ないと!
と思っていたのですが、
その期待に十分応えてもらえました!
忘れていたものがギッシリ詰まっていた感じです(^^)
今日はその中でも
『マイクに見る成功法則』についてお話します!
あ、今日はテンション高いな、自分ww
まぁ、あんまり詳しくストーリーに踏み込んでしまうと
ネタばれになってしまうのでお話しませんが、
言うなれば今回のマイクは成功法則の塊のようでした。
単なるポジティブではありません。
勿論、成功者に必要な
楽観主義(optimism, ポジティブ)は不可欠で、
そのベースの上に別の要素が乗っかっている形です。
また、マイクを中心に巡る
この映画のストーリー自体が
当アカデミーのコンセプトである
“ブレイクスルー”の連続でした。
それではまず、マイクにフォーカスしてみましょう。
今回のマイクで最も特筆すべきポイントは、
数多くのドリームキラー(夢を邪魔する者)をものともせず
最終目標から決して目を離さなかった点です。
これは単純そうで相当に難しい。
感情が絡むと人間は途端に弱くなるものです。
特に何年も先に抱く夢には
潜在的な不安は常に付き物で、
そこに意識を否が応でも向かせるようなネガティブな批判は
夢を追う際の最大の阻害要因となります。
しかし、マイクはそういったノイズ(雑音)に
一切聞く耳を持ちませんでした。
致命的と思える欠点を指摘されても
持ち前の努力家魂で乗り越えていきます。
「諦めなければ夢は叶う」と言えば
あまりに薄っぺらく聞こえますが、
「自分になら絶対に叶えられる!」という確信は
どんな困難にもブレイクスルーをもたらしてくれます。
次にストーリーにフォーカスしましょう。
今回のストーリーは結構エゲツないww
ここまでマイクをいじめるか!?という感じです。
私だったら折れてるかも(笑)
ここで着目したいのは困難の乗り越え方です。
困難を乗り越える際の2大キーワードは
①奇跡・運
②発想の転換
このうち①に関しては神出鬼没。
いつ出せるか予測できません。
先日のロボコン2013ネタでもお話しましたが、
金沢工業は最後に「①奇跡・運」で勝利しました。
しかし東大はそこに頼らず「②発想の転換」で
活路を見出し続けました。
「②発想の転換」に関しては①とは真逆で、
自分の意志である程度のコントロールが可能です。
そして、厳しい話社会に出る際に評価されるのは
あくまで能力やスキル。
要は意志でコントロールできる要素の方です。
奇跡や運に関することは実績にはなり得ません。
勿論、奇跡や運に見えても、
そこに根本的な能力・スキルが成果に関わっているなら
話は別ですが☆
さて、今回のマイクのパターンは
完全に東大パターンです。
彼は無類の努力家。
努力を厭(いと)わないという点で
かなりのアドバンテージですが、
その努力が成果に直結するのは
あくまで本質を突いた努力だったからでした。
マイクもサリーと同様“天才”の部類だったんですね。
というか、もともとアニメか(笑)
そして彼のブレイクスルーの連続が
このドラマのストーリーを紡いでいきます。
時には仲間に救われ、
時には裏切りにも似た友情に傷付き、
それでもストーリーは続く。
マイクだけではなく、
サリーもそのほかの仲間たちも
どんどん変わっていきます。
いえ、変わったのではなく「戻っていく」。
本来のポテンシャルを引き出されて
本来あるべき自分に戻って行ったんです。
こうして振り返ってみると、
本当にこの映画のメッセージ性は緻密で深い。
何よりスティーブ・ジョブズが死してなお
私自身がこれだけの影響を受けているのだと思うと、
人一人の影響力って凄いなと感じました。
最後の方はちょっと論点がぶれちゃいましたが(笑)
さて、キミのストーリーはどんな展開になっていくのでしょうか。
いえ、もっと能動的に考えましょうか^^
どんなストーリーにしていきますか??
