2013年10月11日金曜日

※注意※頭の錆びつき注意


『自分の知らない事象に遭遇した時には、これまで身につけた知識や価値観で判断することを停止する、いわゆる「エポケー」して、その事象と対峙せよ。』
エドムント・フッサール

はっきり言いましょう。
キミの頭は錆びているかも知れません!


過去をもって今を紐解こうとするのは、
織田の鉄砲隊に挑む武田の騎馬隊のようなものです。
キミがもしブレイクスルーを求めるとき、
昔の名言・名句にヒントを得、
直接的に適用させるタイプの人なら、
相当に注意しなければなりません。
なぜなら、その言葉が生まれた当時と今とでは、
何もかもが異なっているからです。


キミが生まれてから今までの間に、
日本がどれだけ変わったかを思い起こして下さい。
おそらく想像を絶するはずです。


もしキミが高校1年生なら、
生まれたのは15年前。
キミが生まれた頃にはまだディズニーシーはなく、
iPhoneもなく、ニンテンドーDSもWiiもない時代です。
ハリー・ポッターがイギリスで刊行された翌年であり、
Playstationも出て数年。
Portableなんて影も形もありません。


たった10年、20年でこの激変ぶり。
それが数百年なら言わずもがなです。


にも関わらず、現代に昔の名句をまとめた本が
何冊も出版され多くの方の力となっています。
何百何千年も前のことわざや名句に
皆助けや気付きを求めているのです。


しかし実際には、含蓄のある言葉もまた、
時代の流れを前にすれば風前の塵と同じです。
当時とは様相が大きく異なっています。
そのまま今に適用するのは危険でしょう。
しかし、ついついやってしまいます。

例えば、『学問に王道なし』ということわざがあります。
前300年頃ギリシアで活躍した
数学者ユークリッド(ギリシア名エウクレイデス)が、
エジプトのヘレニズム国家プトレマイオス朝の初代ファラオである
プトレマイオス王に答えたセリフです。


要は
「学問に安易なやり方はなく、
誰もが経ねばならない過程がある」
という意味なわけですが、
もう2300年近くも前にできたことわざです。
そんな遺物を、大事にするだけならともかく、
これだけ文明が発達した現代においても
当然のように引用するのはいかがなものでしょうか。


このことわざ自体は
日本人には好まれることわざの一つでしょう。
コツコツ努力すべしという美徳に一致するからです。
もちろん、どんなに原理原則を踏まえようが、

自分の手を動かして問題演習に取り組む以外に
成績アップの方法はありません。
よっぽどの天才は別にしてですが。


しかし、このことわざは残念ながら現代には活かせません。
テクノロジーの進歩によって
目先の勉強方法論もさることながら、
記憶のメカニズムも以前よりも鮮明になり、
心理学や精神医学等の発展が
人間そのものの構造を説明できるようになってきました。
その結果としてストレスレス(ノーストレス)勉強法なる
私独自の勉強法が確立されたわけですが、
このように勉強効率を飛躍的に向上させるアプローチが
あらゆる角度からできるようになってきているのです。
「王道」が単なる道から
動く歩道になっているようなものなのです。


さらに言えば、
王道というべきものが問題演習のことだったとしても、
裏を返せば
問題演習以外には大いに効率化の余地があり、
その部分の差で、
成績の良し悪しが現れてきていると見ることもできます。


同じだけの時間と体力を要したとしても、
徒歩と自転車では進める距離に大きな差が生じます。
ましてや、
運転という点で見れば車と飛行機を比べると
一目瞭然でしょう。
同じ労力でも結果に差は生じ得るということを
しっかり頭に刻みつけて下さい。


これは真実です。
努力は美しいんだと、
頑張ることは美徳だと、
コツコツ努力した者が勝つんだという時代は
とっくに終わりを告げています。

ことわざに戻りましょう。
『学問に王道なし』
これは今も適用できるほど真実を語ってくれているでしょうか。
『二兎追う者は一兎をも得ず』は?
『三日坊主』は?


それに対する答えは、
キミが考えている以上に重要なものとなるでしょう。
しっかり胸の奥にしまっておいて下さい。
それが貴重なヒントを教えてくれます。


 

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