そこには壁外に出て巨人の調査をする
調査兵団という組織が存在します。
そこの団長がエルヴィン・スミスです。
女型の巨人を捉えるエピソードの際、
彼はこんな言葉を使いました。
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奴を捕らえるには
発想を飛躍させる必要がある
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今手元にある発想力では
常にその発想の上を行かれて
彼らには勝てないということです。
あえて「そんなはずはない」という
想定外の可能性を
想定内に引き込んでの発想が
求められていました。
これは私たちにも当てはまります。
なぜ日本が勉強を義務化するのか。
その意味付けを自分なりにできなければ
不毛な時間潰しに終わってしまうのです。
私はその危機を
発想を飛躍させることでクリアしました。
正直私は自分勝手なワガママ人間なので、
自分が納得できさえすれば
どんな理屈でも構いませんでした。
とにかく勉強を受け入れて攻略せねば
先に行けないわけですから、
その真偽はどうでも良いわけです。
そこで私はどう発想を変えたのかと言うと、
必ず主要5教科の勉強は
将来活用できる何かを含んでいる
と考えるようにしたのです。
前提を変えた、とも言えます。
いつも言っている通り、
知識そのものには価値はありません。
三角関数なんて日常生活では使わないし、
物理の単振動も生物の細胞分裂も
科学の高分子化合物の名称も
世界史も、
そして英語ですら、
実生活上はほとんど出番なしです。
おそらく読者の皆さんも
これらができずに生活に困った!
なんてことは皆無なはずです。
英語も社会も理科も何でも、
本来ならば学びたいという興味がわいたときに
学べば良かったような内容です。
それを今無理矢理学ばされているのには
必ず理由があって然るべきだと
発想を変えたところから勉強攻略は始まりました。
例えば、英語の場合は
単語や文法を勉強しますが、
その理由は「書いてある内容を知る」ためです。
しかし、一方で
単語や文法で形成された言語の仕組みを知ることは
プログラムを勉強しているのと同じです。
プログラミングは最近脚光を浴び、
若いうちから教えよう!
みたいなトレンドが出てきました。
そしてプログラミングの仕組みは
コンピュータ言語なので英語と同じなのです。
各パーツの意味と、
それらがどういう理屈で繋がっているのかを
英語を通して学んでおくことは
実はかなり脳回路形成上有効なのです。
また、数学は論理の力を鍛えます。
それと同時にランダム思考を鍛えます。
ランダム思考で分かりやすいのは
医師や弁護士の方々の思考です。
無数のパターンの中から
目の前の事象に合わせて
解決策を練り上げるプロセスは
公式や定理などをパターン化して記憶し、
テストの問題の出題に合わせて
組み合わせて解くというのと同じです。
国語は読解力を養う教科ですが、
大事なのは客観性を保って
集中して聞いて初めて相手の言わんとしていることが分かる、
という至極当たり前のことです。
有識者や専門家が集まって
あるテーマに関して侃々諤々と討論をする
『朝まで生テレビ』を観ていても分かりますが、
誰も相手の意見を聞いていません。
相手の話を聞いているのは
自分の主張を突っ込むためです。
相手のことを理解するのではなく、
自分の正当性を認めさせたいわけです。
しかし、これではコミュニケーションとは言えませんね。
相手の言わんとしていることを理解する
という前提がないことには
それは単に一方的にボールを投げているだけです。
相手からのボールを取らずに
ひたすら自分のボールを投げるんです。
それも両方の人が。
生テレビでは全ての発言者がそれです。
不毛ですよね。
話がそれましたが、
社会は単純暗記の必要なことに対する
戦略を考える練習だと思えますし、
理科は色んな教科の勉強で得られる要素を
融合させたような内容になっています。
覚えたり、繋げたり、
客観的になったり計算したり
理論的に説明したりと
かなりのスキルを習得できる教科です。
とにかく、勉強を単なる知識暗記に終わらせず、
確実に自分の将来に直結させるには、
今のままではダメなんです。
発想を飛躍させる必要があります。
なぜ将来の役に立たない勉強をさせられているのか、
何か裏に意図があるんじゃないのか、
そうやって考えていくと、
自分を納得させられる理屈が見えてくるでしょう。
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