『常識のある人は、自分を世間にあわせようとする。非常識な人は、世間を自分にあわせようとする。ゆえに非常識な人がいなければ、この世に進歩はありえない』
ジョージ・バーナード・ショー
「クレイジーパワー」というフレーズが付いて
すごく強烈なインパクトのある本ですが、
一見の軽さとは裏腹に結構読み応えありです(笑)
“クレイジー”という言葉自体が
最近褒め言葉として引用されることが
非常に多くなってきたように思います。
おそらく、現在の閉塞的で停滞した世の中を
誰かに叩き壊して欲しい!という潜在的なニーズが
そういう風潮を生み出しているのではないでしょうか。
先ごろまで大阪の橋下知事が注目を浴びていたのも
改革勢力としての期待があったからでしょう。
常識に縛られるのではなく、
私たちを縛るような常識に異を唱える
勇気ある行動者が求められています。
さて、しかしどんなに行動を起こす者が増えたとしても、
彼らが環境を変えるまでにも壮大な時間が掛かるでしょうし、
その環境の中で自身が影響を受けて変わるまでにも
相当な時間が必要なはずです。
つまり
①行動者が現れるまでの時間
②行動者が環境を変えるまでの時間
③環境がキミを変えるまでの時間
という3つのタイムラグが確実に発生するわけです。
他力本願で功を成すのは速効性に欠けそうですね。
できれば別のアプローチが欲しいところ。
そこで、何事もまず原点回帰を考えてみると
打開策が見つかるものです。
灯台下暗し。
自分のケースを常識と当てはめてみたときに
もし両者がズレるようなら、
それは「自分がズレている」ではなく、
「常識がズレている」と考えてみて下さい。
常識とは実際あってないようなもの。
得体の知れない目にも見えない常識と自分自身と
どちらが重要度が上なのか。
明らかに自分です。
だったら自分ベースで物事を考えなければ
そもそも自身の問題を解決できるはずがありません。
常識ベースで考えるから
解決すべき問題そのものをねじ曲げてしまう。
だからますます答えが見つからない。
一方、自分のことは最も分析しやすいものですから、
解決策も自己分析ありきで吟味する方が
よっぽど即効性があるのです。
特に「真面目」と呼ばれる方は要注意。
自己分析ができてもやっぱり
常識に自己を当てはめようとしてしまうはずです。
波風立てるのはストレスを伴いますが、
そのリスクを負わない限り
現状を変えることはできません。
別に犯罪を犯すわけでもありませんし、
誰が言いだしたか分からないような“常識”に
振り回される必要もありません。
キミの常識はキミだけのものなのですから。
さぁ、恐れず非常識な発想に足を踏み込んでみましょう。
『全ての事象には何らかの理由があります。その原理原則を押さえることのできる人が、さらに困難な応用編に挑めるのです。表面的に判断できることなど、世界には何一つないのです。』
山元賢治
先日のブログで
「現象は因果関係から離れて
それ単独では存在し得ない」
という話をしました。
この話の視点はいわば
真上から眺めていた感じです。
今日はその話を視点を横からにして
捉え直してみようと思います。
因果関係と言うからには
そこにはいくつもの単独事象が
関連付け合いながら
存在しているようなイメージがあります。
しかし、その一つ一つの単独事象は、
理科で習った地層のように
何段もの階層を持っていて、
上から上から積み重なってできた
という感じになっています。
その階層の最下層、
つまり土台になっている部分が
「原理原則」と呼ばれるものです。
勉強という事象も同じです。
その事象の最下層には
「勉強の原理原則」と言うべき層があります。
その上に標準編や応用編が
積み重なっているのです。
ただ、その原理原則を教えてくれる場所が
現状ほとんどないというのが
日本の教育業界、学習塾業界を蝕んでいます。
大手にも応用編しかありません。
補習塾には標準編しかない。
つまり表面的かつ応用的な方法論、
(上の写真で言えば「木」の部分ですね)
標準的な方法論(上の写真で言う「草」)
というものしかないということなのです。
一つは、勉強に関する体型的な研究が
為されてこなかったという
歴史的な背景もあるでしょう。
勉強が得意な者たちは教育界には残らない
という現実も関係あります。
例えば東大出身の先生が熊本にいる、
という事象が多々あります。
東大まで行ったのに地元に帰ってくるというのは
何か理由がないと不自然です。
ましてや九州・熊本と言えば、
自分で言うのもなんですが田舎の部類です。
失礼承知で言えば、
あまりポジティブではないことが理由で
戻ってくることになってしまった、
と考える方が真実に近いのではないでしょうか。
かく言う私も関東におり千葉大学でしたが、
今は熊本で塾を立ち上げ活動しています。
2011年に起きた東日本大震災をきっかけに
余震が怖いと逃げ帰ってきた類です。
あまりポジティブとは言えませんよね(汗)
さて、話が随分逸れましたが、
勉強に関する原理原則を知っている者がいない
という今の教育界の問題に
本格的に取り組んでいこうという動きは
今のところ皆無です。
センター試験の廃止やTOEFLの導入、
秋入学への移行や短期留学補助金制度の実施など
安部政権も下村文科相下で
大学改革を進め始めていますが、
これらだって結局は
表面的な応用編の変革に過ぎません。
原理原則を知らない多くの子どもたちは
大いに翻弄されることでしょう。
こんな表面的な応用編の変革を繰り返しても
本質が変わらない以上伸び悩むだけです。
それこそ外資系コンサル業界のUP or OUTのようなもので、
この潮流について来れる者は先に進み、
ついて来れない者はさようならです。
それでは国の方針としてはあまりに思慮がなさすぎる。
今子どもたちが知るべきは
その場しのぎの救済策(HOW)ではありません。
立ち止まって時間を掛けてでも
「原理原則(WHY)」を身につけるべきです。
国の方針に振り回されないためにも、
応用編を押し付けられる前に
是非「勉強の原理原則」を習得して下さい。
たったそれだけのお願いです。
キミがもしそういう場所を探しているのなら、
是非このページを見て下さい。
http://lscbta.com/
私たちならきっと力になれます。
入会できるできないに関わらず、
悩みや迷いがあるなら
ここで答えを探していただけたら幸いです。http://lscbta.com/
"Education makes a greater difference between man and man than nature has made between man and brute".
