http://www.youtube.com/channel/UC-bvQZmkWyWaF-v3q7XcGGg
『思考力をつける最も効果的な方法は、常に自分なりの疑問点を持つことだ。(中略)…とりあえず考えなければ、疑問は湧いてこない。』
加瀬英明
今日もしっかり考えていきましょう。
本当におかしい日本の在り方を題材に。
思考を巡らす習慣を養っておくと
自然に「考える力」が伸びていきます。
勉強するよりよっぽど実践的です。
最近ニュースで見かけたものですが、
学習指導要領にこんな思想が取り入れられているようです。
「学んだ知識を実生活に活用しよう」
言っていることはもっともなようですが、
明らかに本末転倒な議論であることに
気付かなければなりません。
どう考えても順番が逆なのです。
なお、この点に関する研究レポートがあったので
共有しておきます。
是非参考に読まれてみて下さい。
ただし、私がこのレポートに賛同している
という意味ではありません。
あくまで参考資料としての提示です。
---------------------------------------------------------------
『知識・技能を活用する学習活動研究部 研究報告』
http://www.tokorozawa-stm.ed.jp/center/kenkyuu/kenkyuuin/20nendo/05_tigikatu.pdf
---------------------------------------------------------------
さて、「学び」とはそもそも
必要だと感じた時に自発的に起こるべきものです。
昔はそうでした。
だから、人の病気を治すために医学や薬学が生まれたり、
リンゴと月を見て重力が発見されたりしたのです。
「どうしてこんなことが起きるの?」
「どうしたらその問題は解決するだろうか?」
そういった疑問と意志があり、
「学び」が行動となって発露する。
それが自然な人間的な営みだったはずなのです。
しかし今は違います。
学校教育という制度が先に存在し、
意味も分からぬうちから
有無を言わさず子どもたちは勉強を課される。
そして大人は今
「子どもたちは学んだことを活かせてない」
と嘆いているのです。
明らかにおかしいでしょう。
活かせていないのは当たり前です。
活かす気もなければ、
そもそも学ぶ気にすらなっていなかったのですから。
でも結局は「それがルールだ」と
泣き寝入ることになっています。
それがあたかも当然のようになり、
文部科学省管轄下で
こんなやりとりがされるようにもなってしまった。
そして、そこに誰も突っ込まない。
今の日本ではこのような形骸化した仕組みが
蔓延しています。
矛盾の解消よりも人気取りやクレーム回避が優先で、
本質よりも表面的な取り繕いが
重要視されるようになっているのです。
例を挙げましょう。
先日母が入院した際にこんなことがありました。
これから手術を受ける母について、
医者の説明義務ということで
症状の説明と手術の概要が
家族向けに母同席の下行われました。
この時の母は腸閉そく一歩手前であり、
手術前の腹の激痛に耐えながらの同席です。
これは患者の様態よりも
医者の説明義務履行が優先された結果です。
腹の激痛に耐えて苦しむ患者にとって
手術を受ける以外に選択肢はないわけです。
むしろそんな状況では判断能力すらありません。
一刻も早く手術を願う家族と、
腸閉そく一歩手前の患者を前に、
医師は説明義務を全うしなければならないのです。
説明義務を怠り、
そんな話聞いてないぞ!と訴えられたら
医師としての存続が危ぶまれる。
それが根底にはあるのでしょう。
明らかにおかしい仕組みです。
別の例を挙げましょう。
私も少し前までは、
企業の利益が社会貢献度の現れだと思っていました。
たくさんお金をいただいているというのは、
それだけ感謝の対価をいただいていることであり、
引いては多くの方に貢献していると考えられる、
と思っていたのです。
しかし、それは間違いでした。
たとえば学習塾業界でもそうです。
大手学習塾に生徒が多く集まるのは、
大手という看板に親御さんの信用が集まるからです。
しかし、そのブランド効果が
どんな結果を生んでいるかと言えば、
必ずしも社会貢献がうかがえるものではありません。
学力格差は長年埋まりませんし、
学歴があっても仕事がないという
「勉強しかできない優等生」まで
量産を生じさせているのも事実です。
頑張って勉強しているのに
成績が上がらない子どもたちも多く、
ましてや親御さんのエゴで
無理やり勉強させられて心を壊す子も少なくありません。
少子化という流れの中で
子どもたちの通塾率は上がっているそうですが、
何十年も教育現場の在り方に
変革は見られないのです。
さらに言えば、
大手は相当数の実績をあげているという印象も
数字トリックの賜物でしょう。
何なら、合格実績ではなく、
不合格状況を聞いてみて下さい。
親御さんの見えないところで
どんな事態が実際に起こっているのか。
おそらく「パレートの法則」が垣間見えることでしょう。
つまり、「利益を上げていること」と
「社会貢献度が高いこと」はイコールではないし、
「社会への価値創造の功績だ」とも言えないのです。
最近の話題ですと産地偽装の問題でしょう。
阪急阪神ホテルの「鮮魚メニュー」の表示偽装や、
あのリッツカールトンにまで偽装行為が発覚しました。
確かにウソはいけない。
しかしです。
もし、このウソが明るみに出なければ
誰が損をしたのでしょうか。
お客さまは高いお金を支払った優越感、
高級食材を食したという満足感、
そして実際にはその味にも
舌鼓を打っていたわけですよね。
ホテル側も、
顧客満足度を落とすことなくコストカットを実現できた。
今回リッツカールトンに対し、
「フレッシュジュース」をストレートジュースだと
気付いた方がいらっしゃったように、
なんか味が違うな、変わったなと
思われていた方が他にもいたかも知れません。
ただ、ニュースになって気付かなければ
誰も傷付かないで済んだのでは?と考えると、
偽装それ自体が本当に問題だったのか
考えさせられてしまいます。
むしろ本当は味もよく分からない私たちに
本質的な問題があるのではないでしょうか。
※重ねて言いますが、
これは偽装擁護の話ではありません。
このように、挙げただけでも一部ですが、
矛盾を感じていただける内容ばかりだったはずです。
こんな矛盾が世の中には溢れています。
それもそれらが当然であるかのように。
もしキミがそんな納得いかない矛盾に出会ったとき、
無難にスルーしてしまえる大人にならないで欲しいと
願ってやみません。
考えることを止めないで下さい。
0 コメント:
コメントを投稿