BTTの授業でも先日お話ししたテーマで
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
前提を忘れてはいけない
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
というものがあります。
私がなぜ今勉強のプロと名乗るかというと
それは勉強の仕組みを理解したからです。
勉強に闇雲に取り組んでいるうちは
頑張っても頑張っても
なぜか手応えがなく
成績も伸びていきませんでしたが、
理屈で突き詰めていくと
ちゃんとそこにはルールがあって、
そのルールに則って取り組めば
自ずと欲しい結果が手にできる
ということが分かったのです。
その仕組みを考える上で重要なのは
前提が何かということです。
「勉強」という言葉だけを取り出せば
そこには子どもサイドと大人サイドが
別々の意味を込めて使っていることに
気付くことでしょう。
子どもたちにとっては主要5教科でしょう。
授業があってテストがあって
点数が出て受験があってといったものです。
しかし大人の言う勉強とは
生きるための学びを指します。
つまり、両者は全く別の意味で「勉強」という言葉を
使っているのです。
ここが実はとても重要で、
勉強とはそもそも際限のないものですから、
子どもたちが「学び」として勉強に取り組むと
とんでもないことになります。
なにをどこまでやっていいのか分からず、
ペース配分も分からないまま
走り続けなければならないのです。
しかし、主要5教科の勉強となれば
話は別です。
そこには明確なゴールがあって、
守らねばならないルールがあるので、
なにをどこまでやればいいかが
ハッキリ分るはずなのです。
にも関わらず、
守るべきルールも意識しないうちに
果てのない大地に駆けだしてしまえば
途中で迷子になって当たり前です。
まずは勉強には前提があることを
思い出しましょう。
ちなみにこれは「小前提」です。
この下にはもっと大きな括りでの
「中前提」があります。
少し抽象的になってきました。
例を入れましょう。
この世界は「地球」です。
私達は地球という球体の惑星に住んでいます。
その地球上にはいくつか大陸があって、
その大陸上にはいくつもの国があり、
それぞれの国が独自のルールを持っています。
日本人として生きるということは
日本の法律の下で生きるということ
なのですが、
もっと大きな前提を考えれば
国を越えて地球人として生きている
ということになります。
それと同じで、
勉強という行為を行うというのは、
少なくても小中高大というレールを走るという意味であって、
そのレールは受験制度や教育制度といった
「小前提」の上にあるということです。
そして、それはあくまでも大陸の一部にある
一国に過ぎず、
他にも色んな「小前提」の世界があるわけです。
スポーツであったり音楽であったり
武道であったり芸であったりするのです。
そして、それらの国々は大陸である
資本主義という「中前提」の上にあるということです。
他にも社会主義などもありますから、
大陸も一つではないということですが、
それらの大陸も地球にあたる生活という
「大前提」の上にあるのです。
ということは、
勉強のルールは受験制度や教育制度という
前提を意識して初めて明確になりますし、
でもその先で大人になったら
自分は資本主義社会で生きることになるという
もっと広い意味での前提も忘れてはいけないわけです。
その点をあまりに多くの子どもたちが
認識せずに大人になってしまうという点が
大いに懸念材料となり、
今の教育改革の引き金になったわけです。
ちょっと小難しく聞こえるかも知れませんが、
今日の話はかなり重要です。
是非忘れずにいてほしいと願います。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
前提を忘れてはいけない
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
というものがあります。
私がなぜ今勉強のプロと名乗るかというと
それは勉強の仕組みを理解したからです。
勉強に闇雲に取り組んでいるうちは
頑張っても頑張っても
なぜか手応えがなく
成績も伸びていきませんでしたが、
理屈で突き詰めていくと
ちゃんとそこにはルールがあって、
そのルールに則って取り組めば
自ずと欲しい結果が手にできる
ということが分かったのです。
その仕組みを考える上で重要なのは
前提が何かということです。
「勉強」という言葉だけを取り出せば
そこには子どもサイドと大人サイドが
別々の意味を込めて使っていることに
気付くことでしょう。
子どもたちにとっては主要5教科でしょう。
授業があってテストがあって
点数が出て受験があってといったものです。
しかし大人の言う勉強とは
生きるための学びを指します。
つまり、両者は全く別の意味で「勉強」という言葉を
使っているのです。
ここが実はとても重要で、
勉強とはそもそも際限のないものですから、
子どもたちが「学び」として勉強に取り組むと
とんでもないことになります。
なにをどこまでやっていいのか分からず、
ペース配分も分からないまま
走り続けなければならないのです。
しかし、主要5教科の勉強となれば
話は別です。
そこには明確なゴールがあって、
守らねばならないルールがあるので、
なにをどこまでやればいいかが
ハッキリ分るはずなのです。
にも関わらず、
守るべきルールも意識しないうちに
果てのない大地に駆けだしてしまえば
途中で迷子になって当たり前です。
まずは勉強には前提があることを
思い出しましょう。
ちなみにこれは「小前提」です。
この下にはもっと大きな括りでの
「中前提」があります。
少し抽象的になってきました。
例を入れましょう。
この世界は「地球」です。
私達は地球という球体の惑星に住んでいます。
その地球上にはいくつか大陸があって、
その大陸上にはいくつもの国があり、
それぞれの国が独自のルールを持っています。
日本人として生きるということは
日本の法律の下で生きるということ
なのですが、
もっと大きな前提を考えれば
国を越えて地球人として生きている
ということになります。
それと同じで、
勉強という行為を行うというのは、
少なくても小中高大というレールを走るという意味であって、
そのレールは受験制度や教育制度といった
「小前提」の上にあるということです。
そして、それはあくまでも大陸の一部にある
一国に過ぎず、
他にも色んな「小前提」の世界があるわけです。
スポーツであったり音楽であったり
武道であったり芸であったりするのです。
そして、それらの国々は大陸である
資本主義という「中前提」の上にあるということです。
他にも社会主義などもありますから、
大陸も一つではないということですが、
それらの大陸も地球にあたる生活という
「大前提」の上にあるのです。
ということは、
勉強のルールは受験制度や教育制度という
前提を意識して初めて明確になりますし、
でもその先で大人になったら
自分は資本主義社会で生きることになるという
もっと広い意味での前提も忘れてはいけないわけです。
その点をあまりに多くの子どもたちが
認識せずに大人になってしまうという点が
大いに懸念材料となり、
今の教育改革の引き金になったわけです。
ちょっと小難しく聞こえるかも知れませんが、
今日の話はかなり重要です。
是非忘れずにいてほしいと願います。