2015年6月6日土曜日

塾に行くべきか辞めるべきか、それが問題だ・・・

20世紀はじめに
プラグマティズムという哲学思想を世に広めた
ウィリアム・ジェームズという人がいます。


プラグマティズムを最初に提唱したのは
チャールズ・サンダース・パースです。


そもそもこの思想は
物事の認識に関する順序に関して
重要な気付きを与えてくれる
新しい哲学思想体系です。


例えば「硬いモノ」があるとします。
私たちはこう考える事が多いでしょう。


硬いから曲げようとしても曲がらない。
硬いから引っ掻いても傷がつかない。


しかし、パースはこう言います。

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曲げようとしても曲がらないから硬い。
引っ掻いても傷がつかないから硬い。

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つまり実践の結果として得られる事象をもって
「硬い」という認識を得るというわけです。
因果関係が逆だったのですね。
言われてみればそうだ!
と私も一人で感動してしまいました。
さすが論理学者(数学者でもあり科学者でもある)
パースらしい見解です。


ここからジェームズは
有用性と真理の関連性を見いだします。

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有用であれば真理であり、
真理であるならば有用なのである、

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と考えたのです。


例えば「神は存在するか?」という命題があります。
この命題はすでに
数学的にも物理学的にも
言語学的にも、
そしてなんと哲学的にも
不存在が証明されてしまった命題です。


しかしそんな命題も、
仮に神が存在することで
心の平安が得られるという有用性を得られるなら
この命題は真理と見なせる、
と言うのです。


確かにそうですね。
神がいるのかいないのか、
そこが問題なのではなくて、
神を信じることで救われる人がいるのなら
それは真理と呼んでも良い事なのです。


このことを踏まえると、
私が提唱する「塾を辞めて自分で考えよ」
という問題提起にしても、
塾をもし有用だと思えば行くべきですし、
そうでないと思える場合には
辞めれば良いのです。


それは別に私の意見が正しい正しくないという軸とは
全く別の視点から導いても良いのです。
私の言っていることには反対だが、
自分の判断で辞める事にした、
で良いのです。


私は全ての方にとって有用だと思って
情報を発信していますが、
それが受信したあなたにとって
有用と感じられるかどうかとは
全く別の話です。
別で良いのです。


なので、冷静な視点で塾を捉えて、

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塾は果たして自分にとって有用なのか、
一体どのように有用なのか、

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と考えてみて下さい。
きっとイイ答えが導きだせることでしょう。

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