2015年6月24日水曜日

「鶏口となるも牛後となるなかれ」のウソ

漢文で必ずと言っていいほど登場するのが
この「鶏口となるも牛後となるなかれ」です。


これは中国の戦国時代において
強大になりすぎた秦を倒すために
周囲の国々を説得するために
蘇秦が唱えた言葉。
秦に服従するのではなく、
それぞれの国の王が
一国の独立した王として連合し、
共に秦を倒そう!
というものでした。


これが今では、
力のある集団の中で後からついていくよりも
レベルを下げてでもトップにいられた方がいい、
というニュアンスで使われることが
多くなってきたのですが、
こう言うとハッキリ分かりますよね。
負け犬根性丸出しだということです。


そもそもどこにいても
自分はトップになるんだという
気概があって然るべきところを、
自分がトップにいれそうな集団を
選んだ方が良いじゃん??
と考えてしまっているわけです。


このままでは
レベルを下げても鶏口にはなれません。
そこでも牛後です。
良くても牛腹くらいでしょう。


どんな水準の自分でいられるかは、
エフィカシーが関わっています。
目的達成における自分の評価の高さが
エフィカシーです。
自己肯定感とも呼ばれます。


「鶏口となるも牛後となるなかれ」は、
見事にこのエフィカシーを下げる言葉だったわけです。


このことは哲学や格言を見ていくと分かりますが、
昔の人の言葉の中には
“上手く諦める極意”的なものが
多く見受けれます。


これでは、どんどんエフィカシー下げるだけです。


「二兎追う者は一兎をも得ず」
これだってそうです。
この言葉を作った人は
二匹同時においかけて失敗したかも知れませんが、
二匹同時に捕まえるにはどうするかと
考えることに重要な飛躍があるわけです。


「三日坊主」だってそうです。
なぜ三日でやめたら悪いのでしょうか。
4日目にする気になったかも知れません。
仮に三日坊主だけで1週間の間を考えれば
○○×○○×○となり、
7日間中5日もやっていることになります。


全ては解釈次第なのです。


もしあなたが
「学校だけじゃ成績が伸びないから」
「周囲の友達がみんな行ってるから」
という理由で塾に行っているなら
最初から伸びるわけがないのです。


以前から言っているように、
塾は本来頭のいい連中が利用する
レベルの高い環境です。
補習塾といった
付いて行けない子達用の塾もありますが、
それこそエフィカシーの問題で、
そんな塾に行っていて伸びるわけない。
だって自分も“付いて行けない子”という
認識になっているからです。


自分はできて当たり前、
自分はもっと成績よくなくちゃおかしい、
そう思えるのがエフィかシーが高いと言います。


これは現実が伴っていない間は
高く保ち続けるのは結構大変ですが、
それができて初めて
目の前の現実が追いついてくるものなのです。
現実を変えるには
現実を変えるだけの何かを自分がしないといけません。
その「何か」がエフィカシーを上げることであり、
マインドを変えることなのです。


昔の人のありがたい言葉を
鵜呑みにしすぎないようにしましょう。
むしろ自分で格言創っちゃうのも
良いかも知れませんね。



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