『自然によってつくられた、人間と野獣との違いよりもはるかに大きな違いが、教育というものによって、人間と人間との間にできるものである。』
ジョン・アダムズ
7月15日に大学ロボットコンテスト2013が放送されていました。
元工学部の人間としては恥ずかしいのですが、
まともに見たのはこれが初めてです(笑)
それもベスト8が決まった段階からという。。。^^;
これも今回初めて知ったのですが、
ここ数年優勝していたのは
なんと王者東大だったようです。
工業系専門の大学も出場しているのに
総合大学として出場しての優勝。
さすが偏差値トップ大学ですね。
さて、私は何も優勝の理由を
「偏差値」に見ているのではありません。
今回のロボコンに限った私の感想では
「東大はやはり頭が良い」という印象でした。
今日はそのことをお話しましょう。
まず、結論から言えば、
2013の今回の優勝は東大ではなく金沢工業大学でした。
ほんの1秒差での決着。
ドラマ的に見れば白熱した接戦でとてもおもしろかった。
ちなみに金沢工業大学と言えば、
就職率低迷時代にある今の大学業界の中で
驚異の就職内定率を誇ることで
一躍話題になった大学です。
さて、今回最終的には優勝が金沢工業大学でしたが、
やはり内容的には断トツ東大有利と
私は感じました。
金沢工業大学の今回の勝利は
あくまで運に過ぎません。
運も実力のうちと思うかも知れませんが、
もしもう一度勝負したら
おそらく勝つのは東大でしょう。
そういう内容に見えました。
では、何がそこまで私に印象的だったのか。
それは東大生に求められる
「本質を突く力」が明確に現れていたことです。
これは東大入試から鮮明に問われているものです。
力技ではなく、
本質に気付けば解法が見えてくる
という東大独自の入試傾向にある通り、
今回のロボコンに関しても東大は本質を見ていました。
それは何かというと、
東大は「極力オートマ作戦」を採用していたことに見て取れます。
つまり、ロボットコンテストなんだから
ロボットに自動で全部やってもらえばいいじゃん
というものです。
ちょっとした補助的な部分でこっちが手動で調整するけど
オートマチック化してしまえば
人間の手動操作に付き物の”人為的ミス”は
最大限防げるとしていたのです。
他の大学が
ロボットを操作して作業を進めていたのに対して、
東大だけはロボットに合わせて動く。
他大学は操作する人が
目もくらむほど数ミリ単位での操縦を練習をしてきたのに対し、
東大ロボは自動制御でサクサク動きます。
その結果圧倒的なスピードと正確な作業で
4年連続王者に手をかけていました。
最終的には、
やはり連覇のかかった場面での感情的な焦りと、
調整で手動に切り替えた際のもたつきという
”人為的ミス”に足元をすくわれ、
金沢工業の運に
勝ちを譲ることになりました。
ロボットの性能に時間を割いた東大と、
操縦者の練習に時間を割いた他大学の取り組みの差は、
教育の差に他なりません。
(詳しくは分からないので
もしかしたら高精度のセンサーを買えるだけの
資金的な補助が東大にはあったため、
今回のような差ができたのかも知れませんが、
今日は視点の違いに焦点を当てましょう。)
そしてロボットコンテストにおける勝敗のポイントは
ロボットの動きのスピードと正確さ。
そこに人為的ミスを最大限排除しようと試みた東大の視点は
「さすが」と言えます。
努力とか「やればできる」とか言うけれど、
どこにその努力を向けるかで
欲しい成果が手に入るかどうかの可能性は
大きく左右されます。
別に東大を目指そう!とは言いませんが、
東大生の凄さは参考にできる点は多くあると
私は見ています。
成績を伸ばすにも本質を突けるかどうか。
キミが勉強において本質を突けるかどうかは、
本質の突き方を知っているかどうかに懸っています。
もしくは知っている人に聞ける環境にあるかどうかでしょう。
是非それを頭の片隅に置いておいて下さい。